『ふだん着のソウル案内』読了

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ふだん着のソウル案内

ふだん着のソウル案内

関川夏央の下記著書に出てきて、読もうと思った本です。以下後報。

2018-09-22
『「世界」とはいやなものである 〜極東発、世紀をまたぐ視点』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180922/1537618066

【後報】
カバー絵 朴興用
カバー写真 奥野安彦
ブックデザイン 平野甲賀
本文レイアウト 藤井礼
写真撮影 奥野安彦

1983年12月から1987年2月(五輪は翌年)まで、作者がソウルに留学中、日本の友人知人たちに送っていた、手書きコピー紙が元原稿。それをもとに活字起こして編集したものが本書だとか。中国にも、そういうことをしてた邦人女性(何故かたいがい女性)はいましたが、五輪の追い風があったとはいえ、晶文社から一冊にまとまって本が出るというのは、著者の行動力故だと思います。留学しながらフリーのライター的な仕事もしていたそうで、読めるものを納期を守って提出し、さらに顔もつないでいたんだなと。元ネタの手描きコピー紙は、總聯だかなんだかのウォッチャーにまで読まれているかのような指嗾記述がありますが、なんでか知りませんが、必ずそういうのってあったみたいですね、昔は。冷戦構造崩壊してよかったよかった。

頁10、手描きコピー紙の「ウッチャ通信」というタイトルについて言及していて、作者の名前、「郁子(いくこ)」はハングル読みすると「욱자(ウkチャ)」なのですが、「욱다(くじける)」より「읏자(笑う)」で行きたいので、「ウッチャ(읏자)通信」と命名したのだとか。まずここが孔明の罠なのか天然なのかあるいは両方か、というところで、促音といえば小さな「つ」、「っ」しかない日本人はキヨック、kの子音をはさんだ促音が苦手ですので(私の日記では耳タコですが、実際には「メッカ」などの「ッ」はt音でなくk音ではっちょんしてるので、やれば出来る)ビールのメクチュをメッチュメッチュとはっちょんしてしまう邦人のクセとかから、名前の「욱자」でなく「읏자」にしてるんだろ〜、と、ウリは半島文化に詳しいナリ、みたいな、コピー紙をどのような方法でか、著者から送付される以外の方法で入手してる変な人兼半島通の野郎はやにさがって、ここぞとばかりに脳内妄想の作者にツッコミを入れてるんだろうなあ、と思いました。

頁124 申相玉崔銀姫亡命(韓国のニュースでは拉致)報道の個所。
なにしろこの「ウッチャ通信」もなかなか有名になったらしく、影の愛読者のオジサンカライヤガラセデンワガアルトイヤダカラネェ。

よく冒頭からそんな罠を仕掛けるものだ。作者はくえない。「ウ」の音だって、口をすぼめて「ウ」という日本人はおそろしく減っていて、平板な、口をあまり動かさない「ウ」の音になってるので、「우」でなく「으」のほうが、韓国人が耳でとらえた日本語の「ウ」に近くなっているのです。それは80年代からそうだったと思う。

頁16、學短から一度OL生活を経て韓国留学、という作者のバックボーンはまったく語られないのですが、彼女以外の(そして在日関係以外の)韓国留学者たちの素性、理由について書いてある個所。早くもここで統一教会が登場しますが、それはフランス人女性です。一和については、作者の著書で今読んでる別の本、『ソウルサランヘ 日韓結婚物語』の記述のほうがアレでアレなので、そっちで感想書きます。作者はなんで学短から韓国なんだろうなあ。いちおうゼミの研修旅行が韓国で、そっから始まったとあります(頁43)が、どういうゼミなのか。ご学友に李朝朝鮮の王族の系譜でもいらっしゃったのかしらと思いました。私の中国にも特に理由はないので(強いて言えば天安門とか、誕生日の因縁とか、ロシア語表記とかあります)、そんなもんかもしれませんが。スタディツアーでフィリピンのスモーキーマウンテン見て衝撃を受けて、それ以降マニラやらなんやらの人生になった女性が知人の知人でいましたが、その後その人がどうなったか、知りません。

写真に写ってるハングルを読もうという試みを、頁34の、屋台の手書きメニューくらいまではしていて、「アイシン」てなんだろう、その次は「コロッケ」でその次は「ドーナツ」、「쥐포」は検索してカワハギの干物と分かり、その次は「キムパップ」その次は「ヤキマンドゥ」焼き餃子か、という感じで、ついていこうと思ったのですが、作者も戦術的にすぐ新聞の切り抜きとか貼ってきたので、あえなくやめました。読むスピードがおいつかない。

日韓スポーツ戦で、日本が勝つと在韓邦人はたいへんなんだそうで、分かる気はします。本書のどこかの日韓戦は、木村和志のフリーキックの、なんとかの向こうにナントカの青空が見えてきます、のワールドカップ予選だったはずですが、ここだっ、と分かりませんでした。

頁44で、金素雲が出てきます。ここも作者がなぜ韓国なのか、を書いてる箇所で、最初読んだ時は読み飛ばしましたが、1979年パクチョンヒ暗殺一ヶ月前が初めての韓国旅行で、夜間通行禁止令と、モノホンのKCIA目撃などが鮮烈な印象を作者に残したそうです。でもそれで後年、政治絡みでない韓国ルポを書こうと指向出来たということは素晴らしいこと。話を戻すと、金素雲が出てくると、私は反射的に四方田犬彦のわれらが他者なる韓国で、金素雲のいいところと、私生活での日韓重婚ぶりがそのまま描かれているのを思い出します。李進熙が出てくると広開土王碑改竄云々の提唱者だよこのお人は、と思い出すのといっしょ。

頁69、催涙弾と投石のキャンパスで、問題図書や不穏印刷物押収のくだりで、押収された図書が学内で割引販売される描写があります。中国の税関(海关)に行くと、押収した海賊版CDを一枚五元くらいで売ってましたが、どこもそういうことはあるなあと。イフアイワーカーペンターとか、なんでこれの海賊版出そうと思ったんだろうみたいな海賊版があった。

頁79、韓国人は台風をさほど気にしないみたいな箇所がありますが、私が逢った新宿とかで働く韓国人は、みな、日本の天気予報は台風が半島にそれると報道しなくなるのでケシカラン、自分さえよければそれでいいのか、と言ってました。人は立ち位置よって変わる。それを聞いてから私は、ゴジラが封切られるたび、たまにはプサンとかインチョンとかヨースとかに上陸してくれ、ゴジラさんよ、と思うようになりました。

頁100、韓国の受験戦争を紹介する箇所で、国立と私立で問題が同じなのはヘンだ、と作者は書いてますが、まさかその次のセンチュリーで、日本の私大も共通テスト相乗りするようになるとは夢にも思わなかったのだなと。

頁105、韓国芸能界の記事で、新人歌手として周荽美が登場し、華僑歌手と書いてあるので、そうなんだと思いました。この人は『ソウル・サランヘ』にも出ます。

頁119、ソウルの喫茶店件数の統計(ソウル市統計)のチョソンイルポの切り抜きが載ってます。なぜあちらのサテンは暗く遮光で作られているのか、と作者は疑問を呈していて、それはまさに関川夏央が『ソウルの練習問題』で、タバンとは何か、について詳細にレポートしてるのと対応しています。KBSに就職した人に無理にお願いして、一度タバンというところに連れて行ってもらったことがあり、いまは絶滅した韓国文化にギリ触れることが出来てよかったと、今でも思います。しかし、前世紀末、中国遼寧省瀋陽で、サテンぽい店があったので、中国にサテンとは珍しいと入ってみたら、言語が漢語なだけでまったくのタバンだったのでびっくりしました。誰がタバン(茶房)を中国東北部でやろうと思ったんだ。アジョシが席に来て、農村に子どもがいるとかそういう話をしました。
この頁に登場する宮下忠子『思い川』は読んでみます。ライターとしてやっていくことになる作者は、学生時代から、いちおう越冬闘争なんかにも参加してたんですね、時代だ、と思いました(三里塚関連のナニかに参加した、しなかったという記述は一切ナシ)

頁120、キョッポについて記述の個所ですが、彼女はそれを、帰国時に関連書籍を読みながら考えて書いています。ソウルではなかなか思考を整理出来ないのかも。梁泰昊『プサン港に帰れない』創生社から、在日朝鮮人が「釜山港へ帰る」とは異文化を持ち込むことであり、必ずしも“一体化”することではないのである。という一文を引いてます。

頁124、国内公開映画としてキルソドムが出ます。ウッチャ訳だと「キルソトゥム」

頁134、作者は反原発なのですが、韓国原発レポートがあります。就活学生用の至れり尽くせりツアーにもぐりこんだとか。韓国語も「4」は「四」に通ずるので、忌み名になっていて、なので四号機はないんだとか。日本も四号機をなくせばよかったのか。

頁138、作者は韓国電力、略して韓電の城北支店長に、もし北チョン原発攻めてきたらどうすんのよっ、と質問し、国防軍と米軍がおまっせ、それに、36線以北には、原発つくらんようしとんにゃわ、と回答をもらい、蔚珍原発は37度じゃんかよう、と心の中でブツブツ言ってます。

で、この時、韓電から体験記執筆を依頼された筆者の原発にモノ申す記事が改竄捏造され、韓国原発マンセーになっていたので、歴史教科書歪曲にも劣らない歪曲だっ!!と作者がフンガイするのが頁153。

頁152
辛口の酒好みのウッチャとしては、韓国の酒の甘さには不満が募るばかり。なんで焼酎にサッカリン入れるの!?

頁163に、日本人学校の生徒たちがアジア大会で旗を振る際韓国側から強要されたあることが書いてあり、ヒデー話と思いましたが、嫌韓コピペとかになってるわけでもなさそうなので、裏がとれなかったのかなと。

頁183「台北バンコクで考えた」
(前略)一般的に物価は韓国より台湾の方がやや高め(特に衣料品と食品と交通費)です。(中略)
 これに目をつけて商売をしてるのが、韓国に住む華僑たちです。ソウルの台湾大使館周辺に並ぶ華僑の店。ここへ行って「今度韓国に行くんだけど……」と言うと、こちらの予算に合わせて荷物をまとめてくれます。それを持って台北の教えられた店に行くと、ある程度のマージンが残るというしくみ。我々もポッタリチャンサ(担ぎ屋)のおばさんよろしく、一人当たり二〇万ウォン(三万七七〇〇円)分の干ししいたけ、アンゴラセーター、毛布などを担いで行って、八万ウォン(一万五〇〇〇円)のマージンを頂戴しました。

頁200に書かれる事件は、下記の映画の事件です。リアルタイムじょうほう。

『1987、ある戦いの眞實』
http://1987arutatakai-movie.com/

巻末の晶文社の韓国関連書籍を見ると、李賢世のマンガ『弓』邦訳とか載ってて、懐かしいと思いました。これの共訳した河仁南は本書でも初期あちこち登場して、スーツ着た写真とか写ってますので、これがのちの彼女のツレかなと思ったら、それは全然違ったのでした。以上
(2018/11/5)