『カリフォルニア州ヨコハマ町』読了

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41dOp9hDQCL._SL500_.jpg初版1978/12/10
1992/4/30新装版
装幀 倉橋三郎
カバー・表紙印刷 美和印刷
原書は1942年刊行予定が、
戦争により延期され、
1948/oct.刊。
序文 サローヤン
カリフォルニア州出身の新しいアメリカ作家トシオ・モリ氏の短編集に寄せるインフォーマルな序文」
ビッグコミックオリジナル
2017/6/20発売7/5号コラム
「きみは今どこにいるのか」
text=松永良平 で、
同名のフレズノ日系バンドが
紹介されており、併せて、
バンド名の元になった、
『ワインズバーグ・オハイオ
に想を得たこの連作短編集が、紹介されていたので、それで読みました。

カリフォルニア州ヨコハマ町

カリフォルニア州ヨコハマ町

Yokohama, California (Classics of Asian American Literature)

Yokohama, California (Classics of Asian American Literature)

バンド http://www.m-camp.net/YC

この動画の再生回数を見て、改めてユーチューバーへの苦難の道のりを考えます。

作者 Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Toshio_Mori
この本のカバーの写真は、もう少し若いです。
新装版あとがきによると、短期間、選手として、
シカゴカブスに在籍していたとか。

サローヤンの序文より
 何千人といるアメリカの隠れた作家の中で、トシオ・モリほど英語を書くことが下手な人は、三人といないであろう。彼の作品には文法的な誤りが充満しており、その英語は、特に彼が何かすばらしいことを必死に訴えようとするときに、はなはだ良くない。いかなる高校の英語教師でも、彼の文法と句読法には落第点をつけるであろう。

特に邦訳はその英語を、あえて舌ったらずに訳してはいません。
普通の標準語で書いています。考慮したのかしなかったのか。
邦訳が苦心したのは、この連作のほとんどが、
広島出身日系一世、二世を扱っているので、作者の要望で、
彼らの日本語の台詞を、広島弁にした点です。訳者も広島人だそうですが、
世代が違うとことばも違うので、そこが苦労したと。
なぜヒロシマなのにヨコハマなのかは、瀬戸内海にも、
そんなような地名があったからではないかと訳者は推測してます。
青森県にも横浜はありますから、それならそれでいいのですが、
原爆を投下された地域の出身者が、多く、投下した国で、移民として暮していた、
という事実が、ことさら何も強調するつもりでなくても、
響いてくるしかない、透明な、さざなみのように、響いてくる、
それは読者がそういう予備知識をどうしても持って読むからですが、
「ほうじゃけえ」とか「〜のう」とか「〜りんさい」とかの台詞が出るたび、
いっそ題名を"Hiroshima,California"にして呉、と私は思いました。
舞台の広島県人コミュニティーは、湾を渡った、オークランド
サン・リアンドロ周辺だそうで、小説に触発されたフレズノのバンドは、

八月六日を歌った歌がありました。あと、親近感があったのか、
フィリピン系やタガログ語に関連した歌があった。
小説には、おそらく白人と思われる数人と、あと、タベ・ドラッグストアという、
日系の店のソーダファウンテンでバーテンとして雇われてる、
ジーという青年が、名前からしてインド系かな? というのと、
その小説に出てくる(頁48)夜遊び連中の名前のうち、
ブッチがイタリア系で、ミンは漢人朝鮮人かもしれない、
と思いました。ほかはどうだろう。広島系以外の日系人自体、
はっきりわかるのは長野県人ひとりだけだし…(頁151)

訳に関して、頁30、当時日本のラジオで人気のあった仏教法話者、
暁烏が出て来て、その注釈があるところなど、ちゃんとしてると思いました。

暁烏敏 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%81%E7%83%8F%E6%95%8F

頁17に、日系人排斥の暴動に関連したと思われる描写があります。

頁21「1 子供たちよ」
 今はもう、なぜ自分はこちらにきたのか? などと考えることはなくなりました。霧が晴れたのです。そう、アナベルとジョニー、わたしたちはいま戦争をしています。その事実をわたしは忘れているわけではありません。忘れられるわけがないでしょう、わたしが生れた国とわたしが選んだ国とが戦争をしているんですから! それはとても信じられないことです! 平和を愛する人たちが長い年月のあいだ仲好くやってきていたのに! お祖母ちゃんはときどき夜中に目がさめると、泣いているんですよ。いいえ、自分のことを考えて泣いているのではありません。海外のどこかでアメリカ陸軍の歩兵として戦っているマモル叔父さんや、マモル叔父さんの戦友たちのことを考えるのです。多くの人たちがさまざまな辛いことや苦しいことをくぐり抜けようと必死になっているのです。戦争では、弱い人たちは倒れ、強い人たちが勝つのです。
 人生はときどきとても残酷であることを、やがておまえたちも知るようになるでしょう。戦争は非道なものです。もし戦争がなかったら、わたしたちは収容所に隔離されてはいなかったでしょう。サンフランシスコのマーケット・ストリートのわたしたちの家で、楽しくお洗濯をしたり、庭のお花に水をやったりしているでしょう。おまえたちは近所のお友達と学校に通っているでしょう。ほんとうに、戦争というのは怖いものです。個人の生活や希望をめちゃくちゃにしてしまうんですから。でも、戦争にもいいところはあるんですよ。
 どこにあるのかって、ジョニー? それはね、戦争がはじまったら、いろんなことをすばやく悟るようになるということなんです。ぐずぐずとぼんやりしていることが許されなくなって、自分から進んで自分の態度をはっきりと決めなければならなくなるということなんです。戦争のおかげでお祖母ちゃんは、自分の心がどこにあるのか、改めて知ることができました。驚いたことに、お祖母ちゃんのその決心はずいぶん前にできていたもので、戦争なんかで揺らぐようなことは少しもありませんでした。お祖母ちゃんにとっては、空はすっかり晴れわたり、太陽が輝いているのです。

これを読んで、当選したその日のフジモリ大統領に、
日本のみなさんに向けてひとこと日本語でお願いします、
筑紫哲也がおねだりして、フジモリがやんわりと、
私はペルー全体を代表とする立場に選ばれたわけですから、
日本語を話す能力も無論あれですが、ここはお断りしますと、
スペイン語で話した、それを国際関係の、どちらかといえば左の教授が、
見て義憤にかられ、移民と先住民のメルティングポットであるラテンアメリカの国家で、
多様な出自の国民が総意で選んだ元首に対し、
特定のエスニックグループの言語で話せとか早すぎるというかダメだろう、
デリカシーがないのか、と、筑紫に抗議の電話をしたことを、
思い出します。その後フジモリも毀誉褒貶が激しかったですが、
その時はそういうことがあった。たしか。それを思い出しました。
生まれた国と選んだ国、けだし至言と思います。以上

<関連読書感想>
2016-01-30
『ワインズバーグ・オハイオ』 (講談社文芸文庫)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160130/1454155334
2016-01-20
海炭市叙景』 (小学館文庫)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160120/1453287333