『 森に降る雨―RAIN IN APRIL』読了

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森に降る雨―RAIN IN APRIL

森に降る雨―RAIN IN APRIL

森に降る雨 (文春文庫)

森に降る雨 (文春文庫)

八十年代後半のアクションキャラクター連載コラムで、前半戦を「水のように笑う」に収め、後半戦、1987/Jun/22号〜1988/Dec/23号まで(小幅な加筆訂正あり)とその他の雑誌、「道新Today」という道新が出してる月刊誌などに発表した短編を収めたとの由。

2018-05-06
『水のように笑う Smile Like a Ripple』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180506/1525554305

装画      矢吹申彦
装幀      日下潤一
編集協力    海老沢博
        村上知彦(チャンネル・ゼロ)
カバー写植印字 前田成明

今気が付きましたが、表紙の森の繪、晴れてますね。青空に白い雲。
小雨とか霧雨とか狐の嫁入りが降ってるといえば降ってるかもですが。

以下後報。
【後報】
前冊にも登場した日本語が拿手な若き日系アルゼンチン女性との会話。

頁23「東京タワー見物」
(略)彼女と話していると、わたしは英語圏の連中の気持が忖度できる。話は完全に通じているのにときどき意味がかよいあっていない。アメリカ人がオーストラリア人や南アメリカ人と話すときはこんなではないか、と思ったりする。

1980年代に使われていた「忖度」の事例。

頁29「星菫と蛇蝎」、ここであの有名な一節が登場すると分かりました。
なんという名前をつけたのだ。なんという色気を与えたのだ。そのうえ勉強ができるときては、わたしはもうとても気持ちが悪い。

頁45「ゲート前の外人バーにて」沖縄本島のフィリピンバーの話なのですが、突然下記のくだりがある。
沖縄よりもっと南、八重山へ行けば台湾の年増女性の姿を酒場で見かける。彼女たちは日本人よりはるかにカラオケ好きで、カラオケを歌いに八重山へ来ているかのようだ。
芸能ビザで来日してる女性と作者は見たようで、やいまには戦前からの台湾系住人もいると最近映画で私も知りましたが、でもやっぱりここのは出稼ぎ女性かな…

2018-02-01
「海の彼方」(原題:海的彼端 After Spring, the Tamaki Family...)劇場鑑賞
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180201/1517491020

頁76「『陽のあたる坂道』と石原裕次郎
わたしたちは裕次郎の主人公が例外なく、他の映画会社、あるいは外国のアウトローたちに較べて格段におしゃべりであるという事実に留意するべきだと思う。「自分が自分であるために」すなわち自分がなにものであるかを知り、またなにものかでありたいと願う内省的なアウトローは、早撃ちや狙撃の技術以上に、言語的コミュニケーションによりどころをもとめたわけで、それはギャングとして世界に前例のないタイプであった。つまり彼らは無頼の旅の途上においても、話さなくては決してわかりあえない、という幻のホームルームの思想を実践しつづけていたのである。

今なら、否、二十年前であっても、こういうのは単なる肥大した自我だとみなされると思います。で、話させると、話終わらない病。

頁83「蒼ざめた豚」関川夏央が年金を払っていることが分かる個所。国民年金となっていて、羽田圭介の小説に出てくる、日本文藝家協会は、文藝美術国民健康保険組合以外に、厚生年金はやってないのかなと思いました。'80年代に自分たちが65歳まで生きれるか、そのときまだ年金システムは正常に機能しているか、うたぐりつつも払っている小市民、という自嘲ですが、それは杞憂で、現在からみるとまったくうらやましい勝ち組でしょう。現在同じ悩みを持っている人は、それは杞憂じゃありません。

2017-07-11『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170711/1499780140

頁187「トンカツ食って悪いか」、作者は回転ずしではハマチしか食べないそうです。

「おれはタイとかアワビはどうでもいい。ヒラメもシャコもどうでもいい。ハマチとガリだけでいい。抗生物質をたっぷり混ぜたエサで育った養殖のハマチがいちばんいい」
 友人が尋ねた。
「天然を食べたことがあるの?」
「ない、と思う」

頁201「延吉を去る」たいした話じゃないんですけど、自分が行った土地の話なので、やっぱりちゃんと読んでしまいます。新田次郎もいてたまち。延辺に関しては、優れた研究書もたくさんあるので、そういうのをちゃんと読んだらいいさ、みたいな。

忙しい毎日、雑文に流される毎日のなか、ふと一葉や鴎外を手に取って、彼らを再発見し、坊ちゃんの時代へとつながっていく、作者の軌跡がなんとなく分かります。そして、退屈な迷宮に結実する北朝鮮訪問記の、ちょっとした黎明期の記述もここに。以上
(2018/5/10)