「モンガに散る」(原題:艋舺)(英语:Monga)台湾巨匠傑作選🌞2018 劇場鑑賞

http://www.ks-cinema.com/movie/taiwan2018/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%AB%E6%95%A3%E3%82%8B
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%89%8B%E8%88%BA#%E5%8F%83%E8%A6%8B
四方田犬彦の本にもこの映画出てたと思いますが、覚えてません。その本読めば、閩南語で「バンカ」、北京語で「メンジャー」と読む"艋舺"が、欧米で「モンガ」として知られてる?理由が書いてあるかなー、どかなー、と思います。映画の地名、たとえば「廟口」は字幕ではヨウカウという閩南語で統一されてますが、北京語のセリフでは当然北京語でミャオコウでした。もっと聞き取れるようになりたい。

2016-01-04『台湾の歓び 心悦台灣』读完
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20160104/1451922650

個人的には、「バンカ」と云われると、相原コージの『漫歌』を思い出します。

漫歌 (双葉文庫 あ 14-7 名作シリーズ)

漫歌 (双葉文庫 あ 14-7 名作シリーズ)


https://www.netflix.com/jp/title/70132762
ネットフリックスでも観れるのか、と思って開いたら、音声が広東語でオリジナルとなっていて、そりゃないだろ仕事粗いなーと思いました。広東語で台湾映画作って誰が見るねん、みたいな。

たけしの映画とか好きな人なら食いつくのかなと思いました。私は、花火もソナチネもキッズリターンですら、借りてデッキに入れて寝てしまう、の繰り返しでしたので… 井筒のガキ帝国は食い入るように見ましたが、あれはエスニシティーという観点がありましたので… この映画はガキ帝国と大同小異のファッションセンスで、ガキ帝国は八十年代に六十年代を再構築した映画なわけですが、この映画は21世紀に八十年代を再構築した映画で、いっしゅん、台湾の八十年代の不良はこんなガラシャツファッションやったんかいな、と思いそうになりますが、幸か不幸かつい最近、「ナイルの娘」という台湾八十年代アイドル映画観てましたので、こういう不良でもないだろ、と改めて思いました。柄シャツでも、ペイズリーくらい着てるんじゃいかと。真ん中分けとか肩パッドのジャケットとか、リーゼントとか。この映画みたいに、ヒロトみたいのがいたとも考えにくい気もしました。

2018-05-08「ナイルの娘」(原題:尼羅河女兒)(英文タイトル:Daughter of the Nile)デジタルリマスター版 台湾巨匠傑作選🌞2018 劇場鑑賞
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180508/1525786837

最初に制作会社の"青春歳月, Greeendays"の文字が出るので、それがタイトルかと思ってました。各キャラの名前というか仇名が、國語世代と外省人は字幕で英単語で表されますが、じっさいのはっちょんは國語で、モスキートは"蚊子"ウェンズですし、モンクは"和尚"heシャンで、しかし私は耳が悪いのか、ドラゴンのリーズーロンもウルフのホイランもよく聞こえませんでした。で、白ザルですか、なぜモンキーでないのか分かりませんが(文字数の問題か)白ザルが「シャオカウ」と聞こえ、バイホウとは聞こえませんでした。台湾黒道の綽名が下駄だったりマサだったりはご愛嬌で、両世代の中間であるブンゲラン(と私には聞こえた)は北京語の会話ではウェンナントカと聞こえ、文さんかなーと思ったら🎯打中でした。文謙。ウルフの右腕のスカーも聞き取れず、これは単純に私の語学力の問題で、"刀疤"と云われてもチンプンカンプンだったということです。
マサ親分が、狗語ゴウユィも話せないのに外省人とつるめるわけがないだろう、と言っているその狗語だけ北京語というか國語グオユィではっちょんしてるのはお約束ですが、不良のティーンエイジャーたちが、不断はわりとべらべら台湾語も話すのに、肝心かなめの、大事なことを話す時は國語になるという現象が面白かったです。ドッグが命乞いをする時も最後北京語になりましたし、友情のあかしとか復讐とかも國語になります。オフィシャルな意思表示の言語ということなんでしょうか。
で、台湾と対岸の福建省南部以外の中華圏の観客は、國語以外なにさべってるかロクに分からず、いらいらしっぱなしだったのではないかと思います。それ以前に見ないか、字幕では。全文國語版がたぶんあるんだろうなと思います。そうでなければ中華圏全土に売れないので勿体ない。そう、それで思いましたが、この映画は、歴史的な"帮"の流れを汲む(そこに日治時代の積み重ねも加わる)台湾黒道が、没義道で銃を平気で扱う外省人組織に徐々にヤラレてゆく、という「歴史」を扱ってますが、その歴史は、再構築した歴史観もあるんではないかな、と思いました。八十年代に少年サンデーに連載してた『拳児』の台湾編では、台湾ヤクザはヒットマンに大陸から密入国してきた蛇頭帮を使ったりしてました。対岸の福建省南部ならことばは同じ閩南語ですから、三民主義とか覚えて歌えるようにすれば、なんでもすぐ死刑の大陸より台湾のほうがアウトローにとってはマシな世界だったということで。娯楽も多いし。陳水篇総統が二回目の選挙で、投票日前日に大陸から密入国したよく分からない人に撃たれた事件も思い出します。一方的に外省人本省人をヤッていたという歴史観だと、大陸から来た食い詰め者を使うという展開ははなしがこんぐらがるのでやらないでしょうが、そこまで深く掘り下げてもよかったのではないかと。
"鄢道"ヘイダオという単語ですが、私は"道"は軽声にしてしまうので、この映画みたく手を抜かず"道"を四声で発音する世界だと、浮いてしまうかなと思いました。そのへん、大陸で漢語を学ぶと、なにかと台湾では新鮮な発見というか、島国で濃ゆく濃縮された國語世界で、どこの田舎か分からへんけどそういう方言もあんねやろね、で済ませてくれない、細かいチェックの洗礼があるということで、天野健太郎とか毎日それなのかなと思ったりします。
北投の温泉に行ったことがあるのですが、熱海みたいなホテルが並んでいて、で、温泉には、日式の墨を入れたお年寄りがのんびりしてて、日本語で話しかけてくれるという、誰かがお膳立てしてくれた台湾版はとバスツアーではないかと眉につばをつけてしまうような体験をしまして、で、この映画も、墨はみんな日式で、中間世代のブンゲランだけ、中華式とも見えるよく分からない彫りかけになっていました。日本も今はタトゥーの人も多いですし、こういうのはどういうことで変わってゆくのかなと思います。もちろん紋身でない人の人口のほうが多いわけですが。
この映画はモンガの覇権争いなので、大稲程とかは名前しか出ないです。下駄の奥さんの姉御はハーフみたいに見えますが、そこまで語ると119分の上映時間を越えるからか、背景はナシです。ドラゴンがクオーターに見えるという自然な展開。
この映画もほかの映画も、タバコはおkなんですが、ビンロウがいっさい出ず、特にこの映画は、このあたりはみんなカリコリやってねーかなーと思い、台湾映画はビンロウ出しちゃいけないしばりでもあるのかと思いました。以上