Tuesday the Rabbi Saw Red (The Rabbi Small Mysteries Book 5) (English Edition)
- 作者: Harry Kemelman
- 出版社/メーカー: Open Road Media Mystery & Thriller
- 発売日: 2015/08/04
- メディア: Kindle版
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- 作者: Harry Kemelman
- 出版社/メーカー: Fawcett
- 発売日: 1981/08/12
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【後報】
どうもラビ・シリーズは、原題がふたつかみっつ、意味をかけてる気もします。
パルゲンイに会った、とか、赤色分子に見えた、とか、なんとか。
学生紛争の話でもありますし。
昭和51年2月初版 訳者:青木久恵 装幀:勝呂忠
表紙裏
ユダヤ教のラビ、デイヴィッド・スモールに思いがけない電話がかかってきたのは九月半ば、大祭礼の直後であった。ラビたちの総会で初めて逢った一人のラビから、ウィンダミア大学で自分の代りにユダヤ思想と哲学の講義を受け持ってほしいとのことだった。デイヴィッドにいささかの戸惑いと不安は残っていたが、とにかく新しい経験として引きうけることにした。
新学期が始まり、ラビは不安と期待の錯綜した張りつめた気持で授業に臨んだのだが、学生たちの反応は冷ややかだった。講義の日が週末に当り欠席も目立つし、講義の内容にも極めて無関心のようだった。ラビ自身の落胆は大きかったが、学生たちの怠惰な気質はすぐにはあらたまりそうになかった。そんな時、一人の人気ある助教授が突然解雇され、教授や学生の間には俄かに不満が渦巻き始めた……ある金曜の午後、閑散とし人影もまばらな校内で、教務部長と学生の間で交渉が行われているまさにそのとき、辺りの空気を震わす大音響とともに爆発が起った!そしてその直後、研究室で発見されたヘンドリックスの死体! 教授が自分と同じ研究室で机を並べている間柄で、爆発事件と教授の死を結びつけるには余りに疑問が多すぎることもあり、大胆な推理を駆使しラビは真相の究明へと立ち上がった。現代本格ミステリとして根強い人気を持続するラビ・シリーズ第五弾。
ヘンドリックスって誰なら、と上を読むと悩むと思います。
同室の教授ヘンドリックスと、人気あるファイアード助教授ファインてのが、
似たキャラなので混同しました。
あと爆弾の真相が、ネタバレですが、フェイクというかなんちゅうか…
本作中のアメリカはすでにベトナムに突入、厭戦で、
主人公スモール・ラビは下の子も生まれているのですが、
前作でちょろちょろ出てきた長男も今回はロクに出ません。奥さんは出る。
頁135
ラビは短く笑って、「そんなふうに聞こえるだろうな。多分その通りなんだろう。これまでラビとしての能力に疑いを抱いた時にはいつも、代わりに教師になれると考えていた。いい教師になれると思っていたんだよ。ところが教師もラビと大して変わらないとわかってしまった。心穏やかじゃないよ」
前作はイスラエルに切り込んだ労作で、このシリーズは謎解きより、
ユダヤ人社会について語ることに熱心なので、ピュアな、
ミステリーファン的にはまだるっこしいとのことですが、私にはそれがよかった。
約束の地イスラエルより、流浪の地アメリカで生きることを選んだラビが、
教師という、心理的退路を塞がれる中でもがいて成長してゆく話が本編です。
教師としても最後は成功するし、世俗的な解決策が、いかにもユダヤ教とは、
本編にもあるとおりキリスト教的な理想的救済のお題目と程遠い、
世俗的現実的な解を提示する宗教、規範なんだなと納得させられます。
裏表紙の文章にある、金曜の午後のキャンパスが閑散とするのは、
週休二日制実現のアメリカで、学生は金曜午後の授業からエスカペイドして、
週末の遊びに走ってしまうから、という理由だそうです。
頁188
「昔は盗みと言えば、車や派手な洋服を買うためにやったものだったが、今の若者は古いポンコツ車を乗り回し、着るものもヨレヨレ。そう考えると、理想主義者の集まりのように思えるが、とんでもない。彼らが二千ドルもするステレオを持ち、一日百ドルもかかる麻薬をやっていることを警察関係者はちゃんと知っている」
ウィンダミア大学というのは、市中の大学で、昔は女子校で、
正式名はウィンダミア・クリスチャン・カレッジ(頁32)で、
しかし、クリスチャンでない、血族的にはユダヤ人だが、
ユダヤ文化にそれほど親しんでない学生も(親が教育熱心だからか)増え、
それがラビの講義のニーズになっている、ということです。
金曜午後の授業ですが、ギリ安息日には間に合うようです。
この本で、ページは忘れましたが、安息日には本も読まないとか、
平日はタバコが吸えるのに安息日は吸えないのでニコチンがあれで、
結局禁煙したとか、どんどん安息日ってあれねー的な情報が得られ、
困りました。大変ですねユダヤ教のオーソドックスというか、そういう人は。
頁129
「一杯十セント」と彼は穴のあいたボール箱に二十五セント銀貨を落とした。「無監督制度ですよ。いや、あなたの分は払いました。ちょっと色を添えてね」ラビが小銭を出そうとすると、彼はそう言った。「時には忘れることもありますからね。コーヒー委員会の報告によると、一セント銅貨やボタン、時には無署名の略式借用証書まで時おり入っているそうですよ。おたくの教会の献金皿も同じなんでしょうね」
「私たちは献金皿を回しません。安息日に金を持ち歩くことは禁じられているのです」とラビ。
「そりゃあ、いいことだ。礼拝ごとに集めるわれわれのやり方は、いかにも商取引、神に対する報酬みたいですからね」
全然関係ないですが、この本は、カフェテリアを、キャファテリアと書いています。
ネイティヴの発音はそう聞こえるのでしょうか。
https://ja.forvo.com/word/cafeteria/#en
頁171 バートンという教師のセリフ、途中から。
ラビ・スモールにヘンドリックスを反ユダヤ主義者と思うかって聞いたことがあるんですよ。そうしたら思わないって。もちろん、聞いたのはヘンドリックスが死んだ後でしたから、ラビはデ・モーチェイスとお思いになったのかもしれません……あれはヘンドリックスのための追悼礼拝が始まる直前でした……あら、ご存じかと思ってましたわ。よく言う言い方でして、ラテン語です。デ・モーチェイス・ナイル・ナイサイ・ボーナム。死者について良いことだけを言えっていう意味ですわ」
ラビ自身、別の個所で、ユダヤ人になりたいチャンネーに対し、
ロムルスとレムス、だったかな、ローマ人の始祖だかトーテムだかを、
引き合いに出して説得する場面があります。なれないからやめんさいよ、的に。
頁241
「私がそう思わせたんじゃない。私はユダヤ女性以外と結婚する気はないとまで言ったんですよ。本気で言ったんです。信じますか?」
ラビはちょっと考えていた。「ええ、信じますよ」
「驚きませんか?」
「いいえ」
「私には驚きですよ」彼は椅子にドサリと戻った。「筋が通らない。だが本当なんです。この私は現代的で、開けていて、知的で、それにどう謙遜したって、頭がいい。理性では、宗教とか、祈り、信仰――そういったものは全くのナンセンスだと思うんです。すみません、ラビ。しかしそう思うんです。それなのにユダヤ女性と結婚し、ユダヤ人でない女とは結婚する気になれない。両親を動転させたくないためかもしれないが、といって私はそれほど両親とのつながりが強いわけではない。ばかげているでしょう?」
「それほどばかげてもいませんよ」とラビは答えた。「ユダヤ教とはさっぱり手を切ったのに、家で肉を食べる時にテーブルの上にバターを置かせないユダヤ人がいます。胸がむかむかしてくると言うんです。それなのにレストランでは、しょっちゅう肉とバターを一緒に食べている」
「関係がよくわからないですね。いや、わかるような気がします。どんなに合理的な人間も、ある種のことでは非合理になると言われるんですね」
楽しいラビ・シリーズも邦訳はあと二冊。(FAQも入れると三冊)
合衆国ではその後も四冊出てるので、残念びんしけんですが、
いとおしんで読むことにします。
https://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Kemelman
日本へのアメリカユダヤ文化の紹介というと、
まず米谷ふみ子がぱっと出てくると思うのですが、過ぎ越しの人は、
アメリカ一般の紹介も、お子さんのことなどの紹介も、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%B0%B7%E3%81%B5%E3%81%BF%E5%AD%90
あわせててんこ盛りなので、米国ユダヤ社会が、原理主義への接近具合で、
おおざっぱに言っても3つに分けられることなど、書いてはあるんでしょうが、
見過ごしてました。このラビ・シリーズと、読むの中座したハーレクイン的な、
シリーズとで、フィクションという視点で、おだやかに学び直してる気がします。
あと二冊かー、英語だとその後も四冊あるのに。
変な名前のパブシリーズもそうですが、続けるものは続けてほしい、
そんな気もします。須賀田さんは全作邦訳されてて、よかった。以上
(2017/7/27)