暮らしの手帖版『貝のうた』読了

貝のうた (河出文庫)

貝のうた (河出文庫)

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E6%9D%91%E8%B2%9E%E5%AD%90
最初は講談社刊。
つぎが暮らしの手帖社刊。

装釘 花森安治*1

装幀でなく、
装丁でもなく、
「装釘」とのこと。

あとがきによると、
最初の講談社版は、
還暦の時、
自分ひとりで半年ほど
書き溜め、
それをふとした折に
弟の加東大介に見せ、
出版の運びに
なったとか。
それを花森安治
覚えていて、
花森没後、
暮らしの手帖版
出版の運びと
なったそうです。

題名は、
貝覆いという、
平安の王朝貴族の
遊びから、
地貝に巡り合えない
「出貝(だしがい)」
のつぶやきとして。

暮らしの手帖版
あとがきでは、
地貝にめぐり逢えた
と書いてますが、
詳細は分かりません。

ハードカバー。

頁24、作者の名前は、
「さだこ」だと
思ってましたが、
「おてい(貞)ちゃん」
と呼ばれてます。

頁25
 お稽古所の友だちは、下地したじっ子とよばれる芸者屋の見習いや、玉代が半分で半玉といわれる雛妓おしゃく、それに芝居の子役がほとんどだった。順番を待つあいだの遊びごとに、おかぼれごっこというのがあった。並んだ男の子と女の子が、長い袂の下でそっと互いの指をからませる。ほかの子が、二人の組み合わせた指の名をあてるのだった。

発行者 とと姉ちゃん*2

奥付
この本は著者の検印をやめました

奥付
落丁乱丁などありましたらいつでもお取りかえいたします

頁21、明治天皇が病で伏せったさいの歌舞音曲停止令、
「かぶおんぎょくちょうじれい」と
ルビが振られていて、音曲ははたして「おんきょく」だと漢字変換されず、
「おんぎょく」だと一発変換なので、自分の物知らずが分かりました。
停止を「ちょうじ」と読むのは、これは変換されませんでした。本書には、
「お停止ちょうじ」という表現もこの後ろに出ています。

頁33、小言と書いて、「かす」と読む。

頁39
 合格発表の日に、自分の受験番号一三六をみつけたときは、そこに坐りこみたいほど嬉しかった。下谷から浅草まで、半分駆けるようにしてうちへ帰ったが、格子戸には鍵がかかっていた。父も母も、宮戸座へいっている時間である。芝居小屋の仕切場で、そろばんを前に腕組みしていた父に、
 「あのね、女学校の試験、うかったの」
 と、ついはずんだ声でいうと、父はジロリと私を見て、
 「チェッ、男は役者で女は学者か」
 と、苦い顔をしたっきりだった。楽屋で弟に衣装を着せていた母は、
 「オヤオヤ、そりゃこれからがたいへんだ」
 と、溜息をついた。
 私はひとりで、小屋から家まで、ぶらぶらと歩いた。父や母がなんといおうと胸は希望でふくらんでいた。おでんやの松つぁんの前まで来て急に<お祝いしよう>と思いついてのれんをくぐった。ふところには、兄にもらった十銭玉が三つ残っている。

(中略)仁王様みたいに大きく頑丈で赤銅色の、しわの深い松つぁんは、以前は人力車の車夫だったけれど、車を引くには年をとったのでおでんやをはじめていた。こわい顔に似ずやさしい人で、連れあい、からだの弱い、やせたおかみさんをとても大事にしていた。縁日のかえりなど、私はよくここへひとりで寄って、真っ黒に煮こんだこんにゃくや、あまい氷あずきに舌つづみをうったものだった。
 「おじさん、みつ豆ちょうだい、上よ」
 上等には豌豆まめがよけいはいっていた。
 「なんだいお貞ていちゃん、ばかにうれしそうな顔して、ハハア、お嫁の口でも決まったかな」
 「バカね、女学校の試験がうかったの。だから、お祝いのみつ豆
 寒天に、黒みつをたっぷりかけながら、松つぁんは、ギョロッと目をむいた。
 「女学校だって? なんだってまたそんなところへゆくんだい、せっかくの別嬪さんが……。女が学問なんかしたら、ろくなことはねえ。悪いこといわないから、やめな。やめた方がいいよ」
 おばさんものぞきこんで、
 「ほんとだよ。あんたこのごろとってもきれいになってきたのに、もったいない……」
 目ばかりギョロギョロしていた私も、そのころ急に胸がふくらんで、娘らしくなってきたらしい。おじさんはうなずいて、
 「ま、ほんとうのところ、姉さんの方が器量よしだが、お貞ちゃんの方が愛嬌があるからな」

(中略)
 真顔になったおじさんは、
 「な、お貞ちゃん、おじさん、ほんとうのこと言うんだぜ。学問した女って奴は、生意気になって始末におえねえ。それよりせいぜい磨きあげて、早くいい旦那をみつけるこった。女は男にかわいがられるのがいちばんしあわせだ。なんてったって男次第だからな」
 私は知らん顔をしてせっせと口をうごかしていた。<そんなこといったって、私はもっといろんなことを知りたいんだもの>

この少し前に、母の姉妹それぞれの境遇を語る場面があり、
女は女であるために不幸だ、今度生まれてくるときは男になりたい、
と思う場面があります。この辺の明治の社会通念は、仏教の、
女は男に輪廻転生した後でないと悟りを開けないという、
いい加減仏典修正しないとダメじゃん、的箇所の影響のようにも思います。

頁41、六区の風景、一山五十銭のバナナのたたき売りのバナナの皮と、
青山チンタオ玉子という買い食いゆで玉子の残骸が、
散乱する描写があります。中国の煮たまご、茶葉蛋が、戦前日本に入って、
ハッカク、アニスの匂いがあかんかったのか、今はもうないんだな、
と想像しました。あれが日本に入らなかったのは不思議だなと思ってたので、
入ったけど廃れた(震災をはさんでなのかどうなのか)という推測が出来、
おもしろいです。

頁44
 毎日、朔日ついたち、十五日には、小豆ご飯を炊くのが芝居ものの家の習慣である。でき上がったご飯をお櫃にうつし、お豆腐のおつゆの味をみようと小皿を口にもって行ったとき、突然、ゴーッといううなり声とともに家がぐらぐらとゆれ、あわててガスの火を消した私は足がもつれて尻餅をついた。

関東大震災。「おつゆ」のだしはにぼしだと思います。
作者は母親から厳しく家事を仕込まれ、小学生からひととおりこなせたとか。
焼け出され落ち延びる先、何を取り急ぎ持ち出したのか、ひんぴんと自警団、
の描写が続きます。

頁61、ポン女合格入学。ほとんど裕福な地方からの寮生活者で、
通いの学生は「お通学生」と呼ばれたとあります。ルビがありませんが、
「おつうがくせい」でよいのでしょうか。「おとおしがくせい」
ではないだろうな。

頁84、教職者内部の足の引っ張り合いを見聞きして嫌気がさし、
教職志望をとりやめて新劇入団(外務省事務職も受かってますが放置)
人間の一生って、ほんとわかんないですね。ここからこの本は、
アレになってゆきます。最初の芸名は貞子と書いて「ていこ」だったとか。

頁80、プロレタリア演劇同盟の略が「プロット」
頁98、地方情宣オルグの部隊が「メザマシ隊」「アジプロ隊」

頁104
(前略)誰もいないはずの小道具部屋の前を通りかかると、真っ暗な部屋から押し殺した声がきこえたという。
 「ね、いいだろう……どうしてわかってくれないのかなあ……いいかい、君とぼくは、絶対に、階級的に統合すべきなんだよ……」

(中略)やがて幹部による査問会によび出されたその青年の前で、島田敬一さんは卓をたたいて怒号した。
 「かかる革命的言辞を弄して、婦女にいどむとはなにごとか……」

米国製反共文革ポルノ映画「シュウシュウの季節」で、中絶したばかりの主人公が、
ベトナム懲罰侵攻帰りみたいな学生から「思想交流スーシャンジャオリュウ
とか言われてヤラレる場面を思い出しました。あの映画はなんだろうなーほんと。

頁104
(前略)ある日、アメリ共産党を讃えるシュプレヒコールで、
 「星条旗をもって力をあわせろ!」
 というくだりがあった。劇場の隅で、私がひとりで練習していると、杉本さんが私の傍へ近づいて、まじめくさった顔で訂正した。
 「ちがうよ沢村君、センジョウキをもって腹をあわせろだよ」
 あわてて大きな声で復唱した私は、まわりじゅうから、ワアッと笑われて、やっとその意味を知り、真っ赤になってうつむいた。

頁113、党だか劇団だかの上位レイヤーの幹部(だいぶ年上)が、
彼女を見初めて気になって仕事が手につかないから革命実現のための
工数損失を防ぐためとかナントカで、言いくるめられて結婚シロ、
との党だかの指示で結婚、お見合いなら分かりますが権力の濫用というか…
と思いながら、オットの実家が芝の琴三味線の老舗商家のおおだなで、
アカになったぼんがやっと結婚しやはったと安心して、舅が、
同居一ヶ月後、床屋で嫁自慢しながら脳溢血で逝去。

頁113
(前略)借り着の喪服を着て、うろうろした。それでも店に飾られた棺の前で、会葬者の挨拶をうけている姿を、「お貞さんは、どこへおいても形がつくね」焼香に来た三島雅夫さんから、後日、ひやかされた。ちゃんと琴屋の嫁になっていたそうである。女は三界に家がないせいで、どこへでも居つくのかもしれない。

特高に逮捕され築地署の留置場で長期拘留。完黙。ここで出会った渡世の人々が、
のちに組織と縁を切って銀幕女優となった彼女を、市井から応援する場面が、
よかったです。

頁125
(前略)二十八、九の色の浅黒い、平面の娘さんが引っぱられて来た。赤味がかった絣のお召に西陣の帯、どこから見ても良家のお嬢さんなのに、万引きの常習者らしく、送りこんだ刑事が、
 「こんどは、泊まってもらわなきゃ……」
 と苦々しそうな顔だった。とたんに、
 「ヒーッ……」
 と、身をよじって泣きだし、きれいな着物の袖口をビリビリと引きさくほどの狂おしさで、とうとう看守も手こずって、保護室の錠をあけて、そのまま中へ押しこみながら私をうながした。
 「おい、おまえ、身体検査をしてくれ」

(中略)盗癖とは悲しい病気である。この娘さんは、何不自由のない家庭に生まれ育ちながら、女の生理の日になると、ムラムラと人のものをとりたくなるという。
 「……いけない、いけない、と思いながら自分で押さえられないの。スリルがね、たまらなく魅力なの……みつけられるまで、とまらないの……」
 一時間ほど泣きつづけて、やっと落ちついて、はれた目でぼんやり鉄格子をみながら、彼女は溜息をついた。
 「……ほんとはね、私あと十日で結婚するの、お店の番頭さんと……。でもどうなるかしら……こんな所へ連れて来られちゃって。今までの縁談だって、みんな、この病気でこわれちゃったのよ……」
 何といって慰めていいか、わからなかった。
(中略)
 翌日の昼前に、身元引受人が来たらしく、彼女はいそいそと出て行った。
 「ほんとうにお世話さまでした。あなたも早く出られるといいわね」
 私が、看守からうけとって締めてやった帯のお太鼓を、ポンとたたきながら出てゆく顔が妙に晴れやかで、<やっぱり病人なんだなあ>と、哀れだった。

組織の方針でうわべの転向して戦線復帰のはずが、誰もそんな指示出してないと疎外感。
オットがベラベラ自白して妻のさいごのなけなしの尊敬も失うとか、いろいろで、
組織と縁切って京都の弟のところでしばらく充電、ぼーっとします。そして、
頁189、無声映画からトーキーへの切り替え時期、訛りのない東京弁の作者は、
それまでのスターが抑揚イントネーションの違いに苦しんだその時期に、
するっと映画界へ入ってゆきます。お雑煮に味醂を入れても顔が赤くなる、
父親譲りの飲めない体質だったそうですが、業界になじむため、
青い顔して何杯も返杯を受け、すぐ物陰に駆け込んで吐く酒の付き合いを続け、
ある晩ビールコップ三杯でゲロまみれになって、すっぱりそんなことはやめます。
つきあいはもう、しない。ひとりでも、背をのばして行きていこう。

ボーツー先生と福田和也の文壇アウトロー時事放談下記で知って、
読もうと思った本です。

2018-03-09
『不謹慎 酒気帯び時評50選』THE HOTTEST TABLE TALK SERIES:2010-2012 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180309/1520601711

以上