『 石ころだって役に立つ「本」と「物語」に関する記憶の「物語」』読了

読んだのは、単行本です。

イラストレーション Philippe Petit-Roulet
ブックデザイン 日下潤一
カバー写植印字 飯塚隆士(帯・目次・扉も)
用紙 里紙・白(カバー・別丁扉)
   里紙・あんず(表紙)
   里紙・あじさい(見返し)
   里紙・なのはな(帯)

初出は角川の「本の旅人」1997・10号〜1999・4号連載「置き忘れてきたものたち」
改題加筆訂正の由。

この本の著者紹介で、初めてこの人が上智中退と知りました。マスコミの学閥としてはアレなだけに、それだけに個人の才覚があったのだと思います。

頁12「なぜ私は本を読むのをやめられないのか」アイリッシュ・ウイリアムの『幻の女』が出てきて、小泉喜美子サンが、コーネル・ウールリッチのことね、と言い、この小説はチャンドラーの次くらいに好き、と言っていた思い出が出ます。フェヤーモントホテルのバー。ドライマティーニを何杯も。

http://www.ginza-komatsu.co.jp/blog/archives/419
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頁76「海岸行きの電車」
その点反米というのはいいテーマだった。いくら反米をしても、絶対的な強者であるアメリカは気にしない。韓国の反日運動とちょっと似てる。少なくとも数年前までは、なにをされてもいわれても、反日が韓国内で行われる限り日本では問題にならなかった。相手国の国旗を焼くなんて、時と場合によっては戦争挑発行為なんだが、これも大丈夫だ。甘えといってもいい。

前世紀末の文章です。が、こういうことを考え出してるんだな、と分かる。マスメディアが世界を狭くして、そののち、インターネットがおかしなブースターになった、その過程のいちページかと。

頁88「須賀敦子の風景」この人は一度読もうと思って、読んでないはずですので、改めてこれを契機に、読もうと思って、一冊貸し出し予約しました。読書感想を書きながらネットで図書館に予約してますが、時々、図書館に行って借りた後、なんでこの本読もうと思ったんだっけ? と分からなくなり、日記を検索しなおす時があります。その時、アマゾンだけしか出してないと、検索に引っかからないので、書名も打ち込むようにしようとしています。忘れますけど。同様に、つべも、削除されると何を載せてたか分からなくなるので、曲名くらい打ち込んでおこうと。閑話休題神奈川近代文学館須賀敦子展も行こうと思ってたのですが、行きませんでした。

2014-10-28須賀敦子の世界展
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20141028/1414494081

米原万理は読んだのに、須賀敦子はまだだった、というのもヘンな話かと。

基本的に四十代から過去を追想する話ばかりで、なんでそんな後ろ向きなんだろうと思いました。そういうコンセプトの連載だっただけで、前向きのエッセーも別途あると信じたい。母親の死は前の本で読みましたがこの本では父親の死も語られます。最後の話が、廿代の同棲時代(無職)で、その時の相手が妊娠した話です。仕事について、働き始めた時の妊娠であったら、作者はどういうふうに人生振れてただろう。とまれ、この個所は、女性は読んで不快というか憤怒かもしれません。以上