『人間通』 (新潮選書) 読了

中公文庫の犬養道子『お嬢さん放浪記』を読んだ時、解説の河盛好蔵という人の本も読んでやろうと思い、『人とつき合う法』という本を、ふだんはハウツー本読まないのですが、もめごともあるし、職場でもいろいろあるしで、気が弱くなって、こういうベストセラーに助けを求めようと思って予約したのですが、貸し出し中で、それで、アマゾン「この本を買った人はこんな本も買っています」で出てきたこの本を借りました。黄色の蛍光ペンでたくさん線が引いてありました。

人間通 (新潮選書)

人間通 (新潮選書)

版元
http://www.shinchosha.co.jp/book/603607/

上記新潮社ウェブサイト出だしのことば
「人間通」とは、他人(ひと)の気持ちを的確に理解できる人のことをいう。

頁17「人間通」
組織の要となり世の礎となりうるための必要条件はただひとつと言える。それは他人ひとの心がわかることである。(ここまで蛍光ペン線引き)(中略) 人間は最終的にとことんのところ何を欲しているか。それは世に理解されることであり世に認められることである。理解され認められば、その心豊かな自覚を梃子として、誰もが勇躍して励む。それによって社会の活力が増進し誰もがその恵みにあずかる。この場合、世間とは具体的には自分に指示を与える人であり働きを共にする同僚である。この人たちから黙殺または軽侮されるのは死ぬより辛い。逆に自分が周囲から認められているという手応えを得たときの悦びは何物にも替え難い。(以下略)

承認欲求というやつと思いますが、「へーそうなんだ頑張れ」では、他人の心が分かったことにはならないのだろうなと思います。

著者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%B2%A2%E6%B0%B8%E4%B8%80
読んだのは1995年版の翌年三月八刷。Wikipediaと併読すると面白さ倍増倍増倍々増です。

私はこの人に対しては特になくて、それはなぜかというと、ひとつには、支那呼称に関して、文部省通達の解釈を、漢字でなくシナと音で表せば言いだろうとして、本書「人間通になるための百冊」でも津田左右吉の『支那思想と日本』を、原書は戦前の書籍なので漢字ですがカタカナに直して「シナ思想と日本」として紹介しており、ずっとそうなのですが、それがその後、石原慎太郎がノーと言えるシリーズで、中国人留学生たちと、カナであってもノーです、ノーちゃうやろ、えやないけ、みたいな論争をして、それを受けてか、支那=CHINA(チャイナ)であるわけだから中国と書いてチャイナとルビを振ったらヨロシ、と提唱して、それをご本人の著書で実践しはったんですな。苦笑というか好可爱というか。これがひとつ。そしてもうひとつには、開高健の盟友であったこと。思想的にはまるでアレな呉越同舟だと思うのですが、圭角がない関西人の典型同士というか、思想に左右されない友情がはぐくめる人物であるから(同時にそれがこの人の弱点でもあるんでしょうが)、その御仁の書いた対人関係のハウツー本を読んでもいいかなと思ったです。

表紙記載の作者のことば
私は四十代あるいは五十代に至って人生に関する若干の知見を得ました。そしてそのたびごとに、このような思い至りがもう十年早く脳裡に浮んでいたら、もっと賢明に生きることが出来たであろうに、とつくづく悔やむのが常でした。この本に書いた事柄はすべて私の遅すぎた納得事項ばかりです。それを早い目に読者へ伝えたいというのが本書執筆の動機でした。

頁35、外連藝(けれんげい)ケレン味のある芸の意味だと思いました。検索すると、コトバンクとかWeblioとかはズバリの単語が出ず、谷沢栄一のグーグルブックスばかり出ます。オキニなことばなのか。
この本は東大出の官僚とか学閥とか軍閥とか他人を支配したい慾望など、いろいろ人間の短所を出しますが、宗教の本ではないので、救いとか解はございません。

頁36「人と人」「共創競争」
競争心の極わみは相手が何かを遣ってゆけなくなるように仕向ける叩き潰しであるから、屈服と破滅に至らぬためには、相手の打つ手に抗して対応策を講じるしか他に道はない。(略)すべての競争は自衛である。

頁38「人と人」「舐められる」
為すべき本筋の仕事に打ちこんでいる者を人は絶対に軽蔑しない。それほど絢爛たる業績を挙げていなくとも、着実に細心に努めている精励を周囲の者はいちおう認める。相対的に無能な者が無能なるがゆえに見放されるのではない。(略)無能な者が己れの無能に居直って拗ねて斜交いになって、不平を喚きちらして故なく誰彼を誹り人の邪魔になるとき遂に弾きだされるのである。←この行は蛍光ペンで着色されてま。

頁40「人と人」「人褒め」人が人をけなすのは、潜在的に、自分をほめてと叫ぶ行為なのだ、という意味の文が前段。
 人は誰でも自分を褒めてもらいたい。しかし自分が人を褒めるのは嫌なのだ。その間の行き違いから至る所で無意味な諍いが生じる。人の世をまるくおさめる方法はただひとつ、誰もが褒め上手になろうとする修練である。諸人に立てられ押し上げられる人は、必ずきまって人を褒める勘所を心得た訳知りである。人に嫌われ不遇におちいる扱いにくい型タイプは、決して人を褒めない不平屋である。(略)ゆえに誰からも何かを学びとる機会がない。洞穴にこもっているようなものだから進歩しない。

頁42「人と人」「見せびらかし」
頼まれもせぬのに誰が人のため辛い苦労をするものか。すべては己れをむりやり世に押しだして、さあ注目してくれ仰ぎ見てくれと讃嘆を強制する我意エゴイズムである。

頁43「人と人」「評判」
 人の値打を定める最終の決め手は評判である。(略)世にはさほどの苦労もなく一世の評判を博する果報者もあれば、いくら努め励み願っても評判の立たぬ不幸者もいる。評判は多分に時の勢いがもたらす僥倖であって、神の悪戯とでも言いたい要素が認められる。(略)この世に公平無私などありえない。

頁48「人と人」「嫉妬」
人間性の究極の本質は嫉妬である。人間はどうしても嫉妬から解脱できない。人の世を動かしている根元は嫉妬である。罪なき人を悲況に追いこむ動因は世の嫉妬である。

越谷ナントカの吉澤の悲況とかそうですかね、と言ったら、バカあれはドライバーとしてしちゃいけないことをぜんぶしたからダメだろう、ものさしをちゃんとしろと言われました。

頁48「人と人」「引き降ろし」
嫉妬が究極的に企むところは合法的な人殺しである。情容赦なく手加減せず途中で気をゆるめない。人を破滅させるために計略を練るときの秘かな北叟笑みは戦慄的な恭悦であろう。誰かを陥れるべく悪謀を企みはじめるや、陶酔して歯止めがきかなくなるのかもしれない。
 嫉妬を避ける方法は殆どなかろう。
(略)普通の組織に身をおく者が嫉妬されるのは、頭角のあらわし方が中途半端である場合が多い。たいていの同僚が彼奴になら事と次第によっては追いつけると思える位の射程距離にあるときが最も危険である。皆の衆の目から見て、とても叶わぬ、と匙を投げるほどの地位に駆け昇ってしまえば、そこが漸く安全地帯となる。

こんな感じの、ここらあたりまでがいちばん面白かったです。この後は、この人の史観、政治観がどんどん出てくるので、ニヨニヨ読みの割合が高まります。

頁125、近代日本自虐史観の始祖は北村透谷とあります。作者ウィキペディアと読み重ねて、にやりとする箇所。

頁126「国家と人」「侮蔑」
戦後の我が国では他国への批判を絶対に回避する卑屈が瀰漫している。その臆病が翻って物言わぬ我が国民の先祖を攻め立てる内弁慶の七つ道具に転化した。終戦直後の当時は近代主義と呼ばれた一派にはじまり、昭和二十年代半ば以降は謂わゆる進歩的文化人が論壇を占拠し、日本の歴史を罪悪ばかりの暗黒に蠢く図柄として描き続けた。我等の祖先を故なく穢す暴逆(ママ)である。すべては透谷の血脈を継ぐ卑劣な独善であった。自分たちだけが秀れた眼識を有するのだと誇示するために先祖と同朋を蔑み卑しめ指弾してやまぬ情熱は、自尊心の発作が歯止めを失った屈折と倒錯と卑屈の乱痴気騒ぎであった。

この本は東大出の官僚とか学閥とか軍閥とか他人を支配したい慾望など、いろいろ人間の短所を出しますが、宗教の本ではないので、救いとか解はございません。とは先ほども書きました。あまつさえ下記のように、こうしてコントロールしてくれてるんだよと、仕掛けまで説明してくれる。

頁164「国家と人」「需要」
 もし物価がほんのちょっぴり僅かずつ上がっている時代ならどうなるか。言うまでもなく消費者の購買意慾がそそられる。来月また再来月になれば少しであろうと値上りしているかもしれないから思いたった今のうち手に入れておこう。少くとも買い控えの姿勢がどこにも見られなくなる。誰もが気前よく欲しい物に手を出す。購買意慾が高まれば売り上げが上昇する。売り上げ宜しいとなれば生産に弾みがつく。即ち販売中の商品が増産されるのみならず、新製品の開発へ元気よく乗りだす。設備投資が盛んになる。事業を拡張しなければならない。人が要る。人が要る。雇用が膨らむ。物価上昇の分は給料の引きあげで間に合わせればよい。こうして景気が好転する。(以下略)

グローバル経済だと、こう単純にはいかないかもしれませんが。

頁141「国家と人」「優越」
あの会社はあの専務で保っている、などという評判が生まれたらよほど警戒せねばならぬ。急いで目に立つ補佐役の顔を揃え、名の通った相談役を置き、合議制で事が進行していると見える体制を整えなければならない。

現政権はこれ読んでそうしてる気がしました。

頁169「国家と人」「予測」
世に悲観論が流行るのは、それが安全牌だからである。それに多少とも左翼の毒気に触れた人は潜在意識で繁栄を憎む傾向があるゆえ先行き悪いぞという囁きを主題歌テーマメロディーとする。

このあと、百冊になります。松田道雄から始まり、津田左右吉神田喜一郎はへーと思いましたが、司馬遼太郎塩野七生、山周は、アンタが書かんでもと思いました。ベストアンドブライテストとか入れるのかーとか。山本七平や岡田英彦、渡部昇一は、そりゃ谷沢栄一だから出します罠、という感じ。日下公人という人は、知りませんでしたが、ワックからたくさん再版されている、同じLINEグループの人なんだと分かりました。でもここで紹介されてる『個性を以て貴しとす』は再版されてません。中国を語るにしても、内藤虎南宮崎一定の京大支那学が入って東大中国学が一人もいない(竹内好もいない)のはご愛嬌として、長谷川慶太郎とか、どやさって感じでした。黄文雄宮崎正弘も石平もでませんが、1996年の百冊なので。西部邁石原慎太郎もいませんが、まあ、特に。篠沢秀夫は単なる知り合いだから入れたのではと訝しみました。動物農場デカメロンリア王もファーブル昆虫記も、別にここで出さんでもと思いました。小室総研が出てきてにやりとしました。なつかしい、小室総研。

頁178
共産主義的人間』林達夫(中公文庫)
 戦後数年間における我が国の論調が辿った錯誤の根幹的な批判であり、日本人が宿命的に陥り易い迷妄を剔抉した応病投薬となっている。特別な情報を入手しなくても透視の眼力さえあれば人間界の実態は見抜けるのである。

頁180
『改造は心から』石橋湛山東洋経済新報社版『石橋湛山著作集』4)
 石橋湛山は昭和三年四月に「共産主義の正体」を書き、共産主義もまた現実の経済をどのように運営しようとするのか、即ち「尋常の政治論経済論として取扱うこと」を提唱した。この冷静沈着が一般風潮となっていたら。

この百冊、三冊目が祥伝社ノンノベルの『女喰い』広山義慶で、男は女を性的に満足させなければならない。との推薦の辞なので、スーパースケコマシロマン小説を読んで、それが実践出来るのかどうかはともかく(アダルトビデオよりはマシなのか)、そういえば、本書「人間通」の「人間」って、おとこのことでしかないよな、たぶん、と気づきました。男女雇用機会均等法施行後の年数からしても、たぶん。1996年。オトコ化して男と伍して活躍するごく少数のスーパーウーマンが偶像化されていた時代。だから本書の「嫉妬」は、男の嫉妬ですし、「評判」「名誉」も斯くの如し。
『女喰い』は息の長いシリーズなので、図書館に新しい巻がないこともないのですが、未読なので最初の巻を読もうと思い、kindleもありますし文庫も途切れず新刊入手出来るようなのですが、近所の図書館に最初の巻はなく、一軒ブッコフに足を運びましたがそこにはありませんでした。さてどうしますか。

2018-08-12『お嬢さん放浪記』(中公文庫)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180812/1534021408

以上