『お嬢さん放浪記』(中公文庫)読了

お嬢さん放浪記 (角川文庫)

お嬢さん放浪記 (角川文庫)

今出てるのは角川文庫なんですね。
お嬢さん放浪記 (中公文庫 M 7-5)
お嬢さん放浪記 (中公文庫 M 7-5)

お嬢さん放浪記 (中公文庫 M 7-5)

中公文庫はカバー・田中一光 
カバー折の著者写真は昭和三十四年の再海外渡航時の写真。
あとがきあり。解説 河盛好蔵 読んだのは1992年3月20日刷13版。

犬養道子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E9%81%93%E5%AD%90

パパの書いた、『揚子江は今も流れている』は今も私が大好きな本ですが、万引き家族安藤サクラにまでつながる血統とは知りませんでした。

犬養健 家族・親族 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E5%81%A5#%E5%AE%B6%E6%97%8F%E3%83%BB%E8%A6%AA%E6%97%8F

何故か私は、この著者が武田百合子の『犬が星見た』を書いたような模造記憶があります。

これも、関川夏央山口文憲の対談集(下記読書感想)に出てきた本。

2018-07-14『東京的日常』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180714/1531585353

以下後報
【後報】

頁65 シカゴの一夜
私は前にも一度、町の名前は忘れたが、ニューヨークのウェストエンドで、それこそ生命からがらの冒険をしたことがある。何でも、その町角では三日にあげず一つか二つの殺人事件か強盗事件が起るそうである。そこはニューヨークの暗黒街の中でも一番不思議な一番うす気味の悪い所だと聞いた。私の友人で、このウェストエンドの町角近くに、アル中の女性を保護して何時でも泊めて食べさせてやる「ハウス」をひらいた女性があった。ドロシイ・デイと言えば、少しニューヨークを知っている人なら聞いたことがある名前にちがいない。曽ては共産党のリーダーであったが、人間性と人格の問題にゆきあたって、「愛による社会主義」を考え、カトリシズムに転向した。その自伝「ユニオン広場よりローマへ」はひろく読まれている。以来彼女は「愛によるパシフィスト」運動の筆頭で、つい先日来た手紙によると、今は原爆反対のデモをやりすぎたために刑務所に入れられているらしい。「C・W」(カトリック労働者)というのが彼女のグループの名である。このグループのメンバーは、洗濯女にやとわれたり、ビルの窓拭きをしたりして金をもらい、その金で買えるだけの食糧を毎日ハウスに来る女たちのために用意するというやり方をとっていた。だから、パンとミルクだけの日もあるし、肉がつく日もあるし、何もない日もあるわけである。四間ばかりのアパートがアル中の町の女たちの寝室兼食堂兼ドロシイの事務所兼台所であった。
 話がそれてしまったが、とにかく、私はある夕方、ドロシイのところに遊びに行って、話しこんでいるうちに夜中になった。この辺は尋常の場所ではない上に、まだ日本人に対して敵意を持っている中国人がひどく多い。それに住人の大半はアル中だから泊まっていけというドロシイの忠告を斥けて、私は通りに出た。そして、ドロシイの「ハウス」からほんの二、三丁のところで、何国人とも判断のつきかねる異様な五人に包囲されたのである。
(以下略)

ドロシー・ディ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3
"From Union Square to Rome" Summary pdf
http://www.catholicworker.org/dorothyday/articles/2.pdf
著者は最初のアメリカの時点で、もう相当に独立独歩で、自分で商品をこさえて付加価値をつけて売って稼ぎまくって、結核発病して、びよきの留学生とかダメですアメリカを利さないから帰国しなさい令をものともせずに抜け道と人との関係性を利用してサナトリウムゲットして、そこでも手を動かして商品をこしらえて稼ぎながらすごすわけですが、合間に出てくる人名も、あとでなんとなく検索すると、なんでこんなラジカルな大物と知りあいなんだよアホか、とめんくらいます。すごいわ犬養家。

頁84 オランダ風物
 私が見たいろいろの施設の中で最も感銘を受けたのは、南オランダの炭鉱村と、北オランダのヒルヴァサムという町にある学生サナトリウムだ。
 ある夏のこと、東南アジアから留学している学生数十名が、十八日間の見学旅行を企画して、南に下った。私はこの旅行によって、堅実なオランダの社会状況を少しでもよく見られるならば、将来日本に帰ってからも、何等かのプラスになると考えたので、在欧の日本人留学生多数に参加をするめる手紙をおくってみたのだが、残念にも一人の参加申込者もなかった。理由は「東南アジアとは一しょにはされたくない」というのだった。その言葉に、私は在外邦人のコンプレックスを見た気がした。

(中略)子供二人をもつという若い鉱夫に招かれて、私は韓国の留学生二人と一しょに、彼の家に昼食に行った。アパート形式ではない一個別の家が、リンゴの並木にそって並んでいる。(後略)

韓国が東南アジアかどうかはともかく、よくそんな手紙書くところまでするなー、えらいなー、と思いました。

頁125 ドイツの冬の旅
 私はどんな土地に行っても、時間の都合をつけて、コムトプレトリウム(全うするの意即ち終課とよばれる夜の祈り)に出かけるのが常だった。一人一人、各自の部屋でひっそりと祈ることは善いことだ。同時に、社会的動物として互いに連なりあい、「互いの荷を負い」「互いの肢」として結ばれている人間が、その共同性の意義を自覚する為に、集いあつまって一しょに祈るのも又善いことである。蛮族襲来のあとを受けて、荒廃した西洋の地に、信仰ばかりでなく文芸・学芸・工芸・農芸の術を守り、これを人々に伝えて、ある意味で西欧文化の父とも呼ばれる聖ベネディクトスが、自ら編し構成したコムプレトリウムは、中世紀以来、戦の時にも平和の時にも、辺疆の地においても学都においても、人々の口に唱えられ、心に灯をともして来た。旧約の詩篇三つ、新訳各書からの数節から成るこの終課は、グレゴリアンの中でも、最もしみじみとした音律をもつ、一度聞いたら忘れ得ない節まわしで歌われる。

Te lucis ante terminum Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Te_lucis_ante_terminum
五線譜をどうここに書いたらよいか分かりませんので、私なりに下記記します。

ソ4シ4ラ4444シ4ラ4 ラ4444ソ4ラ4ソ4ファ2
Te Lú-cis án-tetér-mi-num Re-numCre-a-tor,pó-sci mus
ラ4ラ4ソ44シ4ラ4ソ4[ラ4シ4ラ4]3ラ4ラ4ソ4ファ4ソ4ラ4ソ4ソ2 [ソ4ラ4ソ4]3ファ2ソ2
Ut pro tú -acle-mémti-a_________ Sispraé-sul-et cus-tá-di-a. A - - men.

頁126
光消ゆるに先立ちて、創り主なる神よ
夜のまもりを
御身のあわれみに頼まん

動画のどれが著者の言う節回しなのか分かりませんので、列記します。すべてStephan Georgeさんがあげられているもの。

Te Lucis Ante Terminum (Pentecost, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Ordinary Sundays and minor feasts, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Lent, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Advent, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Passiontide, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Paschal Time, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Ascension, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (On solemn feasts, Compline)

Te Lucis Ante Terminum (Epiphany, Compline)

頁126 ドイツの冬の旅
 ドイツ人もユダヤ系もフランス人もアメリカ人もアフリカ人も、一つ心で一つ言葉で歌う終課に、自分の声もまぜる時、私はいつでも、郷愁めいた懐かしさに胸が満たされるのを感じたものだ。ラテン語というくさびを通して、未知の人々のさなかでも自分はよそものではないという安心感を与えられたものである。欧米での旅の間、淋しくなると私はラテン語の聞かれる場所をたずねて行った。その夜も、ミュンヘンのハイリゲ・アンナの聖堂で、私はドイツの学生たちと肩をならべて、それを歌って来たのである。

よく分かりませんが、ミュニックは、ビールはうまいけれども、生のじゃがいもをすりおろしたものと、マッシュポテトとを、半々にねりあわせて、湯の中で煮るじゃがいも団子を延々食べさせられて、著者は胃病になってしまったそうです。一週間で。
上記で分かる通り著者はラテン語が出来るので、イタリア旅行では、ラテン語の語尾とアクセントをいい加減に変えた即席イタリア語をデッチあげて、それでけっこう通じたそうです。(頁208)
(2018/8/18)
【後報】

頁215 女ひとり
(前略)この点、日本人は人を食事に招くことにあまり気を使いすぎる。仰山に考えすぎる。みっともないからという変な理由で、無理してよいものを買いととのえたり、ふだん使いもしない皿小鉢をならべてみたり手のかかったことをするから、しまいにはおっくうになって、段々に友達を呼ばなくなるのである。ただでも面倒なことの多いこの世の中で、せめて友達くらいは気らくにざっくばらんに招いたらよさそうなものだ。かみしもを羽織らねば招くことの出来ないような友達は、ほんとうの友達ではないのである。

むか〜し女子会に一度だけお呼ばれしたことがあり、手づくりの料理一品を持ち寄って、ホストが調理したそのほかの料理といっしょにいただいて、お茶を飲んで散会でしたかね、女性ってこういう集いをするものなんだ、と感嘆したことがあります。その後2ちゃんとかで「毒女」と呼ばれるようになる女性たちで、全員大卒で、都内在住で。
それとは何の関係もなく、京都で、私が辞めた後、職場の金切り声のヒステリックな女性が、週末カフェを始めたので行ってきましたよ〜呼ばれたもんで、と、職場に残った人からレポを聞いた思い出もあります。なんかアットホームを目指したんだとか。

頁224、どこの国でもサクサクと暮らせた著者も、フランスだけは、ガイジン労働のしばりがキツくてロクに働けず、そして物価も高いので、さいご体を壊して帰国するところまで行きます。フランスは戦後労働力不足を東欧移民で補ったはずですが、留学生とかに対しては、居つかれるような軽労働を与えようとはしなかったと。彼女のこころの支えになったのは彼女が主催した幾つかのサークルと、日本語ぺらぺらのフランス人神父のサークル。彼女のサークルでは、開会時黒人霊歌を歌ったそうです。

Oh, what a beautiful city, Oh, what a beautiful city, Twelve gates to the city, Allelu......

下記はフランス田舎旅行の記録。

頁243 オルレアンからサン・ブノアへ
(前略)それから、明日の朝は、奮発して朝陽のさしこむ時に、サン・ブノアの聖堂にいなくちゃならん。サン・ブノア様(註、聖ベネディクトのフランス読み)は、すべての被造物が等しく天主を讃えることを力説されたお方だ。あの聖堂は、田園の静けさと、朝陽の輝きと、小鳥の歌と、人々の祈りとが、渾然と一つになるように特別につくられたものなのだ――こういってからおっさんは、私の前に置いてあったブドウ酒の瓶をのぞきこんだ。
「干さんかね」
「干したらノビてしまう」
「フーン」とおっさんは私の顔を見た。「金を払っておきながら残すとはヤボな娘だ。こっちにかしな」
 彼はうまそうに、のどを鳴らして瓶を干した。
「オルレアンの味よ」と彼は言った。「ブルゴーニュがうまいの、ボルドーがうまいの、シャンペンがうまいの、何といったって、酒はその土地のものが一番うまいで。酒は土地の心なんだから。心は味わわにゃわからない。酒も愛して味わわにゃわからない。酔うために酒を飲む阿呆どもは、文化も教養ももちあわせのねえ奴よ」

この後、著者たちがユダヤの血を引くナチ迫害の詩人マックス・ジャコブの小さな白い墓に野菊をたむける場面に続きます。オランダ旅行もドイツ旅行もよいのですが、作者のフランスへの憧れが文章に反映されてるせいか、フランス旅行は美しいです。というか、オランダやドイツでは、どうしてもプラグマティズム賛美になるので(ドイツ人の組織力行動力精神力を著者はたたえてやまず、アメリカ人の豊かな物資から来る豊穣さ、包容力にも著者は素直にシャッポを脱いでいます)フランスでは詩的な形容詞に気を使ってるのか。

さいご、長いですが一気に写します。ふたつの主題を分けて要約したかったのですが、無理かなと。

頁247 オルレアンからサン・ブノアへ
(略)うまい工合に、一軒の漁夫の家らしいものが、リンゴの林の中に見えた。近づいてのぞいてみると、暗い土間に、人のよさそうなおかみさんが忙しく何かを料理している。何かと聞くと、今朝カゴに一杯とれたばかりの、ロアール名物の魚だという。大よろこびで中に入って、土間の一角に陣どった。レストランではありません、というのを、無理にたのんでおそい昼食をとることにきめた。
 幾十年前のものかといぶかしい大きな石のストーブに、マキをどんどん放りこんで、碧い澄んだ眼が印象的な、ローランサンの絵にでもありそうな美しい若いかみさんは、愛想よく、いますぐですからと言いながら、黒い小魚ポアソン・ノアールを手早く揚げて、地酒一瓶と一しょに出してくれた。からくちの強い赤ルージュだった。あいにく白は切れているとかみさんは言いわけをした。
「でも、じきに、ルージュにあうものを出してあげますよ」
 飛びこみにも嫌な顔を見せず、かみさんは奥の方から大きな鍋をもって来てあたためてくれた。中には、野鴨の肝を犢こうしの肉で巻いた煮込みと、とろけそうな玉ねぎが入っていた。スランス人の料理のセンスは、いっそ芸術的とよびたい程だ。こんな漁師の家でさえ、ロンドンの目抜き通りのレストランの料理よりも、百倍もコクのあるうまい味つけのものを出す。これでおしまいかと思ったら、山もりのサラダと、数種類のチーズと、リンゴを詰めた手焼のパイと、香りの高いコーヒーを御馳走して、七百フラン頂きますと言った。パリでこれ位食べたら、サンミシェルの学生街でだって、一人千フランは見なければなるまい。
 私たちが有頂天で食べている間中、かみさんの末っ子という男の子が、私たちのまわりをうろうろしていた。
 いくつときいたら二歳半だという。このへんの古い習慣だといって、三歳位までは女の子の服を着せておくのだそうだ。上がみんな女の子だからとても助かります、とかみさんは笑っていた。
「おさがりがみんなこの子にまにあいます」
 ドミニクというこの子は、のどがかわいていた。さいしょは揚げものにいそがしくて、とりあわなかったかみさんも、とうとう手を休めて、大きなコップを棚から出して来た。それ、ドミニク、おとなしくするんだよ、そういってかみさんは調理台の上のブドウ酒をポンとぬいて、コップになみなみとついでやった。二歳の子供が息もつかずにつよい地酒をのみほすさまをながめて、私は仰天した。つよすぎるんじゃない、マダム、そうたずねたが、かみさんは平気だ。「水が悪いんでね、このフランスという国は」
 テレーズはランフォルマシオン誌が、こんど子供のアル中問題をとりあげるのだ、といって、フランスの子供たちの多くが小学卒業前に半分「お月様」(少し頭がへんになること)になってしまうこと、そしてそれは飲料水の高価であることとブドウ酒の安さとに根をおくのだと話してくれた。実際、エビアンやヴィシーのような飲料水は大ビン八十フランもするが、市場でタルから買うブドウ酒は大ビン二十フランからある。ブドウは南フランス至るところにふんだんにとれるから、ブドウ酒ほど手がるに安く口に入るのみものはない。マンデス・フランスはミルクを奨励したが、それではブドウ酒づくりが上がったりになるので、南フランス全体のつよい反対にあって、結局彼は失脚してしまった。漁夫の家なので、子供がガブガブとのどのかわくたびにのむのは、だからブドウ酒ということになる。いくら弱い酒でもそうガブガブやっていたのでは酔うことうけあいである。こうしてきたえられた子供たちは、大人になってもビンの三、四本干した位ではビクともしない。しかし、ビクおもしないところまでなる前に、すでにアル中の病は子供を犯すのである。小学三年位で、算数などあまりこみいったのは出来ない子が出て来るそうだ。頭はよいし勉強もする。しかし何となくポーッとしてしまうのだそうだ。パリの日刊新聞の一つ、フィガロ紙も、二、三年前この問題を特集としてとりあげた。
 このごろのメトロ(地下鉄)には、ブドウ酒を半分ついだグラスの絵がはってある。その下には「健康と節制」「健全さと節酒」などと書いてある。だがこんなこと位では、この問題の解決にはまだまだ程遠い。

著者の、「一しょ」と書くクセが面白かったです。ワープロ登場以降の私たちは、変換候補にない組み合わせの単語を書くことが、すっかり贅沢な行為になってしまいました。登録すれば書けるんですけどね、むろん。でも、そのためには、事前にその書き文字の組み合わせに慣れてしたしんでないといけない。このパソウコンに登録してる単語は「神奈中」一語だけです。これはIMEが対応してなかった。

河盛好蔵 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%9B%9B%E5%A5%BD%E8%94%B5

上記の解説者は、1975年にツレとパリに行った際、欧州在住の彼女とスイス、ツェルマットで避暑生活をした折を回想し、彼女は毎朝登山姿でマッターホルンの山々に挑戦し、夜は正装でホテルの食堂に現われ、食後はサロンで独仏エイゴを自在に操って宿泊客らと歓談を楽しんだ。なので同行の自分たちも肩身が広かったと。

解説 河盛好蔵
 私が初めてこの本を読んだとき、主人公があまりに欧米人のなかに自由に入ってゆくのを見て、多少の誇張があるのではないかと疑ったものであるが、一週間、外国のホテルで道子さんと生活を共にするうちに、真の国際人としての道子さんの真面目に触れることができて、敬意を新たにしたのであった。

ベストセラー「人とつきあう法」の作者がこないいわはったら、そらそうやとうなづかざるをえまへん。真面目を「まじめ」以外に、この使い方で使うのって、中文だけかと思ってました。日本語でもあるんですね、この用法。逆に、ジェンミエンムーzhenmianmuを、「まじめ」の意味で使う漢語はない。震旦では「しんめんもく」の意味だけ。

真面目(シンメンボク)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E9%9D%A2%E7%9B%AE-539116
ありの、ままの、すがた見せるのよ♪ 以上です。
(2018/8/19)