「セールスマン」(原題:فروشنده  ←フルーシャンデ "Forušande"と読むようです)(英語タイトル:The Salesman)劇場鑑賞


サスペンス映画なので、夜最終回行ったですが、寂しかった。
厚木なので上映前にスタッフが小ネタを教えてくれるです。
主人公たちは劇団員で、劇中上演するアーサー・ミラーの、
セールスマンの死」とかけてる。イランの社会状況も。
と言ってましたが、正直、ラスト30分くらいまで、うそだろ、
ボリス・ヴィアンの『北京の秋』が北京とも秋とも関係ないような、
そういうたぐいだろ、と思いながら観て、しかし、きっちり最後、
タイトルどおりカタにはめてきたので、成る程と思いました。


主演女優の人は、上の画像が一番炉利っぽく写っていて、
さすが日本に来ると誰でも炉利っぽくなるのかと思いました。

公式:http://www.thesalesman.jp/
アミューあつぎ映画.comシネマ:http://atsugieiga.com/forushande/
(今気が付きましたが、厚木のURL、フォルシャンデですよ、カッコイイ)
فروشنده の発音 ペルシア語 Forvo
https://ja.forvo.com/word/fa/%D9%81%D8%B1%D9%88%D8%B4%D9%86%D8%AF%D9%87/#fa


劇中ではこのくらいのオトナな顔です。

最初にタイトルやキャスト、監督などのペルシャ語ロールが出るのですが、
それにまったく邦文字幕を重ねてないので、まずそこが、あれっ、でした。
字幕の齋藤敦子さんは検索すると実力者で、英仏両語の映画やってて、
何故かタイ語映画のプンミおじさんとかもやってるので、なんで、
この映画ではペルシャ語ロールに日本語かぶせないんだろう、
なぜにこないなことになっとるのやろう、と思いました。
英語か仏語台本からの翻訳で、ペルシャ語にあたってないのか、なんて。

齋藤敦子(サイトウアツコ,Atsuko Saito)の映画作品 Movie Walker
http://movie.walkerplus.com/person/74618/index.html


映画公式も、キャスト表記が、結婚しても姓が変わらないイランなのに、
奥さんが夫の姓で、あれって感じでした。往々にして、欧米絶賛のオルタナは、
そういうアラが目につきがちなので、やっぱり目についたと思いました。

パンフ買うの忘れたので、歴史的事実とか文化とか、
記憶だけで突っ走って書きます。で、後報で補正します。

ちなみにイランは賭け事禁止で、トランプの持ち込みも所持も以前は禁止で、
国境や空港でトランプ見つかると、税関だかコミテだかに没収され、
目の前でびりびりに破かれることもありました。今は知りません。
エロ本も没収されますが、こっちは破かれません。
酒はどうだったかなあ。大麻も死刑のはずで(違ったかな?)、
ただ、この映画ではそんなの描いたら上映出来ないでしょうけれど、
国内けっこうガンジャはアレです。酒のほうが戒律で厳格にダメなぶん…
喫煙シーンがないのはよく分かりません。ハリウッドと歩調あわせてるのか。
この映画のポスター、
日本と欧米とイランと
見比べますと、
チャドルがはっきり
判るのがイラン、
全然分からないのが
欧米、日本は中間、
といえると思います。
ヒロインのは、
チャドルというか、
スカーフだろうと、
言ってしまえば
そうですが、しかし、
これは以前からだと
思うのですが、
イランって、前髪
出しますよね。
アフガンのブルカや、
アラブの名前忘れたや、
東南アジアのヘジャブと
そこ違うと思います。
前髪出すから、
スカーフって言われても
全然違和感ない。
私のイスラム女性の
最初のコンタクトは
回族ウイグルですが、
ウイグルもけっこう
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/fa/thumb/5/57/Forushandeh.png/330px-Forushandeh.png前髪オッケーなスカーフなので、
私にとってイスラム女性とは
前髪出してるもので、
後年東南アジアのヘジャブ見て、
観光地の書き割り記念写真
というか、ジャミラというか、
という率直な印象があり、
なんで前髪出して輪郭
作らないの?と、
今でも非常に不満です。
戒律的な細かいことは
忘れましたが、
シーア派
スンニー派
違いという
訳でもないでしょうし、
単に、ムスリム
ひとくちに言っても、
実態は多様である、
としか、言えないかなと。
で、ヘジャブで
顏以外ぜんぶ覆ってる
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/8c/The_Salesman.pngマレーシアやインドネシアが、
男女共学で、
前髪オッケーな
イランは男女別学で、
私はテヘランのホテルの
プールで、男しかいない、
しかもなまっちろい
(毛深くないのか!!)
のを見て、ホモソーシャルにも
程があると思い、
同性に痴漢された記憶が蘇り、
プール入らなかった、
思い出があります。
前髪オッケーどころか、
なんか被り物してれば、
いちおう面目が立つようで、
だからセールスマンの死で、
娼婦役の女性がつばの広い
帽子被ってて、逆に言うと、
無帽の女性はいない。
主人公たちインテリだけでなく、
街のパン屋さん、
ワーキングクラス、
ブルーカラーの女性も、チャドルはもう少し質素な漆黒ですが、
(でも柄が入ってる)やっぱり前髪出してるので、
これはもうファルシーの文化だと勝手に思いました。


この映画のお話は、非常にどこの都市でも起こりうる話で、
前の住人がオトコとアレする女性で、その客が、集合エントランスの番号か何かは、
知っていて、ドアベル鳴らして、妻は夫かと思ってドア開けてシャワー浴び続けて、
そんで、という話です。私は、よく話に聞く、米国男性がマオトコに対し、
どういう報復に出るか、を連想し、これってイスラム関係ないよな、
フェミ的に言う、女性を男性の所有物と考える社会のステレオタイプだよな、
と思いました。勿論主人公は思いやりがありますし、ワイフを自分の所有物とは、
考えてないだろうとは思うのですが。しかしこれは、民族宗教を越えた、普遍文化だ。

だから欧米版トレーラーは、マッチョというと言い過ぎですが、
キリッ な主人公のかんばせでごわす。日本のトレーラーは、
おんなの顔の、疵。イランのは下記。

心理サスペンス映画に文化の違いなど些細なこと、
この映画は欧米映画とどこが違うのか。
…と言い切りたくなる、それくらい欧化したテヘランを描いてますが、
テヘランの欧化はパフレヴィー朝で深化したもので、
私が一ヶ月だけペルシャ語を勉強した時、先生が言っていたのですが、
欧化したテヘランだからこそ、イスラムの伝統、原理を持ち出された時、
誰も反論出来なかった。だからイラン革命は成就し、農村の都市包囲は完成した、
と。アメリカは、アフガンのことがあるから、イランの共産化を懸念してたと、
思うのですが(私が讀んだソ連日本進攻もの仮想ノベルズでも、
イランはドミノ理論で赤化した)コミュニストに対しては、
イランの資産家はじゅうぶんに理論的に対抗出来たわけです。
しかし、イスラムの神学に対しては、そうではなかった。

私は、大都会テヘランの物語を観に来たので、
クレカ払いとかスマホとかパスタとか、
セールスマンの死、というかつての(今も?)敵国アメリカ演劇を堪能し、
悪魔の首輪とか呼んでたはずのネクタイをしめて、
アメリカ人を演じる俳優たちと観客を観て、やっぱり、
イランは豊かな国だな〜と思いました。底力があるんですよ。
アッバス・キアロスタミみたいなイランもイランですが、
都市のイランはもうなんてゆうか、ブールヴァードの場面ありますが、
あれが整備されたのはパフレヴィー時代のはずで、
どこの都市にも中心部にはまあるい道と広場、故障中の噴水がある。
で、氷の塊をブチこんだ四角い金属の箱と、鎖でつないだ金属のカップがあり、
のどが渇いた人はそこから水が飲めるようになっている。
もちろん不潔だと思う人はチャイハネに行って、紅茶でも、
緑茶でも飲めばいいわけで。戦時中は、砂糖が欠乏してたので、
角砂糖なんかを齧りながらお茶を飲むその砂糖が、純度40%くらいな感じで。
あと、パンが、フスマが入ってるような感じのパンでしたが、
サブウェイのパンも似たようなパンなので、その点でも、
アメリカとイランの類似を感じてしまいます。
話を戻すと、欧化され、近代化されたイランは都市部だけであり、
広範な農村部との格差は拡大するいっぽうでしたが、
アヤトラ・ホメイニは、サウジだかトルコにいたですが、
政治駆け引きの道具として飼われてはいたですが、自由な活動は制限されており、
それが、最後の二年くらい、パリにいて、おフランス言論の自由保障ですから、
やりたい放題短波放送でアジりまくって、それで革命が加速した、と。
フランスがのちに私はシャルリとかになる、序章でしょうか。
日本にいると日本に出稼ぎに来たイラン人しか知らないと思いますが、
私もそれしか知りませんが、聞くところによると、ロサンゼルスの、
イラン人コミュニティーとか、全然欧化の極みらしく、
それと上野公園の、ノービザの出稼ぎとは全然違うのでしょう。
だってアーリア人だから、宗教除いたら、変わらん。白人や。南の。

日本は三井石化があったから、石油大事だから、最後までイランと、
關係切らなかったし、テヘランには瀬里奈があって、
冷凍マグロだけですが、鮨も食えたし、
だからイラン人もビザ相互免除利用して出稼ぎ来たですが、
勿論偏見や軋轢も数多く発生したですから、親日になんか、
さしてなってないですよね。バーターの範囲でだけ、交際する。
身も心も捧げるような親日なんて、ありえない。
http://media.ws.irib.ir/image/4bk6109b7d2e5d8i6v_800C450.jpg
http://parstoday.com/ja/news/iran-i10870
そういう考え方が、後半の、平トラ借りる場面だと思います。
ここはイラン独自の事情だから、ほかの文化の人には分かり難い気がする。
欧米の制裁で經濟が苦しかった頃、車は貴重な資産でしたので、
誰でも手を挙げれば止まる、白タクでした。誰でも金払えば、
止まってくれた。そして産油国なのでガソリンは安い。こういう時代があって、
主人公は見ず知らずのパン屋に平トラでの単発仕事を持ち掛けることが出来、
パン屋も娘婿は若い世代ですから、レンタカー借りて呉、
と言い切れるわけですが、古い世代、昔を知ってる世代は、
条件が折り合えば、受けるわけです。ここで、セールスマン、
個人商店、そうなんだ!タイトルがパシッとハマった、と思いました。

二重写し。伝統と都市化の並列。どれが伝統で何が都市生活か。
生きるのに一生懸命だと不分別になりがちですが、
この映画のように鮮やかに切り取られると、やられたと思います。
で、私の知る数少ないペルシャ語のことばに、
「ホダー、ハーフェス」(さよならだったかな)があり、
この映画、さかんにそのセリフが出てくるので、
なんでだろうと思いました。サラームちう挨拶は、
ザオシャンハオ早上好をザオ!と縮めていうようなものかと。以上