統合温泉の沿革


上諏訪

 諏訪市温泉の歴史は古く諏訪大社と同じころで神話にも出てくるが鎌倉時代初期には文献にも認められており往還の旅人達の入浴にも供されていた。 明治に至り鉄道の開通とともに温泉地として発展しその頃は市街地一帯から自噴しており全国でも屈指の湧出量を誇つていた。 昭和二十三年温泉法が施行されたとき湧出口数は五五三個所で湧出量は一分間に約一万リツトルであつた。 その後経済の成長に伴い温泉の需要も増えお互いの汲み上げ競争が激しくなり水位は下がり温度も低下して枯渇する源泉も増えてきた。 市は大局的見地に立ち温泉の保護と高度利用を図るためには統合以外に方法が無いことを説き所有者の理解と協力を求めるため幾多の困難を克服し十数年の年月を要したがその努力がむくわれ統合が完成したのである。 今日では個人の源泉は停止されて統合温泉七個所ですべて賄うことができるようになつた。 あまつさえ温泉経営は一切市営となつたので湧出量は八割におさえ利用人口は従来の十倍にもなり市街地を始め農村部に至るまで市内一円に配湯ができ市民は等しく天与の恩恵を享受できるようになつた。 この画期的な事業は諏訪市方式として内外の関心を集め国内は勿論国外まで広く知れるところとなつた。 時あたかも省資源時代を迎えこの自時宜に適した事業を後世に伝えて保護継承を図るべきとの世論が興り市民全温泉利用者の熱烈な総意による寄付金と市費を投入して諏訪市温泉発祥の地七ッ釜にてこの大事業の完成を記念してここに統合温泉公園を築造してその経過を記して永く後世に伝えるものである。
   昭和五十六年 十一月

登場漢字ですが仮名遣いも現代ですが促音「っ」が「つ」です。「ッ」は「ッ」