『 国境 第1部 1939年 大陸を駈ける』 (大長編Lシリーズ この作家のこのテーマ) 読了

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国境―大陸を駈ける〈第1部 1939年〉 (大長編エルシリーズ)

国境―大陸を駈ける〈第1部 1939年〉 (大長編エルシリーズ)

装画・さし絵  真崎 守
ブックデザイン 松澤史郎

高畑勲が映画化を企画しながら天安門事件でポシャったジュブナイル小説と、アマゾンレビューでも、アーサー・ビナードとの対談でも、バンバン語られていたそうですが、私は知りません。で、逝去後の下記報道で読もうと思い、春に借りて、なんかとにかくひっかかってひっかかって、ぜんぜん読めなくて、しかし誰もリクエストしなかったので延長延長でなんとか一冊まず読みました。三部作です。高畑勲逝去後も、私以外誰も借りに来なかったというのが、さみしすぎる。

リテラ 2018.04.13
火垂るの墓では戦争は止められない」高畑勲監督が「日本の戦争加害責任」に向き合うため進めていた幻の映画企画
http://lite-ra.com/2018/04/post-3949.html

しかたしん - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%97%E3%82%93

この理論社の大長編Lシリーズは本書巻末を見ると、ほかに、さねとうけいしゅうの息子のさねとうあきら*1、渋ガキ隊のひげよさらばの原作者上野瞭*2、御松テル子*3という三人の方の名前があります。イラストを大事にしてるシリーズらしく、本書の見どころは、ズバリ真崎守のイラストです。それしかないとまでは言いませんが、絵がなかったら、かなり読まない。画像なのでここにバンバンイラスト置けませんが、表紙裏だけ置くので、想像してけさい的な。

真崎守 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B4%8E%E5%AE%88
この人にも得手不得手があるので、チャイナドレスのスリットからパンツが見えそうで見えない場面は全然セクシーじゃないですし、資料がなかったのか、オオボの横を、騎馬行だか当時の邦人の大陸支那語で言うところの「ダーチョ/大車」でゆく場面は、オオボにはためくタルチョが書いてないです。というかチンコー麦と同じセンスで、しかたしん自身、「オボ」と書いてる。それでは漢語からの重訳ではないれすか…

実際の歴史ものということで、実在の人物が、名前だけはそこそこ出るのですが、登場はしません。石原莞爾も、甘粕も、辻も、山口淑子も(本書では李香蘭名義ではありません)森繁久彌も名前だけ登場します。溥儀も溥傑も浩も名前だけ出ます。溥儀のルビは、プーイーでなくフーイーで、ヘンです。

頁62
「実はサロンに集まるお客さんの中に渡辺先生って、本職は音楽教育がご専門なのに馬賊についていやにくわしい先生がいらっしゃるの。そのかたの受け売り。満州って変な人が集まるところなのよ」

作者も参考文献一覧に入れてる中公新書馬賊』の作者が、カメオ出演というか遊びというかサービスというかで、上記のように登場します。実際に作者の知己なんでしょうかね。

溥儀もそうですが、「風」にファンとルビを振るのもどうかと。フォンなら分かりますが。

中表紙も置きます。
この小説の弱点ですが、反政府活動や思想を取り締まる、ハルピンに本拠を置く組織が、公安局という名前の、関東軍でも公安でも憲兵でもないフィクショナル?な団体なので、これは手直ししないと映画化とか絶対㍉と思いました。またこの組織の連中がマルチリンガルで、日本人ですが日本人に聞かれたくない会話をする時は中国語で話し、沢田を「ツォティエン」と呼んだり、西山を「シーシャン」と呼んだりします。で、この小説は小説なので出てくる女性はみなきれいなのですが、それについていちいち、しょっぴいたりかどわかしたりして性的凌辱を加えたいと語るので、はなはだしくティーン向きノベルではないというか、あるいは、だからこそサル並みの性欲のティーン向きじゃないか、と言えるのか… 実際にやられたキャラもひとりいて、阿片窟の娼窟として大観園とか傅家甸フージャアテインとかの名前で作者はその末路?についてアツく語っています。作者は別名義で官能小説でも書いてたんでしょうかね。ひょっとして。上記のそういう場所は、戦前の写真集とかを復刻した奴が、好事家向けに今でも売られていて、私も昔アマゾンで買いましたが、アホらしいのでその後どうしたか覚えてないです。

主人公は「ケセラセラ」の意味で、「ジンジロゲヤ ジンジロゲ」と言うのが口ぐせですが、インモウの意味じゃないのかよ、と読んでて思いました。

旧制中学の伝統で、学生と書いてセイガクと読んだりとか、ダンクシェンとか、アウフヴィーターゼーエンとか、兵隊の意味でゾルと言ったり、脅迫と書いてゲバルトと読んだり(こち亀も吃驚)とか、そういうドイツ語は風俗考察として面白かったです。一方で中国語は、邦人の支那語というか、兵隊支那語というかです。頁107、「快快的走カイカイテツォ(早く)」とか、頁119、「「ティンリンさん、這的チョウダブルウチーズとコールドビーフのサンドイッチ、很好ヘンハアいや顶好ティンハオ」とか、頁221、「是シー 完了ワンラした。おまえはもう受領証を持っているではないか」とか。頁107と頁221は満人と呼ばれてた(本書ではそう呼んでませんが)中国系の人のセリフなのですが、ありえないと。

226、呵呵と書いてカカと読むのは、私もやりましたが、どうしても「フフ」みたいな笑いの音として受け入れられないんですね。頭が固いのか。この頁は、多謝と書いてタオシエとルビを振ってます。これもな。頁145、「暗气吃アンキチー(外に出すな)」は、知らない言い回しでしたので検索しましたが、出ませんでした。

頁202
(偽帝国満州関東軍の犬を呪いつつ、今日死の日を迎える)
(地獄から甦っても、偽帝国の消える日を見届けてやる)

秘密警察の監禁拷問収容所の壁に残された文章のくだりですが、こういう意味が中国語で書いてある、とのことで、いや、中国語でそのまま書けばいいじゃん、と思いました。私は書けませんが。

頁239、モンゴル語として、シシャリックという料理が出ますが、ロシア語だろうと。頁257、満州や朝鮮に多い狼の意味で、「ヌクテ」というのが出ますが、アホバカ分布考に出てくる福井県の方言かと思いました。作者は京城出身なのですが、頁268、「カムハスムミニダ(ありがとう)」方言でこういう地方もあるのでしょうか。カムサハムニダがこう変化するものなのか。

その一方で、下記のような史実が伏線として登場します。

凌陞 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%99%9E

"拼屯"は検索しても出ませんでした。

裏表紙。
このお話の時間設定は、張鼓峰後、ノモンハン前です。前振りとして、日本が教育して武装させた満州国軍兵士や部隊が、そのまま脱走して馬賊(抗日軍)となって日本に弓引く例が多い(隠してるけど)という話があり、川島芳子じゃないけれど、日本の養父母に育てられたモンゴル人、というキーワードがあって、で、ノモンハン波高しで、日本を去ってモンゴルのために戦う、という筋立てが頁200過ぎに明かされ、やっと面白くなります。その後は、石光眞清とかだとアツく語られるバブジャップが、モンゴル多数の支持を得られず、むしろツブシてやったよあんなの、みたいな、正反対の評価が語られたりして、背筋がぞくぞくしました。その後、機械化殲滅戦のノモンハンと、おそらくはその後、日本育ちのモンゴル人たちを待ち受ける、スターリニズムの粛清の嵐とを、だんだんに語って、翻弄される運命を描いてゆくのだろうな、と思いきや、まったくそういうふうにならないので、ガッカリしました。続編第二部も、イキナリ1943年に飛びますし、ノモンハン書かないのかよ、みたいな。

底なし沼ですが、長征のさいに、四川省の、九寨溝近くが、そんなだったそうで、解放軍の兵士が、同志が沼に吞まれる場面の絵を描いたのを、見たことがあります。

いやー、いくら改革開放の胡耀邦趙紫陽時代といっても、これそのままだと、ダメだわ。高畑勲もお蔵入りして正解、みたいな。続編続々編はもっとテキトーに読みます。以上