『ラビとの対話』読了

Wecat Plus
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/1693233.html
昭和57年12月31日初版
装幀 真鍋 博
巻末に滝川義人*1
ユダヤ人の日常」

本編はハヤカワの
ポケミス及び
文庫ですが、
このスピンオフは
ハードカバー。

この巻で邦訳おしまい
ということで、
残りも読みたかったな、
と残念です。
私がここで感想
書いてるシリーズもので、
最後まで訳されたのは、
須賀田さんくらいで、
エリオット・パティスンの、
チベット労改に収容された
漢人探偵がチベット
辺境を旅しながら
党や軍の幹部殺人事件を
解決するシリーズ*2や、
マーサ・グライムズの、
変な名前のパブシリーズ*3
そしてこれ。みんな途中で
邦訳が途切れました。

読み続けなかったのですが、
創元推理から少し出て、
その後ハーレクインの所から
邦訳が再開された、
フェイ・ケラーマンの、
米国ユダヤ人社会の、
バツイチ男女の
(男は刑事)恋愛もの*4は、
この小説が設定の
インスピになった気がします。

単なるユダヤ人入門でなく、
小説としても、
ちゃんとできている。
前にも書きましたが、
米谷ふみ子とは、
また違った切り口の、
ユダヤ人社会指南です。

これが書かれたころと、
バブル以降私が接した
イスラエル人は全然違ってて、
どちらかというと私は、
スピルバーグ
「ミュニック」で、
イスラエルと決別して、
米国社会の一部としての
ユダヤ人として生きていこうとした、
その気持ちに共感出来るくらい、
「その後のイスラエル人」
のアクの強さに辟易してました。

この本のユダヤ人小ネタの豊富さは、
勿論期待を裏切りません。
頁56、遺族のカディシュは
アシュケナジーだけの
習慣でスファラディはやらない。
頁182、中絶に関して、
受胎の段階から胎児を
人間として見るカトリックを出し、
その見方に対し、ユダヤの論理は母体優先として示される。
頁183、11世紀にラベヌ・ゲルショムが一夫多妻廃止の布告を出すと、
アシュケナジーはすぐ従ったが、実際には彼らも一夫多妻はあまり多くなかったろう。
頁196、包茎手術を既に受けた人間でも、ユダヤ教に改宗する場合、
再度儀礼的に割礼して血をちょっぴり流す必要がある。等々

頁113
(前略)われわれはまだ血の残っている肉を食べることも禁じられています」
「おかしいですね」とアロンが言った。「なぜ、いけないんです」
「聖書によれば、血は生命であり、神のものだからです。このことは繰り返し指摘されています」
「でも、どうしても血はいくらか残るでしょ」とジョーンが反論した。
「それはそうです。だから主婦は、コウシャーの肉屋から肉を買ってくると、肉を冷たい水に漬けます。そうすると血は表面に出てきます。肉に粒のあらい塩をたっぷりまぶすと、塩が血を吸収します。その塩を洗い落とせば、もう料理することができます」
「レア・ステーキはだめね」と、ジョーンは悲しそうに言った。
 ラビは首を振った。「レア・ステーキはいけません。
(中略)
「まだあるんですか」
「われわれは、動物の後四半部は食べません」
「そうですか? どんな動物のも?」ジョーンは信じられないというように、目を大きく見開いた。「でも、そうすると、ランプ・ロースト(ランプはしり肉)も、ランプ・ステーキも――」
「そうですよ。小羊の脚もキドニー・チョップもだめです」
「でも、なぜ、いけないんです」

(中略)
「ラビ、ユダヤ人であることはむずかしいですね」と、ジョーンは考えこむように言った。

乳製品と肉の器を分けるとか、猛禽類は食べないとか、
えらとうろこのない水産物は――とか、そういう話の流れでこうなってます。
中国には清真の血豆腐がありますが、イスラムはどうなんだろうと思いました。

頁115
「血に関する規定は、重要な戒律が違反されるのを防止するために、神がお作りになった一種の垣根のようなものです」
「どういう意味ですか」
「食通は、ウェルダンの肉を軽蔑するらしいです。レアのほうがいいんですね。生肉をとてもうまいという人さえいます」
「タルタル・ステーキ――うーん、たまらない」とジョーンが言った。
「それだ」とラビは言った。「あなたは生肉が好きなんでしょうね。
(以下略)

この後、後四半部のタブーは、実際には、腿の腱だけで除けば、
あとは食べてもいいという種明かしがあります。

頁90
「その必要はありません。ユダヤ人はキリスト教の歴史を通じて、ずっと同じような反応を引き起こしました。ユダヤ人は頑固で強情で、イエスの神性を認めることを拒否してるというのが、長い間、キリスト教の公式な態度でした。そして、イエスをわれわれと同じ人間だとしてることが、いっそう非難の的となってたのです。今日に至るまで、大多数のキリスト教神学者は、ユダヤ教キリスト教と別個の宗教ではなく、キリスト教の一つの原始的な形で、無知、もしくはたぶん恨みが、われわれが次の論理的行動をとるのを妨げている、という見解をとってます。キリスト教神学者のリベラル派は、われわれユダヤ人が長い間、キリスト教会に苦しめられてきたことを認めますが、二つの宗教ははっきりと別個のものであるばかりか、教理的にも相反してるものだという、われわれの見解を受けいれる者はきわめて少数です」

頁74
「“神の選民”という言葉は、あなたがたに不快感を与えるんですね」
「たくさんの人が不快に感じます」とアロンが言った。
「それはたいていの人を腹立たせる、一種の狂信的な排外主義を意味するからです」
「にもかかわらず、キリスト教徒は、平気で選民気取りをしましたね」と、ラビは顔をしかめて言った。
「どういう意味ですか」
キリスト教の理念は、ユダヤ人が選民だったことを否定しません。彼らの意見はこうです――われわれユダヤ人は、キリストを受け入れなかったため、地位を失った。そしてキリスト教徒と新しいイスラエルが選ばれた。しかし実際には、こうした考え方は、何らかの形で各国民に共通してます。古代のギリシャ人は、彼らは無比な国民で、彼らだけが文明人だと考えてました。そして他の国民はすべて、野蛮人だとしました。さらにアテネ人にいたっては、彼らこそギリシャ世界での選民だと考えました。このことは、ペリクレスの有名な演説によって示されています。ローマ人は“パックス・ロメイナ”(ローマが強制する平和)を持ってました。イギリス人は“白人の負担”を引き受けるのは彼らの義務と考えました。現代ではアメリカが、世界に民主主義をもたらすのは彼らの役目だと考えてます」
ソ連が、世界を共産主義に変えるのは、彼らの役目と考えているように」と、アロンは付け加えた。
「そのとおり」ラビはうなずいて、言った。「現在われわれは、神はわれわれをお選びになり、われわれは神の戒律に従う義務を、自発的に負ったというわれわれの伝統を守っています。それは要するに、われわれは周辺の諸国よりも高い道徳的、倫理的基準に束縛されることに同意したことを意味します。懐疑論者や無神論者たちは、それはわれわれの途方もない誇大妄想で、神は何も関係はなく、われわれは自分たちの倫理的基準を仮定するのだ、と言うかもしれません。よろしい。神がわれわれをお選びになったという最初の命題を、疑っても否定しても結構ですが、第二の命題――われわれが責任を負ったということは、否定できません。それは歴史的事実です。あるいは、われわれは神に選ばれることを選んだ、と言ってもいいでしょう」
 ラビは椅子の背にもたれた。「われわれの伝説の中に、神は最初、戒律を世界じゅうの人びとに提示したという話があります。すなわち、神は“選ばれる”チャンスを彼らのすべてに提供したんです。そして彼らがみんな拒否したときに初めて、小さな、力のないユダヤ民族のところに来られたんです。ただひとつ付け加えて言えるのは、たいていのユダヤ人は、もし神に選ばれなかったら、人生はもっと楽だったろう、と思ってることです。彼らはそれを、高い倫理の責任を自発的に負ったことと認識してます。あなたが初めてわたしに会いに来たとき、わたしが強調したのはその点ですよ、ジョーン」
「でもあなたは、提言の最初の部分を否定しないでしょ」と、アロンが追及した。
「否定しません。わたしは無神論者じゃありません。それに、否定しては筋が通りません。小さな、力のない民族が、なぜ、負う必要もない責任を負うのでしょうか。それこそ、いっそう信じがたいことです」

ずっとこんな感じです。

頁231
「しかし、そうなんです。ゴールドスタイン、ファインゴールド、ローゼンウィーグなどという苗字は、本当はユダヤ人の苗字ではありません。ユダヤ人は苗字をとくに選ばねばならなくなったとき、そういう苗字は聞いた感じがいいし、よいものを意味するので、そういうのを選んだわけです。しかし、コーヘンやレヴィはユダヤ人の苗字です。(以下略)

Conversations with Rabbi Small (The Rabbi Small Mysteries)

Conversations with Rabbi Small (The Rabbi Small Mysteries)

"Conversations with Rabbi Small"
以上
【後報】
カバー折返しのあらすじ紹介文。

避暑地のホテルで休暇を楽しむラビ・スモールの部屋に、ある夜一人の若い女性が訪れてきた。ジョーンという名のその女性は、ユダヤ人の青年アロンと結婚する前にユダヤ教へ改宗させてほしいと頼みにきたのだった。もともと宗教にはそれほど興味がなさそうで、ユダヤ教キリスト教の一分派程度としか考えていないジョーンに対し、ラビはユダヤ教の内容をわかりやすく説明しはじめた。次の夜からはアロンも加わり、ラビが解き明かすユダヤの叡知、その驚くべき合理性に魅入られたように耳を傾け始めた――

二千年にわたって世界各地に離散し、数数の迫害を受けてきたユダヤ人たちが、実業界をはじめ様々な方面で頭角を現わし、四面楚歌の中でイスラエルを再建した驚異的な力の秘密は何だったのか?この民族の強固な信念、徹底した合理主義を理解するためには、ユダヤ教という特異な宗教を知るのが欠かせない条件であろう。
ラビ・シリーズ七作で数々の難事件を解決した、ラビ・デイヴィッド・スモールの明晰な頭脳が、門外漢の若者の疑問に答えつつユダヤ教の本質を明かす本書は、格好の“ユダヤ人入門”の書である。

(2017/10/24)