『重版出来!(10)』 (ビッグコミックス) 読了

何かタンカンに読めるものがないか書店まで探しに行って買って来たマンガを読む前に、書店で、なんで今のマンガはちょっとエッチな女の子の絵で「〜めし」とか「〜ごはん」とかばっかなんだ(少女マンガを除く)、と思って腹が立ってきて、帰宅してからそのへんにあったこれを読みました。

今までこのマンガを読まなかったのは、題名を「じゅうばんでき」と読んでいたのが一点。もう一点は、昔小学館のスピリッツは編集王をやっていたので、まだやるかと思ったから。編集王の、遊人インスパイア編が、面白くはありましたが、どうにも釈然としませんでした。あんな、深夜に出張風俗を帰した後全裸でステーキをコンロで網焼きして手でつまんで喰うような編集が実在して、あのマンガを仕掛けたとも思われず、しかもその黒歴史が壮絶なイジメ(られ)人生とか、なんだこれとしか思わなかったので。ちゃんとあの騒動と向き合った暴露本でもあるならともかく、それでまたスピリッツで編集者目線のまんがをやってるのかと思うと、読む気がしなかったです。でも今日読みました。

装幀:関 善之(ボラーレ)
巻末の詳細な協力者クレジットによると、題字とマンガ内に登場する雑誌のロゴデザインもこの人とか。

で、情報過多でまとめてもまとめても情報が一部すり抜ける現代を象徴するかのように、頁68の書体協力の工房名は、巻末にはないです。その個所にはあるけれども、巻末に集約するさいすり抜けた。

カバー折の自己紹介でアシスト歴七年というだけあって、いろんな絵が描ける漫画の人だと思いました。目の形ひとつとっても、これだけいろいろ共存させるとめんどくさいだろうと。主人公だけ目の形がバリアフリーで、いろんなタイプを場面に応じて使い分けられます。頁177下のコマの、枠で囲って走る線の絵が懐かしかったです。頁185左上の絵は、頁177を完遂したご褒美かと。

フォントの話は、頁48で、PC世代だと自由に選べるとか書かれてますが、ユニコードの制限まで考えたら、ぜんぜん自由ではないと思います。今日も、みそを書く時、味ロ曽と書きたいのに味噌としか書けずいらいらしました。シ每と書きたいのに海しか出ないとか、もうしょっちゅういらいらです。

ヘッドフォンを付けてる人が多くて、さすが自由業主体と思いました。私の周りでは、あまり見ませんので。ブルートゥースをつけてて、ひとりごとかと思ったらドッピオよろしくデンワだったり、こっちが話しかけた答えがぶっとんでいて、何だこの人と思ったら、ハナからこっちの話聞いてなくてデンワだったり、突然ヘンなはなしかけをしてくるので、なんだコイツと思ったら、ハナからこっちに話しかけてきたのではなく、デンワだったというブルートゥースというかヘッドセットの人は幾らでもいるのですが、ごっつい、外音遮断のヘッドホンは周囲では見ません。ここまでの文章の、デンワはLINE通話に置き替え可能です。

頁91、マンガ家の写真撮影は、おうおうにして眼つきがロクなことにならないので、このコマも、これ仕上がったらヤバいだろうと思いましたが、NGになってよかった。諸星大二郎万里の長城をバックにした著者近影を、「なんでこの人は自分の写真に、白眼の写真を使うんだ?」と指摘していた中学生を思い出します。彼も又信長の人生五十年をとっくに越えた。

頁143下のコマの監督のひっこんだ眼とか、本当に自由業を描かせたらうまいなと思いました。雇われ人の顔も当然描けるのでしょうが。逆はない気がします。弘兼に自由業描かせても紋切り型になる気がする。あの探偵とか、ヒッピーとか組員とかそういう…

おまけのマンガもあって折りこみのペラマンガもあって、読んでくれてありがとうございます大感謝の謝辞もあり、大変な時代だと思いました。

映画化の原作改悪、どうなんでしょうね。ハリウッド版ドラゴンボールとか。居酒屋兆治は舞台を調布から函館に移す必要はないと思いましたが。私は最近そういうこともSNSに書きこむことで昇華出来てしまえるので、みなそうなら、それはそれでインカ帝国と思います。以上