『「個人主義」大国イラン: 群れない社会の社交的なひとびと』 (平凡社新書) 読了

新書786「個人主義」大国イラン (平凡社新書)

新書786「個人主義」大国イラン (平凡社新書)

以下後報
【後報】


みんなが勝手に我が道を行っても、なぜかまわるシステム
組織になんか縛られない 勤めていたってフリーランス
いきづまったらいつでも転身 同調圧力などどこ吹く風
制度よりも人のつながり

すがすがしくてめんどくさい、日本とはまるっきり別の社会関係を、あざやかに、そしてユーモラスに紹介!

人間が組織に縛られないで生きるとはどういうことか、といういくつもの興味深い実例を、中東の大国イランでは観察することができる。「個」が前面に出た社会。この強烈な「個」たちは、けっして孤独ではない。社会が組織化され、マニュアル化されていないので、一人一人が毎日たくさんの人と絶え間なく交渉を持たなければ、買い物一つ満足にできない。孤独でない「個人主義」の大国――イランという異文化社会では、「これもありなんだ」という不思議な安堵感が、ふつふつと湧いてくる。
帯の傍点箇所を太字にて表現しました。

カバー折
成員個々の力の総和以上を効率的に実現すること、
それを可能にするのは連携・協力のための組織化である。
だから、組織に属し、組織に従うのは当たり前――
このニッポンの常識は、イランでは通用しない。
ひとびとはみな独立独歩を好み、非効率など意に介さず、
いたるところで猛烈な社交力を発揮して交渉する。
群れないけれどけっして孤独ではない「個人主義」、
こことはまるで別の社会、別の生き方を提示する。

まー提示されても、日本で成長した人がそっちに適応するのは、
また苦労が多いんじゃいかと思います。本書には烏義などの中国製造業界、
中国ビジネスも登場しますが、イラン人からすると中国人も規律を守って、
まじめなんだそうです。日本人からするとそうは見えないわけですから、
どれだけイランは遠い国かと。

頁19 はじめに
 イラン社会をずっと観察し続けていると、じつにいろいろなことに目を開かれる。しかしそれは、たとえば「かつて日本人も持っていた伝統的な生活スタイルだ」と感じさせるようなノスタルジーとはまるで違う。むしろ真に異質な、未知の価値観との遭遇に近い。しかしそれでいて、快く、新鮮な驚きがある。

イラン都市の現代生活を描いた映画を観たので、何か読もうと思い、
アマゾンではもう関連商品がばんばん出るのですが、芸人さんの本と、
これを読むことにして、これは図書館に蔵書がないので買いました。
芸人さんのほうは貸し出し中の蔵書をリクエストしましたが、
借りてる人が、ばっくれてるっぽいです。その他関連商品には、
どんな国のどんな人種とも、結婚する邦人は従来からいましたが、
そうした人の中に、エッセー漫画を描いている人が必ずいる、
21世紀の現状があり、イラン人は知り合う機会も出稼ぎ多数時代は、
多かったでしょうから、当然エッセー漫画出てるのですが、
アマゾンレビュー読んで、止めてます。
あと、若い邦人留学生のエッセーもありましたが、未読。
本書著者が、東京外語大出身で経済専攻で、90年代から定点観測、
現地調査、現地生活を断続的にしている、しかも女性ですので、
これ読めばいいやとこれだけにしています。

頁24 第1章 グローバリズムの蚊帳の外 口上手なひとびと
 久々に海外から帰国した友人が、ちょっと値の張る化粧品を買ってきてくれたとしよう。彼女はおもむろに包みを取りだし「ガーベレ・ショマー・ナダーレ(あなたの前ではいささかの価値もない物ですが)」とにっこり微笑む。頂戴するほうは「ヘジャーラタム・ミディー(わたしに恥をおかかせになるなんて)!」と大いに恐縮して見せる。

これは「ターロフ」と呼ばれる一種の修辞学だそうで、
真に受けないことが前提で、ツーといえばカー、
のように、応答にはほとんど定石があるそうで、
頁25、むきだしの対立を隠し、穏便な人間関係を演出するのに大いに役立っているのだそうです。
でも、上記の恥の部分とか、価値のないものを押し付けられたら、
確かに恥をかかされたわけですが、恐縮する必要はないと思うので、
ぜんぜん分からないです。と思ってターロフで検索したら、
論文も出た。京都人以上にゴッツンするんだろうな、と。

2015年千葉大人文社会科の論文
Taarof(ターロフ)場面における談話管理:ペルシア語母語話者
と日本語母語話者の接触場面と内的場面の比較から
Discourse management in Taarof situation: Comparing internal and
contact situations between Iranians and Japanese

http://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100416/BA31027730_292_p015_AKB.pdf

で、著者は、イラン経済のナニを専門に定点観測してるかといえば、
いとへんで、90年代の、経済封鎖やら関税障壁やらの時代の、
零細企業が多数あってバザールがあって、のイラン伝統世界での、
オーダーシステムや流行とデザインの関係、問屋、小売、売掛、もろもろを、
一度網羅してアタマに叩きこむまでした上で、21世紀、自由化後、
大量の中国製品の奔流で国内零細企業壊滅と再編に至る同時代史を、
これまたその時現地で暮らした経験も踏まえ、きちっと総括、結論に導いてます。
よい本だな〜と思いました。要するに、安かろう悪かろうは国産中国産を問わず、
いずれ淘汰されるという当たり前の展開を支持してるだけですが。

頁39の乗り合いタクシーは、いちげんの外人旅行者である私は、
分からなかったです。ほんとに走马观花だったんだなと。
頁69で、チャードルとのばしてはいますが、チャドルが出てきて、
もうそれだけでうれしかったです。イスラム世界の女性のかぶりものは一律、
ブルカだ、とか、ヒジャブだ、とか、そういうのうんざりなので。
イランはチャドル。

頁77、いとへんなので、作者は日本での業者集中地帯として、
岐阜をあげてるのですが、これもよかった。私もFC岐阜戦観戦ついでに、
駅前の問屋街がシャッター通りになってるのとか歩いたことあります。
岐阜市高島屋もあるし大衆演芸場もあるし、産業で賑わっていたんだなあと。

日本帰りのイラン人の挿話として、頁134、押しが弱いがゆえに、
帰国後もテヘラン在住日本人から気に入られたかつての青年と、
作者がテヘランで、技術のある美容師にめぐりあえず、
というのも、ウェーブのかかったイラン人女性の頭髪は、
ざっくりでもそれなりに美しく仕上がってしまうのですが、
日本人は直毛なので、同じ程度にやると、ザンバラというかザンギリというか、
オカッパというかとにかく駄目で、そんな時、
東京(といっても田端)で六年も辛い修業をしながら、
ここで帰ってはすべてが水泡よと叫ぶセンセイに、
やはりカエリマスと言って帰った美容師にめぐりあう話を、
紹介してます。ヨカッタデスネ。たんたんと挿入される話が、
乾いてきもちいい、テヘランの風のようでした。(湾岸部やカスピ海除く)

頁170、タクシーの個所もそうですが、ここで、お茶うけの砂糖が、
ガンドと呼ばれる、サトウダイコン(テンサイ)から作られる、
固いものだと書いてあって、おおいに脱帽しました。
パキスタンだかトルコだかでは、角砂糖そのままだったので、
それが正しいと思いこんで、イランは戦争と経済制裁で物資不足してるので、
まじりものを入れてかさましした砂糖を使っているのだと、
思いこんでました。違った。旅行者は、おうおうにして、
旅行だけの印象でその国を語ろうとし、そのインフォメーションは、
おうおうにして、不正確です。なので、信頼出来る書籍等で、
後日、理解を深め、誤認識を修正し、誤解を解いて、
その国と相手への偏見を軽減して、旅の思い出をよいものにしてゆく。
その作業をはたして今回も行ったのだなあと思い、
ちょっと、幸せなよい時間を、読書を通じて過ごせたと思いました。
以上
(2017/11/8)

あと、この本に挟まってた新刊案内が、別冊太陽の妖怪ハンター2刷だったので、
それも得した、もうけ、と思いました。

2015-07-01
諸星大二郎妖怪ハンター』異界への旅』 (別冊太陽 太陽の地図帖 31)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150701/1435755575
(2017/11/8)