新宿区立林芙美子記念館 Hayashi Fumiko Memorial Hall 再訪

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新宿区立 林芙美子記念館 Hayashi Fumiko Memorial Hall ⇒

久しぶりに来てみました。何かのついでです。

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次の間 この部屋には当初出入り口がなく、母屋からは書庫裏の廊下に直接上がりました。後に設けた中庭入口の濡れ縁で、時に芙美子は朝一杯の冷酒を飲んだと伝えられています。布団を入れた奥の押し入れは、芙美子が大工に命じインド更紗を貼って作らせたものです。

この冷蔵庫は芙美子の時代からのものではないと思いました。誰が見てもそう思うか。でもハイアールでもなかった。

以前はタタミの上に上がれた気もしますが、まあ自信はありません。軽井沢で、近衛文麿の旧別荘がどうとかの市村記念館に行った時、誰も見てないと思って、いきがった中国人の恋人同士が、靴脱がないで土足で入っちゃいけませんルームにヅカヅカ入ってるの見てるので、まあ、いろいろとあるのでしょうと。

寄せ書き見てましたら、中国の若者が、放浪記は有名だけど読んでなかったので、読んでみようとオモタみたいなこと漢語で書いていて、『北岸部隊』も読んでみなはれ、南京攻略戦従軍記でっせえ、みたいなこと書いてこまそうかと思いましたが、そんなルール違反はありえないので、やめました。北岸部隊、便衣とかのこともちょっとは書いてればよかったのに。

まー私はかつて全中国を震撼させた、若い中国人女性が公園とかできゃいきゃいゆってると、近寄ってきて流暢な中国語で、あの戦争は正しかった、聖戦だった、とか、支那人はアレなので教導しなければならんとかべらべらしゃべってシャオジエを泣かせてしまうネット上の伝説(初出は中国青年報とか聞きましたが、デマかも)の怪人老紳士「長古川弘一(転載による転載を重ねるうち、長谷川の「谷」と同音の「古」になってしまったのかと)」ではないので、それにそんな語学力もないし、しません。

こういう、時代と戦った女性というと、田村俊子もそうですし、佐多稲子もそうかなと思います。のちの寂聴、ハルミは田村俊子の伝記書きましたが、真理子が芙美子の伝記書いてもいいんじゃいかと。

何年後に来れるか分かりませんが、早稲田松竹で年末浮雲観ようかとは思います。

以上