終活と尊厳

帰ってきて炒め物を作って、胡瓜をもいで切って冷蔵庫で冷やして、一時間ほど雑草をとって、冷水を浴びながら水場の掃除をして、その後適度に冷めた料理をかっこんで、昼寝をすると、ぱらぱら雨が降ってきて、その後外出して帰宅しました。そんな日です。

今朝はスポーツ新聞の一面がぜんぶまる子でした。

ちびまる子は中文では小丸子で、砂鍋のξ具材のような名前になると思ってます。
https://ali.xinshipu.cn/20100325/original/1269479972598.jpg@288w_216h_99q_1e_1c.jpg
砂锅丸子 心食譜
https://www.xinshipu.com/zuofa/13853
昨夜、ソウルからヌグセヨの産経新聞が、臺灣香港大陸それぞれの速報を訳して伝えていたのを見まして(何故韓国の報道を入れてないのかは不明)、今検索したら朝日等もそうしていたようで、私はいつも、クラスメートたちの名前が、乗っ取られるはるか以前のガロ系漫画家の名前であることを、まったく知らずに中華圏の人たちは読んでるわけで、しかしそれは邦人も同じなのだろうかと考えていたのですが、今回、えびすくんが出なくなったのはただ単に蛭子能収が芸能人として有名になったからだ(みぎわぱんとか花輪和一に比して)と考えていたのを、何か別の都市伝説があるというふうに検索で出まして、世の中というのはいろんな人の意志の集合体なんだなと改めて感じました。
かつて知人が、日本の隠れ巨乳十傑のひとりに入れていたTARAKOのコメントが出て、仕事上の関係者も大衆と同じレベル、均しく寝耳に水なのかと思っていると、吉本ばななのコメントが出て、プライベートに親しい人は闘病生活を知っていたんだとわかり、今日のさっき検索すると、最初の結婚と次の結婚まで報道されていました。しかし私が一般の人の感想読んで同感と思った、乳がん検診を受けていたのかどうだったのか等の報道は、とりあえず見つけてはいないです。エッセー風漫画を得意とするからといって闘病漫画を描けとはならないでしょうが、しかし早期に情報が公開されていたらそういったバイアスがかかることは必定で、海老蔵夫妻という生き方を見たうえで、有名人であっても今回のような終活、人間の尊厳の保ち方もあるのだなと静かに思いました。読者に心の準備がないからといって、誰も困るわけではありません。事前情報があっても、「びっくりしました、ご冥福をお祈りします」以外言うことなどないでしょうと思います。これが一点。
報道に関して、故人がわりと早期から主人公のイラストを自分のアイコンとして使い、写真を出さなくなっていたことを鑑みて、その前の、出していた頃の写真を記事につける是非について、どこかで論争ないかと思いましたが、捜していません。

2018年8月28日6時0分 スポーツ報知
さくらももこさん、落語家になりたかった 幻に終わった小朝への弟子入り
https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180828-OHT1T50007.html
はてブ"わたしも矢沢あいも「りぼん」に載って..."さくらももこ自伝『ひとりずもう』のあるシーンが切なくなる - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1260986
二点目は、エッセーコミックというジャンルのパイオニア、ファウンダーについて。上のコメントにもありましたが、バブルを迎えた当時のりぼんで、なんらかの、総合的にイロモノも含めた紙面づくりへの胎動があったことは間違いなく、編集長が、面白い、これ載せちゃいましょのひと言で掲載が決まったと煽りに書かれた、米須あーみんデビュー後即岡田あーみんに改名の作品がりぼんを席捲してまもなく、さくらももこが出てきたと私は認識していて、当時、さっき思い出したのですが、確かにあの頃は、「ヘタウマ」という言葉があった、登場していたです。当時のりぼんは吸血鬼と魔界のプリンスの貴種流離譚だかの漫画である?秋田ときめきトゥナイト以外、恋愛マンガ主流は当然ですが、のちに中国語やポーランド語をまなびにゆく漫画家とか、これものちにトルコ人と結婚する漫画家とか、ホビットだかドワーフだかのSFまんがをかいた人とか、多士済々で、私が永遠にその仕事を混同してる陸奥A子と清原なつのもいたんだかマーガレットだったんだかです。
岡田あーみんがいてさくらももこがいて矢沢あいが出た、というふうに光の面だけ見てるといいこと尽くしですが、もちろん影もあって、尊敬する漫画家ハギオモトと書いた、小学館でも担当編集ついてそうな人がSF恋愛マンガのデビュー作載せてそれっきりとか、そういうのもあった気がします。さくらももこも、さんざんっぱら投稿まんがの選評で、もうエッセーコミックの実力は計算できるのでそれ以外の創作漫画も見たい、と言われ続けながらエッセーコミックばかり投稿してたイメージがあります。同時期にヤンジャンはた万次郎がやはりエッセー漫画ばかり投稿してたはずで、性差なのか個人の個性の違いなのか、はた万次郎のデビュー作は学校から浮いてフケて草原でねっころがるJKとユーフォー、みたいな創作だったと記憶しています。さくらももこはガンとしてエッセーコミック以外投稿せず、デビューしてから苦労するだろうから創作の勉強もしておきなさい、という、マルチに平均点を求める発想と、いいところだけを無限に伸ばす教育をすべきなの、の、たたかいがそこにはあったと思います。
実際、私はコジコジという漫画は、日本にいなかったので?知りませんが、それ以外、神のちからとかなんとかで、創作で苦労するさくらももこというのは見てると思います。でも、卓越したフィクショナルなものがたりの語り手としてのスキルを彼女に要求して、まる子が生まれなかったら、そっちのりぼんの損失ははかりしれなかっただろうと。矢沢あいは、さくらももこデビュー以後の投稿で、『素敵に熱い夏』というタイトルの作品が、カルいチャラいすべてに底が浅いうわっつら、みたいにさんざん書かれて、ヘタウマ全盛期に出た本格派もつらいものだ、世が世ならポスト一条さゆりゆかりの旗手いちばんてと呼ばれてもおかしくないのに、と一瞬思いました。
後年なかよしで、セーラームーンだのセイントテールだのレイアースだのやたら男のオタク編集が背後で蠢動してそうな漫画ばかりずらっと打線にならべてりぼんに勝った時代を見て、人間の見る目って何、子どもはまだ免疫ないんだからこんな漫画ばっかり並べないでと心の底で悶えたのを覚えています。まったく大きなお世話でした。

お父さんは心配症 1 (りぼんマスコットコミックス)

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ちびまる子ちゃん 1 (りぼんマスコットコミックス)

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以上メモ。静岡か東京の献花台に行ってみるかもしれません。おやすみなさい