『キャンディとチョコボンボン』 (小学館文庫) 読了

キャンディとチョコボンボン (小学館文庫 おE 2)

キャンディとチョコボンボン (小学館文庫 おE 2)

大矢ちきの漫画を直接そうと薦められたわけではありませんが、
そんな感じで、知らない漫画家さんでしたので読みました。
たぶんそのままだとあまりアレなので、下記権威に頼ります。

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%A1%E3%81%8D

作品[編集]
大矢(漫画家時代の表記)は少女漫画に「マニエリスム」と「化粧」を導入した人物であると米沢嘉博は評した。『キャンディとチョコボンボン』『おじゃまさんリュリュ』などのラブコメディで、大矢は登場人物の少女に化粧という様式を加えることにより自身の世界を構成したという。また、大矢の描いたエロティシズムを感じさせる男性像は、山岸凉子の描く『アラベスク』のユーリ・ミロノフへ影響を及ぼしたばかりではなく、その後生まれる「美形ロッカー指向」「美少年指向」「デカダン指向」などへの流れを作ったとしている。[5]

●カバーデザイン/小松美代子+ベイブリッジ・スタジオ
岸田劉生の麗子像へのオマージュではたぶんないと思います。表紙。
二刷です。リュリュのほうは品切れですが、何刷までしたのか。
エッセイ(巻末の、解説的な位置付けの文章ですが、エッセイと題してる)文月今日子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9C%88%E4%BB%8A%E6%97%A5%E5%AD%90
このエッセー読めばだいたい分かる感じで、愛知芸大卒なので基礎が出来てること、
アメリカ製ルマ・カラーインク(日本製の3倍の値段)使ってること、
私は漫画の紙なんてケント紙しかなくて、ウケ狙いでかまととぶる人が画用紙と、
思っていたのですが、消しゴムにも強いキャンソン紙を使うとか、
(たぶんカラーの時なのかな)ぜんぶ書いてくれた感じです。

Yahoo!知恵袋 2013/8/1102:09:21
紙の種類について。 キャンソン紙、マーメイド紙…
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11111636051

あと、オシャレな「空間恐怖症」とか。
で、全作品を文庫にして、これと『おじゃまさんリュリュ』二冊しかないとか、
岡田史子もビックリだべと思いました。アマゾンには、
リュリュのほうは収録作品一覧が明記してあって、
エッセイが勧めてて、私にこの漫画家を薦めた方も推している
『ルージュはさいご』が入ってることが分かるのですが、
こっちは何故か収録作品リストが書いてないです。何故だろうアマゾン。

おじゃまさんリュリュ (小学館文庫 おE 1)

おじゃまさんリュリュ (小学館文庫 おE 1)

<キャンディとチョコボンボン収録作品>
キャンディとチョコボンボン
王子さまがいっぱい
アルフォンスお先にどうぞ
白いカーニバル
雪割草
いまあじ
並木通りの乗合バス
ぼくのすてきなポシイおばさん

最初の二話くらいは、小林旭なみに無国籍です。どこの国か分からない。
最初の話は、ボンボン付きショールの転校生に、キャミソールというか、
肩ひもだけの姉御登場で、季節感が分からなくなり、さらに言うと、
この漫画家さんの何がそんなすごい書きこみなのか分からず、
集中線の多用は少女漫画にしては珍しいとしか思いませんでした。
その集中線も、頁9のように、星を散らしたり、その星も、
大きい星だけ白抜きにしたり、どこのコマだか忘れましたが、
ワク線を集中線にあわせてヌイたりとか、要するにこの人は、
そういう遊びに生きているのだなと思いました。
頁19下から二段目右のコマで、カットグラスが光ってるのとか、
ぜんぜん意味不明です。あとは顔の描き込みがところどころ、
これが読者の心を捉えたのか捉えられた読者もすごいな、例頁23。

次の話は、頁数が足りなくなったのか、王子一人が未消化で終わります。
頁73で、「ぼくは ネラリア国の皇太子エドマンドです
と自己紹介がありますが、常春の国マリネラの王子パタリロです、
と言ってもまるで違和感のないコマでした。
魔夜峰央も空間恐怖に関しては一家言あろうかと存じます。

次の話は、いちおうフランスと分かります。イエスと云わずウィと言ってる。
でも敵と書いてエネミーとルビを振ってる。そして頁107、
ぷっつんおんなのたきつけ人
という台詞があるのですが、他のコマの活字と字体も違うし、
りぼん初出の1973年6月に「ぷっつん」という言葉はまだなかったかと、
思うので(石原真理子以降だと思うです…)たぶん今では、
ちょっとコレクトネス的にあれなので言いかえた台詞が、ここにあったんだな、
と思いました。頁113の、あんこ食べてる音、の漢字も分かりません。
「癶」冠に「族」の字。私はパズルは苦手です。
で、この漫画のタイトルは、シャーリイ・ジャクスンに、
『お先にどうぞアルフォンスどの』という短編があるので、
そこからかなと思いました。シャーリイのほうは、息子が、
黒人のこども(アルフォンス)と平等に遊んでいるさまを、
母親である主人公が内心を語らず眺める話です。
作者がほかにも、こういう、分かる読者とだけ共有してる、
遊びがありそうには思いますが、分かりません。

次の話はイタリアです。でも頁161、アル中の養父がラム酒を所望する場面。
イタリアならグラッパじゃないかなと思いました。ウゾー、アブサン
この話は、空間恐怖といわれると、うなずける気もします。

次の話は、頁190にブルゾンみたいな人がいるなと思いました。
アメリカの話。病気だから、こんなに滑れないとも思いました。

並木通りというのは、先ごろ台風で煙突が倒れた並木湯の、
あの場所かと思いましたが、相模原市ではないようでした。

エッセイで『ルージュはさいご』について、いたずら書きを、
虫眼鏡で探してみて、とあり、アマゾンでも、小学館文庫に対し、
もっと大判で出して、というレビューが目につきました。
かつて東大生産研の喜連川先生の講演聞いたとき、ディスプレイの大型化、
プロジェクターの活用などで、これからのパワポは、
そこに詰めこむ情報量を大画面表示前提で考える時代が来るかもしれない、
という、現実にはタブレットスマホで、PCより逆に小画面の時代に、
なってしまったため外れた未来を語っておられたものですが、
この漫画家の人の作品に関しては、電子書籍をプロジェクターで、
映して読めばいいじゃないと思いました。が、キンドルにも入ってなくて、
コミックシーモアに一冊入ってるのが確認出来ただけです。無理か。
この人の漫画も、原稿を、ベタムラまで忠実に、竹宮恵子が、
精華大でやってるように電子化出来ればいいですねと思いました。以上