『漢文の読みかた』 (岩波ジュニア新書) 読了

漢文の読みかた (岩波ジュニア新書)

漢文の読みかた (岩波ジュニア新書)

カバー=原田維夫 読んだのは1989年の四刷

なんとなく、もう一度漢文読もうかなあ、と思い、
ほんとは高校の時の副教材読み返したかったのですが、
既に逸しており、副教材は書店で取扱いあったっけ?
とかよく分からず、とりいそぎ図書館で借りてきた本です。

むかし、旅行で、中国人と筆談してた頃は、
いわんやとかいずくんぞとか、豈〜おや、などの文章をよくする、
四書五経に親しんでるのかな〜みたい書香の人もいれば、
「昨日」と書くとバツされて「昨天」と直してきたりするような、
まったくの口語現代語人もいて、まー旅行なので、
こちらは選択の余地なくバラバラ出会い、
そののち中国語を習いだすと、もう返り点とか二一とかやってられなくなって、
そのまま読み下すようになり、あーこれが漢化ということ?
などとボケーとしていたのですが、ふと、もう一度、レ点なんかで、
日本語の古文(と漢文はまた違うですが)みたく読んでみようか、
と思って、開いてみました。でも私は古文の教養も、候文のテクニックも、
身に付けていないですし、素読の習慣もむろんないので、
時間をかけてとりあえずこの本一冊読み切った、その満足感で終わりです。
少年老い易く学成り難し。老大(ラオダー)いたずらにシャンベイ。
もうここで現代北京語が挟まってしまう。全文日本語として読み下せない。

素読(ソドク)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%B4%A0%E8%AA%AD-554855

著者は、松枝茂夫先生のお弟子すじとのことで、
平易で分かりやすい文章で、おおいに励まされながら読みました。

松枝茂夫 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9E%9D%E8%8C%82%E5%A4%AB
奥平卓 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B9%B3%E5%8D%93

漢文はそもそも紙も筆もない時代に竹簡木簡などに書かれたり、
碑文として彫られたりした文章だから、記述に手間がかかるため、
省略出来るところは省略され、現在類推される古代の口語文とは、
おおきくかけ離れた簡略文になっている。それをむりくりに日本語の古文として、
直訳直訳するので、それで分かりにくいと思われている。
その省略されている部分を遠慮なく補って補って読めば、
けっしてわかりにくいものではない(頁3)
こういわれると、では、現代中国語の文章は、省略も少ないし、
かなり言文一致だろうから、漢文として読むことは、
出来ないんじゃないか、と思ったりもするわけで、さっそく、
頁30で、現代中国語にかなり近くなった元朝の、女流詩人菅道昇の詩を、
これは正式な漢文と言うより現代中国語に近いけれども、
むりくり訓読しようと思えば出来ますよ、という例があがっています。

你儂我儂 忒殺情多
情多処 熱如火
把一塊泥捻一個你 塑一個我
将咱両個一斉打破 用水調和
再捻一個你 再塑一個我
我泥中有你 你泥中有我
我与你生同一個衾 死同一個槨

你儂我儂トハ 忒殺情多
情多処 熱
リテ一塊一個 塑一個
リテ両個一斉打破 用調和
一個 再ラン一個
泥中你 你泥中
与你生同一個 死ナン同一個

你侬(なんぢ)と我儂(われ)とは 忒殺(はなは)だ情深し多し
情多きところ 熱も火の如し
一塊のどろを把(と)りて一個の你(なんぢ)を捻(こ)ね 一個の我を塑(つく)る
咱(われ)ら両個(ふたり)を将(と)りて一斉に打ちこわし打破し 水を用いて調和し
再び一個の你をこね 再び一個の我をつくらん
我が泥中になんぢあり なんぢの泥中に我あり
我となんぢと同じく一個の衾(ふとん)に生き 同じく一個の槨(ひつぎ)に死なん

これは詩ではなく詞(ツー)で、著者によると、
詩よりも通俗的な、小歌のようなもの」(頁30)で、
夫が第二夫人を迎えようとした時に牽制で詠んで断念させたんだとか。
打破とか調和とか両個とか一個とかの現代語や、
"你"とか"咱"とかの、古代中國語になりかわった現代北京語直系語、
訓読みのない「塑」、ひつぎと訳してるけれども棺ではない「槨」、
検索すると中国人も意味が解らずQ&Aサイトに殺到してる"忒杀"など、
いろいろハードルは高いけれどもむりくりなんとかなるよ、ということで。

槨(かく)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E6%A7%A8-43518
忒とは (トクとは) - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%BF%92
忒杀 百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E5%BF%92%E6%9D%80

菅道昇 詩人
生年月日: 1262年
生まれ: 中華人民共和国
死亡: 1319年, 中華人民共和国 山東

これはグーグル検索結果。
なんでいちいち
民共和国と
書くのか(笑)
フランス人には、
第三共和政とか
つけないでしょうに。

管夫人 百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E7%AE%A1%E5%A4%AB%E4%BA%BA
管道升 百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E7%AE%A1%E9%81%93%E5%8D%87/2726811?fromtitle=%E7%AE%A1%E4%BB%B2%E5%A7%AC&fromid=8574875

本書は、初級散文、中級散文、漢詩、の三章からなり、
初級はいろいろ、中級はぜんぶ史記漢詩唐詩からなっています。

<初級>
牽牛織女(出典は明記されず)
嫦娥(出典は明記されず)
李商隠の詩「嫦娥」記載。
女媧(出典不明記)
一孔之見(申監)(韓非子)(論衡ろんかう)
求馬骨(戦国策)
塞翁失馬(淮南子ゑなんじ)
桃源郷陶淵明集たうえんめいしふ)
干将莫邪(捜神記さうじんき)
魯迅『鋳剣』の元ネタ。
相思樹(捜神記さうじんき)
…繆と書いて「たがへる」と読むとか、雨が淫淫でいつまでも降るの意味とか、
 梓をアズサと読むのは国訓で、漢文ではキササゲであるとか、
 盈抱と書いて「ほうにみつ」と読んで、ひとかかえに余る太さになるの意だとか、
 だんだん漢文の底知れぬ世界が始まり、漢和辞典引け、と、
 口をすっぱく言われ出します。
売鬼得銭(列異伝)
畏盛凌衰(閲微草堂えつびさうだう筆記)
杜子春(続玄怪録)
…芥川と読み比べて、そのテーゼの違いに着目しています。

<中級>
管鮑之交
孫子勒兵
河伯娶婦
馮驩焼券
完璧帰趙
刎頸之交
鴻鵠之志
夥渉為王
脱於虎口
知当世之要務
(ぜんぶ史記
…さいごに叔孫通*1を持ってきて、伝統を大切にする儒者たちを、
「鄙儒」(田舎学者)と面罵する場面や、
 下記の文章を置いているところが、中華人民共和国時代の漢学者の心情を、
 いささかなりともあらわしている、と考えるのはうがちすぎでしょうか。

 叔孫通が基礎を固めた儒学による儀礼は、やがて儒教として漢代ばかりかその後二千年にわたる中国の文化を支配し、今日もまだ根強い影響を残しています。ひとりの人間のいやらしいまでに要領がよくしかも粘り強い生き方、それにもましてその人間の果たした役割が、遠くのちのちの世までを決定する摩訶不思議さ、歴史を作る人間の恐ろしさを、司馬遷はここでも生き生きとわれわれに告げ知らせてくれるのです。

 軍隊の「要領」を重ねているようでもあり、当代中国を襲った言語面での変革、
 拼音や簡体字、その他もろもろを意識しているようでもあり、
 こう書いておいて段落が変わると、さっと、この個所の度量衡は現代と違うので、
 漢和辞典には各時代の換算表が必ずついてるから、くれぐれも辞書引きなさいよ、
 と〆ています。教育者とはかくあるべきか。

漢詩
漢詩は散文と違って、原文の倒置をひっくり返して読み下さず、
倒置は倒置のままで原文の順序でアタマに入れてその叙情を味わう、
的な説明がまずあたまにあります。平仄の説明もありますが、
これ考え出すと、私のように一足飛びに現代中国語の四声学べばいいやん、
と考えて失敗(というわけでもないですが)したりします。

春望詞 薛濤(せつたう)
佐藤春夫が車塵(しゃぢん)集に収めた文語訳「春の乙女」が紹介されてます。
 原詩の、
 風化日将老(ふうくわひにまさにおいんとするに)
 佳期猶渺渺(かきなほべうべうたり)

 が、
 しづ心なく散る花に
 なげきぞ長きわが袂

 になるそうです。あっ、佐藤訳は弐行と三行入れ替えてるかな?

金縷(きんる)衣 無名氏
…これも佐藤春夫訳併記。私は最近佐藤春夫の『わんぱく時代』
 読みましたので、またここでも名前が出てきた、と、 
 シンクロニシティーに驚いています。

勧酒 于武陵
…前の詩が佐藤春夫の文語訳だったので、ここでは井伏鱒二の現代語訳、
「サヨナラ」ダケガ人生ダ、
 が紹介されています。

草 白居易
…英文学者森亮の自由詩訳併記。

哭宣城善醸紀叟 李白

遣悲懐(ひくわい) 元稹(げんしん)

登鸛鵲(くわんじやく)楼 王之渙(わうしくわん)

望岳 杜甫

塞下曲 常建(じやうけん)

胡笳歌 送顔真卿使赴河隴 芩参(しんしん)

戯題関門 芩参

登科後 孟郊(まうかう)

観刈麦 白居易

宿建徳江(かう) 孟浩然(まうかうねん)

送別 王維(わうゐ)

司馬遷史記を書いた前漢武帝の頃、紀元前九一年頃?(ウィキペディアによる)から、
唐が成立した西暦六百年代まで、七百年とかメチャクチャ時代経ってますし、
まだそんなでもないはずですが、科挙とか出だしてる頃なので、作者は、散文の末尾に、
要領のマキャベリストを置いたのに対し、ここではこんな文章を書いています。

頁197
中国はすでに戦国時代の昔から、“精神労働を任務とする者は治める側、肉体労働に従事する者は治められる側である。治められる者は治める者を養い、治める者は治められる者から養われる(孟子のことば)”という社会分業論を常識としてきた国です。科挙に合格することを通じて従来の貴族に代わる支配階級となった知識人は、一貫して社会のために力をつくそうとする決意を抱いていました。これを詩文の領域でいうなら、“肉体労働に従事する人々から養われる”存在として、文字を持たぬこれらの人々の代弁者になろうとする決意です。

ノブレスオブリージュならぬ官僚オブリージュとでもいえばいいのでしょうか。
そうした決意を、作者は日本の学生にも求めたいのだろうなと思いました。

巻末に字句さくいん。漢字でなく、ひらがなで「さくいん」と書かれています。
以上