『 わんぱく時代』 (新潮文庫) 読了

わんぱく時代 (新潮文庫)

わんぱく時代 (新潮文庫)

著者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%98%A5%E5%A4%AB

ほかの方のブログで佐藤さとる『わんぱく天国』を拝見した折、
佐藤春夫の『わんぱく時代』と混同したと書かれていて、
私はそのブログに触発されて『わんぱく天国』を読みましたので、
こっちも読んでみようと読んだ本です。上の表紙写真だと帯に隠れてますが、
表紙右下にも、大林宣彦監督作品野ゆき山ゆき海べゆき原作、とあり、
両カバー折はスチール写真が三点ずつ載ってます。カバー 北沢夕芸
素晴らしい時代の新潮文庫の名残りとして、注解がついていて、
解説は注解者の紅野敏郎。さらに大林宣彦が文章を寄せています。
昭和三十三年講談社刊。その前の初出の記載がありませんが、
あとがきから察するに、あさっしんぶん連載かと。学芸部長と、
担当への謝辞があります。また本文に、(連載中)かつての旧友から手紙で、
記憶の補正というか、この件も載せとけ、という連絡があって、
フィードバックしたという記述があります。大林宣彦は、
映画タイトルが佐藤春夫の詩文から採ったことを、今の若者は知らない、
とごちていますが、私も知りませんでした。わだつみの歌と混同…
はしてないと思います。

野ゆき山ゆき海べゆき Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E3%82%86%E3%81%8D%E5%B1%B1%E3%82%86%E3%81%8D%E6%B5%B7%E3%81%B9%E3%82%86%E3%81%8D
海行かば Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0
ソウルフラワーユニオンも検索で出ましたが、私はよく知りません。

私は佐藤春夫は『からもの因縁』しか読んだことがたぶんないです。
『からもの因縁』は、戦前の『支那雑記』を、戦後、文部省通達で、
支那の二文字が使えなかった時代に改題した、シノワズリの本です。
面白いです。奥野信太郎の『女妖啼笑』と同じくらい面白い。

からもの因縁 国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000682810-00

女妖啼笑―はるかな女たち (講談社文芸文庫)

女妖啼笑―はるかな女たち (講談社文芸文庫)

で、私はそのくらいの知識しかないので、本書が、枯木灘の、
あの街を舞台にしてるとは露とも知らず読み始めたわけです。
映画は、大林がまたしても舞台を尾道に改変してるそうですが、
なぜ尾道にしなければいけないのかさっぱり分からない。
中上健次尾道になるのに、なぜ漂流教室尾道にせず、
インターナショナルスクールにしてしまったのか。分からない。

映画漂流教室 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%82%E6%B5%81%E6%95%99%E5%AE%A4#%E6%98%A0%E7%94%BB

頁11
 そのころ、この町の小学校(一)では、小使が三階の太鼓部屋で大太鼓を三分ほども打ち鳴らして授業はじめの合図にしていた。

注解
(一)この町 佐藤春夫(作中では「須藤」)が生まれ育った和歌山県東牟婁郡新宮町(現在は新宮市)。熊野灘に面した海岸の町で、江戸時代は城下町、門前町として発展した。

この注解は、上記のように、本人が書いてなくても自伝小説なので、
事実に即して付け加えたほうがよいであろうと注解者が判断した事柄が、
書いてあったり((九七)この友人 佐藤春夫が終生親交を結んだ詩人の堀口大学(1892-1981)をさす。など)
当用漢字、熊野三山三河、ランタン、ラスコーリニコフ
シンパサイザーのように、註しなくても分かるよ、というものがあり、
あがりかまち、大福帳、メリンス、ワンダラ・ウォッチ、ゲートル、
ラシャ、庶子、ナンキン米、メーキベッド、荏苒、蒲柳の質のように、
ちょっと現在では分からないもの、知識があやしくなってるものがあり、
これは大いに助かります。北清事変や日露戦争、臥薪嘗胆など、知ってるけども、
本小説との関係性まで注解では触れてますので、要らないと無下に、
読まないのもなんだから、読みました、というたぐいのもあります。

(一一一)コックべんれい 刻苦勉励の「刻苦」と料理人の「コック」とをかけた洒落。

で、解説で、少年時代の陣取り合戦のくだりが、やや冗長とあり、
私も同感でした。以下後報

2018-01-11『わんぱく天国』ゴブリン書房版読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180111/1515617827

【後報】

頁185
 ところが、前年の末から、うわさがしきりで、船田富士の方角にほうき星も現われ(僕も寝ぼけまなこで見た)ほうき星が出れば戦争があるのだと言われていた折から、果然、日露戦争になった。

ハレー彗星は1910年でした。日露前の、これはナニ彗星なんだろか。
こういうのも注釈があってよいかと思います。
私はヘールホップ彗星は見た記憶がありますが、ハレーはありません。
日本からは見えにくかったのかな、前回。

頁248、勝浦から新宮まで二十キロの人力車路(県道)は、山坂が多く、
犬引きで動力を補ったが、のちに外から来た事情を知らぬ県知事によって、
動物虐待の名義で禁止されたとあります。馬は脚が細いから折れるのかなと、
思いましたが、ロバはどうだろう、犬と違って飼い慣れてないからダメなのか、
と思いました。犬は牛やロバに比べて非力に思えるのですが、
メンテナンスのナレッジが蓄積されてるかどうかなのかなあ。

頁250 与謝野寛らの文芸講演会での石井柏亭
 夕餉の膳に対してビールの満を引いた柏亭は、いつもほど飲まないうちに早くも十分の酔を発して満面朱をそそいだようになっていた。柏亭は酒客で相当の酒量のある人であったが、すぐに酒がまわって赤くなり、そうしてすぐにさめる。それを繰り返して量を飲むという体質の人であった。それが旅の興趣と疲労とにいつもより早く酔ったのであろう。
(中略)
柏亭先生ご自身が電話に出て、
「赤い顔をして檀に登るのは聴衆に対して不作法だから、酒のさめるのをもう二、三十分待ってくれ」
 という返事に、幹事たちは異口同音に、
「困ったな」
 を、お互い交換するだけで処置もなかった時、
(以下略)

これが口禍事件となる展開で、ここから、幸徳秋水大逆事件までが、
クライマックスで、作者と本書主人公の人生も左右したので、
筆圧が変わります。私は冒頭やあらすじで、困った奴登場とあったので、
この主人公はてっきり中上健次の常連、皮パンの男と思ったら、
違いました。グレンの炎をバックに高笑い闇市じゃなかった。粗暴で大柄は、
早生まれ遅生まれに出生届けの遅れが重なって、という合理的説明が、
あります。エトランゼですが、皮パンの男ではありませんでした。
彼が路地を地図に加えるまで空白地だった、という記述はあります。

大逆事件 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

頁260
 と崎山に命じて自分は腰をおろして、はらかけのどんぶり(八六)から椿の葉の束を取り出し、それを巻いてつめた刻みたばこの一つまみを葉柄でおさえて口にくわえ、熊野びと特有の山の煙草を水の上で吸いながら、成石さんは浅瀬の波を斜に横切ってさおでいかだをやる栄の仕事ぶりを見ている。

ここと、かなり前の個所に鴨緑江節の替え歌が出ます。
動画でなんぼでも昔のレコードが聴けるのですが、
そこまで流行した歌なのかなー、と半信半疑で、
きやり、こびきの歌だから、現場で聞くとよいのかな、
と思いました。

鴨緑江節 コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E9%B4%A8%E7%B7%91%E6%B1%9F%E7%AF%80-449422

頁301
 家を追われた誠之助はアメリカに渡って、ジョージとかフランクとか名乗ってアメリカ人の家に住み込むと、メーキベッド(一一〇)とか言って寝台のうえにずり落ちそうになっている夜具を整えたり、窓ガラスをふいたり、コーヒーをわかしたり、皿を洗ったりしながら、そのころ本国では若者たちがみな志していた医学を学んだ。アメリカで台所を手つだいながらの苦学では、それこそ本当のコックべんれい(一一一)に相違あるまい。社会主義思想はこういう苦学の間にアメリカで芽生えてきたのでもあろうか。
「古来、ようしょくのために一身をあやまり、一命をおとした婦人なら無数にありましょうが、男子ではまあ大石ぐらいのものでしょうかな」
「大石誠之助という人はそれほどの美男子でしたか」
「うん、温厚高雅とも言いたい人がらをそっくり形に見せた美丈夫で、若いころアメリカで生活した関係か、このへんの人にはめずらしい色白のね。しかしわしの言うのは少しちがいますぞ。大石はアメリカでコックべんれい中にようしょくのつくり方をおぼえて来てね」
「―――――」
 聞き手は無言で、何だこのおやじがと言わぬばかりに、そっと父の顔を見上げた。

(中略)
「なるほど、洋食で一命をおとした話ですか」
 と、聞き手もしかたなしに相づちを打つ。

この後、作者の父も幸徳秋水と面識を持つ機会があったが、
重病人を優先したため、会わずに済み、なんでんかんでんしょっぴく、
その時に網から外れて命拾いをした。医者が重病人を助けるのでなく、
重病人が医者を助けたのだ、というネタ話が続きます。

下は大石誠之助の甥、西村伊作のエピソード。

頁303
 大逆事件の当時は遺産を擁して新宮にいたから、大逆の大陰謀団に資金を提供したのはテッキリ彼に相違ないと、メボシをつけて踏み込まれ、金庫から台所のすみずみまで取調べにさんざん荒らされて憤懣やる方もなかったところへ、日ごろ敬愛する叔父誠之助の裁判が開かれると、三十にも足らぬ血気ざかりの彼は、この憤りや不安、悲しみのためにじっとしてはいられないでそのころから彼が愛乗していたオートバイ(町の人々はその音によって、これをバタバタと呼んでいた)を引き出し、物好きに虎の皮をうらにつけておいた外套をうらがえして虎の皮を表に出して着こみ、道中の護身用にとかねて合法的に所持のピストルをその証明ととともに身に帯びて、海路を鳥羽に渡ると、オートバイを東海道に急がした。これを追う方法とてもなく、ひたすらに驚いたのは警察で、
「スワ、陰謀団の別働隊が出現だ。大逆徒を奪い返しに来た。ピストルを持っているゾ」
 と、疑心暗鬼におびえて大あわてに連絡したから、西村の行く先々では、
「ソラ、虎の皮だ!」
 と、ほんものの虎の出現のように緊張した。

ここは、頁131、少年時代の戦争ごっこの場面で、
和唐内が生け捕った千里ヶ竹の虎(三〇)が出ますので、
それを思い出しました。妻をめとらばとか、星落秋風五丈原の詩とか、
いろいろ出ます。

解説もいちばん力を入れて引用してますが、花柳界から引き取られ、
いかなる事情からかまたその世界に戻ることになる?、十八の少女が、
十五の佐藤春夫を誰もいない自宅に夕刻誘う場面、ここが白眉でした。
(その後ストーリーは怒濤の大逆事件へ)
だいたいこういう話では、女の子は、その思い出があれば胸にし、
なければ男も推察しようがないので雲の形になぞらえるくらいで、
幸せになるか不幸せになるかのゼロワン回答で(当たり前か)なので、
最後まで読み切った後の安堵感はとほうもないです。よかったよかった。

中上健次の皮パンの男に関しては、木材の町ということもあり、
ハレンカ(波瀲館)の冬の失火なども縷々語られていますが(頁143)

頁314
ほぼその事は知らないでもなかったが、町は市となって年々の発展のうえ、戦火は免れながら戦後、地震による大火などで全く変貌してむかしのおもかげは見られなかった。

どういう地震だったか注解はなく、皮パンの男が地震になったのかと、
ふと思ったりしました。私にとっては、新宮はどこまでも枯木灘
補陀落渡海即身成仏。以上
(2018/1/30)