『月曜日ラビは旅立った』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)読了

ハリイ・ケメルマンの
ラビ・シリーズ
第四弾。
昭和49年10月初版
別途ハヤカワ文庫有
巻末の解説、
十年目のラビ・シリーズ
は、(S)という
署名のみで、
誰が書いたか
分かりません。
訳者はヒサエ・アオキ
だし…
表紙イラスト作者名も
未記載。
ポケミス
ぜんぶいっしょ
だったか
知れませんが…

Monday the Rabbi Took Off (The Rabbi Small Mysteries Book 4) (English Edition)

Monday the Rabbi Took Off (The Rabbi Small Mysteries Book 4) (English Edition)

ハヤカワ・ミステリ裏表紙
世界各地に散らばり、何世紀にもわたって迫害に耐えてきたユダヤの民にとって、約束された救済の地だった聖地エルサレム。『来年こそはエルサレムへ』、過ぎ越しの祭の儀式を終えるこの祈願は彼らの合言葉の響きさえもっている。ユダヤ教のラビ、ディヴィッド・スモールが聖地訪問を思いたったのも、今年が初めてというわけではなかった。しかし、この街へ来て六年目の今年は、教会の理事に束縛される自分の立場への疑問が息づまりを感じさせるほどまでに増し、理事会へ三カ月の休暇を一方的に突きつけ、妻子を伴ってエルサレムへ旅立つことに踏みきったのだった……。
ラビを待っていた聖地は、長い歴史の重さと現代の複雑な政治問題が混ざりあう奇妙な雰囲気を呈していた。嘆きの壁に押し寄せる観光客、頻発するアラブ・ゲリラの爆弾テロ。自省のよい機会という休暇の目的も、ラビを街の喧騒から遠ざけてはくれなかった。彼がふとしたきっかけで知り合ったステッドマン父子と訪れた中古車商が爆弾で殺された。容疑はアラブ人と親交のあるステッドマンの息子にかけられ、彼は窮地に追いつめられた。が、ラビの緻密な推理は意外な事実を暴いていく……!
現代本格ミステリのもっとも優れたシリーズとして、アメリカで驚異的なベストセラーをつづけるラビ・シリーズ第三弾!

日曜日より先に月曜日が邦訳されたため、煽りでは第三弾になっています。
正しくは第四弾。

解説というかあとがきでは、本書はイスラエルの描写に、
多くのページを割きすぎてるので、ミステリファン的にはいらいらするかも、
とありましたが、まさにそれが面白かった。
アメリユダヤ人、それもラビの眼から見たイスラエルが、
最高に面白かったです。以前は日本のあちこちの繁華街で、
タイのヤワラーで仕入れたアクセサリーを売るイスラエル人を見かけたもので、
彼らはそうやって兵役を終えた後半年とか一年とか、
旅費を稼ぎながらリフレッシュしていたそうですが、
あまり私は彼らと接点ありませんでした。
アパートの家賃踏み倒して逃げた後にやったら銀紙があって、
テレホンカードの偽造でもやってたのかと思った、くらい。
テレカ偽造はイラン人がよく売ってましたが、
何故かヘブライ文字ばかりのアパートの部屋にも痕跡があった。
私がイスラエル人と会話したのは多くが中国で、
中国は公式にはパレスチナ支持なのですが、回教国と異なり、
イスラエル国籍者を入国させないということもないので、
そこそこいた気がします。テレビの国際ニュースではしょっちゅう、
パレスチナやガザをパレスチナ寄りに報道してたので、
ことばは分からずとも、尻のおさまりが悪かったろうな、
と思います。
で、逆に我々がイスラエルに行くということは、当時は、
これはもう回教国にはそのパスポートで入国出来ないということで、
イスラエル出入国スタンプを見つけた回教国の入国審査官が、
即入国を拒否するわけです。ヨルダンだったかエジプトだったか、
オッケーな国も確かあって、そこ経由で陸路とか海路で出入りし、
スタンプをパスポートでなく出入国カードに押してもらう、
などの抜け道もあったようですが、回教国の審査官が、
ぜんぶの国の出入国スタンプを計算確認して、
この空白の日数はなんだ、
イスラエルに滞在してたんだろうごまかすな、
とやって入国禁止したりしてた、とも訊いたことあります。
まだ湾岸戦争の前でしたかね。イラクもシリアも、
内戦とかなかったころ。レバノンは内戦でしたが。

頁92
 町のいろいろな通りを歩いていると、町全体が安息日を忠実に守っているのが、彼らには珍しかった。店は全部閉まっている――これは予想していた――が、それ以上だった。通りにはバスも走っていないし、車もほとんど見られない。信号も赤と青のかわりに、黄色がまたたいているだけだ。通りを歩いている人々はと言えば、妻子を引きつれ、晴れ着を着飾り、三人、四人と連れ立って、どこへ行くともなく、ただお天気のよいのを楽しんでいるようだ。
 教会から家へ帰る人たちは、目的あり気に歩いており、中には祈禱用のショールを手に持たずに、肩にまとっている者もいる。手に持つことは、当然一種の仕事であり、安息日の規律を犯すことになる。

原書は1972年刊行なので、その当時のエルサレムの光景ということで。
テルアビブはもっと世俗と書かれてますし、さて。下はアラブ街。
土産物屋を案内しようとする少年を振り切った直後。

頁103
 道はどういうわけか、一カ所広くなり、広場になっていた。五、六歳の女の子たちが、石けりに似た遊びをしていたが、二人を見ると駆け寄ってきて、きたない小さい手を差し出して「お金ちょうだい、お金ちょうだい」とねだった。
「気にかけるんじゃないよ」とラビは言い、子供たちに向かってはっきりと首を振った。一人の小さい女の子は、お腹がすいているんだというように、腹部をつかんだ。そうやっても反応がないと見ると、その子は今度はよろよろとよろめいて倒れた。ミリアムは立ち止まろうとした。しかし夫はどんどん歩いていってしまうし、彼の姿を見失いたくなかった。ちょっとしてから振り向いてみると、その女の子はもう立ち上がって、他の子たちと遊んでいたので、彼女はホッとした。
「ディヴィッド、あの子、お腹がすいていたんだと思う?」
「あの子は違うね。みんな栄養がよさそうだし、あの子は新しい靴をはいていたよ」

頁176、復讐を復と書いていて、
意味の推量はつきましたが、その字知りませんでした。
下記は爆弾テロに際して、主人公のラビが警部から尋問される場面。

頁184
「ラビ、教会と仕事から休暇を取っただけでなくて、信仰する宗教からも休暇を取っていらっしゃるようですね」
「どういう意味ですか?」ラビはびっくりして言った。「安息日ごとに教会に行かないという意味でしたら――」
安息日に、車を買う話で人に会ったということですよ。それも、アパートに爆弾を仕掛けられ、それで死んだベンジャミン・メマヴェットにね」

(中略)
「しかし彼は車を買いに行った。ビジネスで行った――安息日にね。もう一度お聞きしますが、あなたはいったいどういうラビなんです?」

以下後報

Harry Kemelman>Bibliography>The Rabbi Small Novels Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Kemelman#The_Rabbi_Small_Novels
『金曜日ラビは寝坊した』読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170104/1483476141
『土曜日ラビは空腹だった』読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170305/1488697244
『日曜日ラビは家にいた』読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170325/1490391554

【後報】
この小説は、スモール・ラビのイスラエル見聞録と並行して、
残された米国東部小都市のユダヤ教社会が、代打教師秋葉真剣です!を呼び、
これが貫禄も風采もバリトンの声も、分かりやすく人をアツくさせる説教も、
すべて兼ね備えた人物でしたので、明日は風任せのスモール・ラビ、
帰郷後は失業者の仲間入りか? すべては代打教師の謙譲とモラトリアムに、
かかっている… というサイドストーリーが走っていて、これも実に、
読み応えがありました。はらはらしてしまいますよ、嫁さん第二子懐妊して、
なのに休業補償も断って復職も約束せず、ショーヴィニズムの申し子みたいな、
代打ラビの存在も知らず、イスラエルで下記のような会話に耽る主人公…

頁189
「自分の側とか、相手側というのは、古い考え方ですよ。ここの戦争や何かに火を注いでいるのもそれです」ロイは身を乗り出した。「ぼくたちの世代はそういうふうに考えません。ぼくたちは、どっちの側に生れたか、そんなことはどうでもいいのです。どっちが正しいかが問題なのです。ぼくたちの姿勢を見て下さい。ベトナムに対する、ぼくたち若い世代のアメリカ人の姿勢です。あなたたち上の世代の人は、彼らは敵だとぼくたちに言うが、ぼくたちは同調はしない。あなたたちの世代の考え方は、戦争、公害、飢え、病気を生んだ。ぼくたちの世代はそういうもの全てを変えようとしているんです」
「彼の言うとおりですよ、ラビ」とダンが言った。「われわれが何もかもメチャクチャにしてしまったと思います。若い世代こそ、それをきれいにしてくれるんです」
「違いますね」ラビははっきり首を振った。「世界中の悪いこと一切合切を作ったのは、われわれの世代だけではありません。人類全世代です。よいこと全ての原因になったのも、同じ全世代。われわれが住んでいるのは世界であって、エデンの園じゃないのですよ。新しい世代はまだやり方を身につけていないから、きれいにしているのも上の世代です。ロイ、きみたちの世代がやるチャンスがくるまでには、まだ少なくとも十二年はあるよ。それにもしきみたちの世代が国境を超越しているとしたら、イスラエルの学生が徒党精神が強いというのはどうしてだろう? 彼らもきみたちの世代ですよ。それにきみたちの世代のアラブ人は、民間人をテロの犠牲になんかしないで、どうしてこの小さい地域に平和を実現しようとはしないのだろうか? テロリストのほとんどは、きみたちの世代だ。平和であれば、自分たちの国の貧困や病気に立ち向かえる」

頁190
「でも、この国は理想主義者の国のはずでしょう」とロイは反駁した。
「そうかな? 私はそうでない方がいいですがね」
「ほんとう?」ロイは驚いた。「ラビが言う言葉にしては変ですね。 この国が理想主義的になってほしくないのですか?」
「そう、理想主義的になってほしくない。われわれの宗教は、絶対的な理想主義ではなくて、実際的な倫理一点張りです。実際のところ、そこがユダヤ教キリスト教の違いですよ。われわれは信者に超人間になれとは言わない。単なる人間でいいのです。ヒルレルが言っているように『自分が自分のために存在しなければ、誰が自分のために存在してくれよう』ですよ。伝統的にわれわれは、暮しを立てるということはよき人生に必要であると常に考えてきた。われわれには理想主義的禁欲主義、あるいは修道院や自ら貸した貧困の中で超人間的な献身をするといった伝統はありません」
「理想主義のどこがいけないのですか?」ロイは聞いた。
「思想を崇拝するからですよ。思想が人間より重要になってしまう。人間は時には残酷になる。というのは――それは、人間だからです。だが、それには自ら制限があって、正常な人が残酷なことをすれば、あとで良心の呵責に襲われる。しかし理想主義者の場合には、いかなる悪も、その理想の名の下に正当化されてしまう。ドイツ人は血の純潔という思想を求めて何百万人も殺したし、ロシアでは冬にそなえてわずかの食料を貯えたいというきわめて人間的な弱さのために、何千人もが殺された。現在では、きみたちの仲間のアメリカ学生は平和、社会平等、学園の責任、その他考えつく限りの理想をかかげてあらゆる悪を働いているではありませんか」

下記はダンが息子のロイの留学を中座させて帰国させようと考え、
大学の留学生セクションとかけあう場面。

頁228
「すると息子は一年を棒に振ったことになりますな。ここの人間や生活を知るという教室外の教育価値についても、得るところがあったとは思えない。ほとんど友だちがなかったんですから――」
「残念です、ステッドマンさん。
(中略)
 われわれとしてはアメリカ学生は大歓迎です。ドルが是非必要だということもありますが、同時にここを気に入って、居残るなり、また戻って住みついてくれる者が出るのを期待しているからです。ドルばかりでなく、人間も必要なのです。といってもイスラエル人学生の教育を第一の目的とする大学を、留学生を喜ばすために変えるわけにはいかない。イスラエル人学生は平均して三年――兵役の長さだけ年上です。あの年代の三年というのは馬鹿にならない。だが、それだけでなく、軍隊経験から来る大人っぽさが違いを生んでいますね。イスラエル人学生にとって大学は、厳しい世間に出る前ののんびりした時期、英気を養うための期間ではない。厳しい務めなんです。ほとんどが仕事を持っていて、授業が終わると、そっちへ飛んでいく。フラタニティー(男子学生の懇親クラブ)もないんですよ」彼は椅子から立ち上がると、二人の間の障壁をなくそうとするように、机の前側に出てきた。
「しかし、ある意味では全員がフラタニティーに属している。といっても軍隊の分隊がもとになったクラブでしてね。こういう種類のクラブは、アメリカの大学にある排他的なクラブよりも、部外者に対してずっと排他的です。命がかかった結びつきですからね。自分たちのサークル以外で友だちを作る時間もないし、そうしたいという気持ちも薄い。女子学生も同じです。彼女たちはみな適齢期で、友情が結婚に結びつくチャンスの多いイスラエル人とデイトするほうが、ここにいる間だけつき合って、勉強が終わったら帰ってしまう外国人とデイトするより賢明なわけです」

これ読んで、なんか、在日韓国人の韓国留学と、
似たような話だなと思いました。兵役がネック、壁なら、
兵役免除やめて兵役にもついてから帰国すればいいじゃない、
なーんて簡単に言ってしまうと、反発されるでしょうね。
兵役のいじめが真の意味でこわいのかなと思うのですが、どうだろう。
台北で、台湾軍に入るチャンスを伺ってる、ミリオタ日本青年に、
遭ったことありますが、まあ確か無理だったような。
米軍は市民権とかのレベルでも入隊出来たんでしたかどうか。
横須賀の何か事件で、当該米兵がナイジェリア国籍との報道読んで、
ふーんと思った記憶があります。

ラビは、今度は、イスラエル在住の叔母(伯母?)と、
その息子の現役軍人と、真のイスラエル人とは何か、について、
終わりのない議論をします。頁250。ヘブライ語イディッシュ語
狂信者… 律法による強制、押しつけ… とうとうラビは、

頁251
(前略)厳密な法解釈を維持しようとする熱狂的なグループがいなかったら、いつまでイスラエルユダヤ人国家で、いられると思いますか? 完全なコスモポリタンになるのにどのくらいかかると思います? ところでこの国を単独国家とする根拠はどこにあるでしょうね?」

ここまで言ってしまいます。

私が逢ったイスラエル人は、イスラエリーイズナットイコールジュー、
と明快に断じていましたので、マロン派キリスト教徒等も含め、
本書の'70年代とは、認識が異なる世代だったと思います。

終幕、帰国するラビを見送るおば。

頁275
「私もとうとう家族が持てるんじゃないかと希望を持っていたのよ――訪問して、助けられる家族が――今あなたたちが行っちゃって、ユーリが結婚したら、私は前よりももっと寂しくなるわ」
(中略)
「悲しいわ」とギッテルは正直に言った。「でもあなた方のためになることね。この約束の地に住むこともできるのに、流浪の地へまた帰っていくのかと思うと悲しい。でも気をつけて、元気でお帰りなさい。(後略)

以上
(2017/7/1)