- 作者: 惣領冬実,塚田有那
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/09/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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買いました。チェーザレ書いてたはずの作者が、何故に突然、
マリー・アントワネット書いたのか。萩尾望都の王妃マルゴ、
正直二巻くらいであと忘れてましたが、サン・バルテルミの虐殺に、
至る話だったんですね。また読むかしれませんです。
話を戻すと、チェーザレ、史実を調べるブレーンのヒューマンエラーで、
フィクションのストーリー(もしくは時系列の特異点)が出来てしまい、
修正するにしても、いったん手をとめて深呼吸する必要があった。そこに、
チェーザレ仏語版の高評価を背景に、マリー・アントワネット展との、
コラボ企画としてマリー・アントワネットのまんが書かないか、
というオファーがあり、ヴェルサイユ宮殿全面バックアップで、
しかし時間的制約がある仕事ということで、正直私は、この連載、
マリー・アントワネットのひっつめ髪の、オデコとの境界が、
よく分からないので、そんな理由で、途中から連載の記憶がありません。
公開出産とか読みたかったのですが、気がついたら終わってた。
で、私は、なんで今さらマリー・アントワネットなんて、
手垢がついた素材やるんだろう、と思ってましたが、
実は定説はかなり反駁されてるとかで、
夫はチビでデブの気弱な国王
⇒オーギュストの身長は結婚した15才当時で178cm、その後192cmまで伸びる。
趣味の狩りも鍵作りも体力勝負の側面があるので、デブだったかは謎。
不能の夫に欲求不満でフェルセンと密通
⇒オーギュストが不能でない旨、新事実の書簡が発見されている。
フェルゼンとは、ヤッててもおかしくないだろうが、着物の着脱が大変そう。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」発言
⇒初出はルソーの『告白』で、とある高貴な姫君の発言、
としか書いてないそうで、で、その出版時、
マリーはまだオーストリア在住の九歳未婚だったので、
ルソーと逢っていた可能性はゼロに近い。
よって、この発言は彼女のものではない。
離宮は王妃の淫らな社交場だった
⇒夫妻にとっては、小さく、静かな、
プライバシーの保てる家庭だったとか。
等々が第一章で駆け足で触れられてるんですが、これ、
展覧会でも漫画でも、大々的に喧伝してないですよね?
新解釈、定説を覆す新しいマリー・アントワネット像!!
みたいな煽り見た記憶がない。やれば観客もそのつもりになったのに。
今さら本で声高に言われても…と思います。以下後報
【後報】
アントワネット展告知の写真を見返しましたが、やはり、
従来の史観に捉われない新しいマリー像を提起します、
的な文言はないかったなあ、と。
2016-11-02
ヴェルサイユ宮殿《監修》マリー・アントワネット展 波乱の一生。その、すべて。
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20161102/1478090555
公式サイトを見直すと、確かに、
「きっと、誤解に気づく。」
という煽り文句がありましたが、それとてセカンドキャッチ。
対してこの本は帯でも真っ向から真説・王妃マ・アントワを謳っていて、
しかしそうなると、アマゾンレビューの多くが指摘している通り、
歴史の見直しは第一章のみで、第二章企画裏話、第三章惣領冬実のこだわり、
(清野とおるは是非取材すべき)第四章萩尾望都と惣領の対談、
第五章仏マンガ出版関係者三氏による鼎談、という、
京都精華大マンガ学科大学院生及びオバドクなら、泣いて悦ぶんだろうけど…
的なマニアック?記事が並んでおり、フランスかくめー本としてだけでなく、
御三家からポスト御三家へのバトンリレー少女漫画史として読む姿勢がないと、
これは少し辛い本かもしれないです。レキ女は漫画オタであるはず、
という編集の読みがどこまで通じたか、アマゾンレビューを以て回答とするのは、
些か酷かなあ、と、漫画好きな私は思います。
この本はクールジャパンということばを一回も使ってませんが、
フランスがなぜ日本の漫画家を起用するのか? という問いに対し、
それ以外の文化との比較から説明するロジックが全くなかったのは残念です。
日本の漫画は優れているから、と無自覚に思いこんでいると、
いつか足元掬われると思うので… ストーリーテリングにおいて、
韓国や台湾はまだまだかな〜と思われてるかもしれませんが、
今回のような企画ものであるなら、それを超克する惣領の絵柄より、
割り切って迫力のある絵を重ねていく作家が起用されてもおかしくない、
私は西尾維新の忘却探偵シリーズの魅力は八割がたイラストにあると、
そう思っていますが、その掟上今日子のイラストを手掛けるVOFANが、
台湾人と知ってけっこう揺らぎを覚えた記憶があります。
- 作者: 西尾維新,VOFAN
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/05/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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じっさいあったりしますが、センスさえあれば、オファーは軽々と、
国境を越える時代なんだと思います。第五章で、フランスの漫画市場は、
日本漫画とアメコミのあいだを行ったり来たり、というくだりがありますが、
作家が描く日本漫画(クランプなどの創作集団も含めて)と、
マスプロのアメコミの違いは歴然なので、二者択一という話ではないと思い、
「作家」が描いているほかの地域をひっくるめた中での日本地域、
の中で、如何に優れた作家を輩出し続けるか、なのだと思います。
あと、さすがに古いと思ったのか、フランスと漫画、の本でもあるのですが、
メビウス*1は一ヶ所も出ません。全然関係ありませんが、"yes songs"の、
ジャケ開くと出てくるア・バオア・クー、私はメビウスが描いたと、
勝手に思いこんでました。今検索してロジャー・ディーンという人と知りました。
萩尾望都との対談は、やはりよかったです。頁134、お約束のように、
萩尾母の無理解がカラッと語られて、そのさりげなさ過ぎる語り口に、
逆に背中がぞっとしたり、『残酷な神が支配する』談義が深かったり、
頁138
惣領:昔、『ちゃお』の編集者さんに「女の子はこういうものが好きなんだから描いてあげて」と説教されたとき、「あなたは女の子じゃないのに、なぜそう言えるんですか? 実際の女の子はもっとエグくて計算高いですよ!」と反論した経験があります。自分は当事者ではないのに、これが当たるだろうという予測のもとで話されている傾向がありますよね。
萩尾:それはあくまでも、その編集さんの頭の中にある想像上の女の子なのよね。
上記読んで、武内直子レイアースセイントテール揃い踏みのなかよしは、
編集が、理想の男性はオタ編集である、という刷りこみを、
紙面を通じて行っている、恐るべき光源氏若紫実験農場ではないか、
と重大な疑念を抱いてたのを思い出します。さすがに竹本泉ではそれは、
実現不可能だったのだろうと結論づけた、かもしれません。忘れた。
マリーの漫画、なぜ多くのコマで、ひっつめの髪とオデコの境界を、
はっきり描かなかったのだろう。それは今でも思っています。
以上
【後報】
了承いただけたので、読む契機となった、ほかの方のブログを、
トラックバックします。下記です。
http://d.hatena.ne.jp/himekagura/20170612
一週間の日記を一週間ごとに更新されるスタイルは、
私も、連続何日縛りが解けたら、やるかしれないです。
カッコいい。
(2017/7/15)