『東京からきたナグネ旅人 韓国的80年代誌』(ちくま文庫)読了

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61ZOX33asCL._SL500_.jpg読んだのは文庫本です。

カバー装画 南伸坊
カバーデザイン 日下潤一
カバー印字 前田成明

表紙文章
一九七九年の十二月。ソウルの空気は触れれば砕けそうに冷えきっていた。地面は硬く凍りつき、ポケットに手を突っ込んだまま歩くのは、自分の脳みその扱いになげやりなものたちだけだった。

文章は冬、しかしイラストはワイシャツ一枚、第一ボタン外してネクタイゆるめて、袖はひじまでまくりあげた夏装。これがボリス・ヴィアン気取りの本書のスタイルを象徴しているのか、北京の秋は別にそういう意味じゃないよという意味か。ミシン台の上で出会うとかが好きな作者の諧謔韜晦か。肩掛けカバンを両肩にひとつずつ持っているのか、でかいスポーツバッグを両肩でリュックみたいにかついでるのか、それは分かりません。ジョン・カビラ似のオットコ前に描かれているのは、南伸坊のやさしさなのか。そして誰もが主人公。
https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%8D%E2%80%95%E9%9F%93%E5%9B%BD%E7%9A%8480%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%AA%8C-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%96%A2%E5%B7%9D-%E5%A4%8F%E5%A4%AE/dp/4480022430

『ソウルの練習問題』を以前読んだ時、双葉社つながりの漫画家の人が解説で、これはラブレターだ、『東京からきたナグネ』でも云々としてたので、いつかこれを読もうと思いつつ、『海峡を越えたホームラン』や『退屈な迷宮』を読んだだけでそのままにしておりました。以前新宿小滝橋通りの老舗焼肉屋(まだあるのかな…)の女主人のエッセー読んでたら、当店にお越しいただいた有名人、のコーナーに、朝日カルチャーセンターに通ってた頃のハングル学習中の著者が登場し、さいきんお忙しいようで、お見限りですが、またこちらに戻って来られたらおこしください、みたいなことが書いてありました。コリアウォッチの方向に進まず、谷口ジローと組んだ明治文学者漫画(これは本当に面白い、ですが、ちゃんと読んでません。アクションでとばし読み)とか、そっちに進んだわけで、この時代、確かに、四方田犬彦の『我らが「他者」なる韓国』とともに、韓国を、嫌うか身内として見る以外の視座の萌芽が、芽生えつつあって、それはたぶんいろんなしがらみがまとわりついて、そのまとわりついてくるパワーがうっとおしくて、フタされたんだと私は想像しています。「世界とはいやなものである」を読めば、その辺少し分かるのかもしれません。それは未読です。
いずれにせよ、ストレンジャー・ザン・パラダイスホテル・ニューハンプシャーと同じノリで、韓国を捉えようという試みは、この時確かにあって、そして消えて、韓流の時、猟奇的な彼女みたいな野心作でふたたび燃えそうになって、やはり沈み、でもたぶんどこかでまだほそぼそと息づいてると思います。

頁12
 朝鮮語の文字は、まったく合理的な法則で構成されているから読むのはたやすい。数時間ないし十数時間の学習でこと足りる。しかし読むことと意味がわかることはまるで別の問題なのだ。日本語とおなじ膠着語で漢字語を多くとりいれているくせに、すべてをハングルという「カナ」で書き記し、かつ分かち書きの方法が確立されているとはいいがたい朝鮮語では、すべて読めはするが意味はほとんどわからないという奇怪な現象が初学者には起こりがちだ。「意味」はカレイドスコープの中の色紙のごとく拡散し、きらめき、浮遊する。これがハングル酔いである。

本当にハングルという文字はカンタンです。関川文章は看板や活字だけを言っているので、手書き文字が、「□」を速く書くために「○」と書き、「○」は区別するために上に点をつけて「Ò」と書いたりするところまで触れてないですが、それもすぐ慣れます。FとPの表記も、すぐ納得する。でも、慣習的に使うふたつのパッチム表記の字とかあるから、書くのはスラスラではないですし、意味はぜんぜん分かりません。

頁13
「ネンミョンケーシをください」
 とわたしはいった。
 ネンミョンが冷麺のことだとは知っていた。しかし、ケーシがなにかははっきりしなかった。ネンミョンに特別の具がのっているのだろうと判断し、試食することでその実体をあきらかにしたかったのだ。
「ネンミョンならありますが」と女店員は笑いながらいった。「ケーシはありません」
「じゃケーシはいりません」
 女店員は再び笑いながら去った。ぼくは不安を感じ、辞書をとりだした。ケーシは「開始」つまり「冷麺を始めました」という意味だとようやく知った。

以前は同じ顔立ちなのにハングルが中途半端だと、日本人というかキョッポだと思われてたみたいですが、今は中国人とか中国朝鮮族もたくさんいるでしょうから、また違うレッテルかもしれません。

頁17
 韓国では、あくまでも端的にいうとだが、相手を屈伏させるために言語を使用する傾向がある。論理性、説得力だけではなく、ときには声の大きさや飛ばす唾液の量が勝敗のわかれ目になる。日本人なら議論の帰りみちでその日の言語の交換によってもたらされた収穫や損失を、てのひらにのせてはかってみるだろう。一方、街燈の光に浮かびあがる韓国人の顔は、「勝利」の喜色か「敗北」の陰影に隈どられているだろう。
 言語にはさまざまな使用法があり、それはおもに「国民性」といいならわされる文化伝統と価値観によって決定される。たとえば、メキシコでは言語は弁解の道具であり、あまりにも放埓な想像力をひきとめるための接着剤である。ポルトガルでのそれは溜息にかわるものであり、過去の不運の落葉を掃き集める竹箒のごときものである。

前段だけだといくらでもある韓国論のひとつでしょうが、そこでがらっと、スペイン語圏やポルトガルを交えて、多様性のなかのふたつ、という視点で日韓を眺めようとする点が、今も昔も私の気に入ってるやりかたです。視野狭窄に陥らない。こういう視座を教えてくれた人々は、本当にありがたいです。筆者含め。

頁36、酒に関する単語の小事典があります。いま引き写してて、辞典でなくコトテンであることに気付きました。今とは違うでしょう80年代風俗だから。酒を「飲む」という動詞が、飲むを意味するマシダだけでなく、食べるを意味する「モタ」も多用されるとか、飲むを使った比喩的表現はない(相手を飲むとか)とか、酒癖の悪い人はトラではなくスモグンケ(酒を喰らったイヌ)と形容されるとか、酒癖は「酒邪」、二日酔いはハングル固有の言い方がなく、漢語由来の「宿酔」しかないとか。ナイトスクープ

宿酔とは (シュクスイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%AE%BF%E9%85%94
Yahoo!知恵袋 2013/09/19 14:44:32
韓国語で「二日酔いになったらカップめんを食べるんだね」をなんといいますか
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113713288

頁49、「青くて深い夜」"Deep Blue Night"「깊고푸른밤」という1985年の韓国映画が紹介されています。

https://www.imdb.com/title/tt0297915/
ここで佐藤忠男の評が引用されていて、佐藤忠男はまだアジア映画紹介の仕事の第一線に携わっているが、関川夏央は、とか、ニューヨークの北京人に先行して、こういう韓国映画があったんだな、とか、思いました。黒人兵と結婚出産夫の暴力で離婚、だが娘がいるのでグリーンカードゲット、ギリシャ人と再婚、ギリシャ人は市民権が取れると彼女のもとを去る、その後は契約結婚偽装結婚のプロになる韓国女性。彼女が娘の親権を取れなかったのは、裁判で、叩いて教育する韓国式のやり方が不利に働いたから。そして今、不法就労の韓国人男性が彼女と契約してグリーンカードを得ようとし、その後韓国から彼の内縁の妻を呼び寄せようとしている。

頁52
 ペクは始終、移民局の査察への対応を考え続けている。名前も美国式に変えたい。ある日、トイレでグレゴリーという名を思いついた。グレゴリー・ペク! これでいこう。

見てみたいと思いました。一度NHK教育で放映されたそうなので、著作権とかちゃんとしていれば(それが問題?)字幕とかもあるはずだろうし。

この映画のあと、「ソウルの復習問題」というエッセーで、自己とその周辺で、日本人という理由で韓国で絡まれた体験談を書いています。いつまでもそこに拘泥しないだけで、ないわけじゃないという。

頁186、ボクシングの日韓タイトル戦で、韓国選手が負けると、観客はその瞬間、配られた太極旗の小旗を投げ捨て、いっせいに帰りはじめた。とあります。ソウル五輪以前の光景。韓国はスポーツ観戦のマナーがよいと以前誰かが言ってて、そうでない事例もあり、そうである事例もあり、で、昔はこういう風景もあったのだなと理解しました。

頁189、跆拳道は現在ではテコンドーと言われてますが、テクォンドーとルビが振られています。ここはユドテハク、柔道大学と呼ばれる韓国のスポーツ専門学校の記事で、韓国柔道の歴史に簡単に触れていて、朝鮮戦争休戦の年に学校創立、くしくも韓国財閥の多く、ヒュンデ、テウ、サムスン、ラッキーゴールドスターがこの前後創業しているとし、東京五輪で初のメダル、銅メダル取るが、その選手は天理大の在日学生だった(日本語しか話さないと書いてありまんた、当時)、ミュンヘンで銀、モントリオールで勃興銀1銅2、モスクワは当然ボイコット、ロスで大躍進金2銀2銅1、で、へーと思ったのが、日本選手が、韓国選手の柔道着には漢字で名前が書いてあるので、その頃から強敵の名前を、それを読んで覚え出すというくだりです。ハングルはぜんぜんだけれど、漢字が書いてあれば覚えるという… 頁192、この学校の畳はドイツ製だとか。なぜかは書いてません。八百枚もあるそうです。敷き詰める。

頁196、ワンヌニ(目の大きいひと)というあだなの女子ランナーの話。コーチの金繁一も六歳のとき、父が純度百パーセントのアルコールを飲んで死んだそうで、ここでは、韓国式スパルタとして、叱るけど日本語の「キアイ」はしないとか(「キアイ」の意味の日韓擦り合わせはない)、ハミョンデンダ(なせばなる)という地獄の合宿のスローガンがあり、何故か反対語もちゃんとあって、ヘドアンデンダ(なしてもならない)だとか。
で、韓国の勃興躍進に対し、1986年のアジア大会で、中国青年報はそのやりかたを批判したとか。国交樹立前ですかね。中国青年報の前置きに、わざわざ中国共産主義青年団機関誌、と書いていて、反日以降、ちゅうごく嫌いの人の間で、糞青とか共青団とかそういう単語が飛びかったなーと思い起こしました。

この本はもっとラブロマンスかと思ってたのですが、そうではなく、著者が韓国から離れた理由は、もう少し幅広くいろいろ読んだ方がいいのかな、と思いました。田中明さんに関するエッセーでも何か書いてたような… 

田中 明 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%98%8E
以上