『子規・遼東半島の33日』読了

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三月書房ホムペによると版元の短歌新聞社は2011年12月末廃業。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/tubureta/tubureta.htm
短歌新聞社の特価本
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/tanka/tannkasinbun.htm#

厚木市立図書館に行ったら、正岡子規生誕150周年コーナーがあり、
そこの目玉になっていた本。厚木は中文書籍を置いて貸し出してるので、
潜在需要があると思ったのか。さらっと館内で読んだだけで、
装幀が誰とかは控えてこなかったので、分かりません。

作者も松山の人で、終戦後大連から引き揚げてきたそうで、
なので、大連での中学同窓会とその前年のメメントモリ紀行を、
子規従軍の時期にあわせて敢行、かつての同級生もまじえ、
現地取材してこの本を書き上げたそうです。

なので、子規が上陸最初の晩、現地人といっしょに泊まったとこは、
民家ということだが、四合院づくりのそれなりの家ジャマイカ、とか、
(ここは子規の私小説では、チャンはくさいというがちがふ、みたいな文)
シャコがうまい季節なので子規もとれたてのシャコに舌鼓打ったのではないか、
とか、(現地料理店だかローカルがにんにくくさいという記録はある)
作者の同級生が山東大漢のいい奴だったみたいで、いい奴が出てくると、
きっと來自山東に違いない、と書いてみたりとか、けっこう色があって、
面白かったです。当時は兵隊の世話だけでも大変なので、従軍記者は冷遇され、
子規は帰国時吐血を吐けなくて飲み込みながら帰ってきたそうです。
コレラも流行していて、従軍中にやっと落ち着いたとか。
っても、子規が辿り着いた時期は、馬関講和を待つばかりの時期で、
大連はまだロシア進出前なので影も形もないので、金州をうろちょろ、
数日旅順を観光、といった感じだったそうです。作者は、
非開放区だが条件付きでぶらぶら出来る時期に旅順見てます。

で、私が特にメモったのは、子規でなく、鷗外の句で、

もろこしを綻びさせて梅の花

二十八年元旦 鷗外

で、ございました。以上