『中年シングル生活』読了

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41YP7PRQC4L.jpg目が悪くなったので、左下の電柱の結婚紹介所の上二文字が読めません。右の男性の肩パッドだけ、21世紀絶滅した気がします。下はポロシャツなのか。世の中全て真ん中分けろ。

読んだのは単行本。なんと初版から二ヶ月後の三刷。表紙に"Middle Aged, Still Single"の英文。装幀…………日下潤一 カバー写植印字………前田成明(帯・別丁扉・目次も)用紙…ニューエイジ(カバー)NTストライプ・うす青(表紙)NTストライプ・しろ砂(見返し)NTストライプ・白(別丁扉・帯)
初出は日経新聞に1993年7月1日から翌年6月30日までの連載と、小説現代1995年5月号、IN-POCKETの1995年5月号〜1996年5月号。
著者の、コリアレポートでもなく、明治大正文豪観察でもなく、四十代前半の韜晦ラプソディです。年金未払いも、バブル崩壊以降の永い永い氷河期(と言っても困るのは新卒就活生のみ。それも派遣労働という選択肢の蟻地獄に囚われて困る)も、少子化高齢化社会の問題も、まだまだ老狼の同桌的你の歌詞*1のように、ゾンシヤオヤオウーチー/总是遥遥无期。

頁25、作者もまた、UFOキャッチャーにハマっていたことが分かります。かまととぶりやがって。

頁35、1993年時点の予測では、日本の人口は2011年に一億三千四十四万人でピークに達し、2018年には四人にひとりが六十五歳以上になるそうです。そうなったのかな。作者は、生きていればわたしも2018年には六十八歳と書いてますが、ハッピーバースデーツーユー。

頁38、探偵のことを「オプ」と言いますが、私はこれをオプションのオプだと思ってました。オペレーターのオプなんだそうです。さすが上智大学。英語に関しては国内最高峰学術機関と私は勝手に思ってます。

国民年金未納の畏友は山口文憲のはずで、本書では、こっそり今からでも払える分だけと思って行ったのだが、今からだとこれくらいしか出ませんよと云われて軽きに泣きて三歩歩まずで、結局払ってないという記述があります。山口文憲が、政治家の掛け金未納をジャーナリズムが情報開示請求で片っ端からスッパ抜いてたあの時代とか、消えた納付金問題について、何か言ってたら読んでみたい気がします。ほか、夏目房之介はもうすぐ祖父になるとか、小野耕生の蔵書は他者の追随を許さないとかいろいろあって、諸星大二郎トークイベントで、京都精華大学マンガ学科の大学院生にカーゴカルトを英語で書かせて書けないのをここぞと嘲ったゴチエイは下記。

頁51「昔聞いたシャンソン
 もっとも、彼には「いばるたのしみ」、「教えるたのしみ」というのもある。
「“強ち”と書いてどう読むか。“動もすれば”はなんと読むか。知らなければ教えてやってもいいがね」
 ここで「あながち」「ややもすれば」とたやすく答えてはおもいやりがない。降参降参と花をもたせてやるのが友の気づかいである。
 こういうタイプは年寄ったらうるさがられるだろう。悪気はないのだが、悪理屈が多い。説得癖、演説癖がある。彼のような独身男の行末を案じてわたしは
(以下略)

精華大の漫画科院生も花をもたせてやっていたのですね。そのわりにはその晩2ちゃんのモロ☆スレで暴れてましたが。

頁142
九斤老太_百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E4%B9%9D%E6%96%A4%E8%80%81%E5%A4%AA

頁181、著者の父親は生涯朝日新聞読者で、選挙はずっと社会党だったとか。こう書くと21世紀のご時世、ネトウヨ諸兄からの冷笑を浴びそうですが、頁236、海軍予備学生上がりのポツダム中尉で、特攻隊要員で、爆弾をつけたベニヤ板の舟で九十九里浜に上陸する敵上陸用舟艇に肉弾戦を挑む目的で配備され、本土決戦前に日本が無条件降伏したので、復員し、以後の人生が頁181だったということです。タバコはしんせいからハイライトにかえていたとか。

頁204、片岡義男の作品で作者が記憶に鮮やかに残っているという、『給料日』は、電子版もタコシェなんかの限定復刻版も検索出来ましたが、紙版を図書館で探して読んでみます。

頁217「ひとり暮らしの素数」これだけ、他とベクトルを異にしていて、『「世界」とはいやなものである』でも登場した、ハニル夫妻、ウッチャとその宿六が住む、ハルピン滞在記です。ひと夏の(そして秋にかけて)語学留学だったとか。もともと長春を狙っていたのだが、申請作業が煩瑣だったり相手側の「人」本位の対応が例によってころころ変わるアレで、いやけがさして、ハルピンならウッチャ夫妻がいるので、結局「人」頼みのルートで、ハルピンでひと夏過ごしたとか。マイナス四十度のビンドンジエを、是非住んで体感してほしかったなあ、出来ればヤブリンでスキーとか、ハルピンに夏いたんなら太陽島で泳いでみるとか、やってほしかったなあ、と思いました。ウッチャ夫妻は、中国朝鮮族研究でハルピンにいたそうですが、それこそ、それなら朝鮮族自治州のど真ん中にある延吉大学とかに行けばよかったのにと思いました。ただ、延辺だと、徴兵忌避の韓国人学生が売るほどいてウザい、というのはあったかもしれません。この少し後私は延吉に一度行って、在日が建てたのか残留孤児が建てたのか、パチンコ屋が新装開店して、あっという間に公安当局にツブシ喰らって閉鎖されて、ベニヤ板打ち付けられまくった建物を見た覚えがあります。話を戻すと、作者には是非二年は滞在してほしかった、原稿はファックスで送ればいいわけですし。で、北京の友誼賓館にたむろしていたえたいのしれない日本人のひとりになる、と。

頁190「人生なんてラララララ」
 たしか彼女は三十歳くらいである。仕事もでき、そのうえ恋愛までしているのに、文芸誌編集者のたしなみとでもいうのか、いつも機嫌が悪い。恋愛は必ずしも人に幸福を保証しない、自分も気をつけようなどと考えているうち彼女の視線はわたしの方にめぐり、その整ったかたちをした唇から呪詛の言葉がつぎつぎ吐き出される。
「セキカワさん、あなたもあなた。この人が缶詰になっているときに、わざわざ邪魔しにくるなんて、友だちを選ばないと出世は望めないって、ほんとうねえ」
 わざわざ邪魔しにきたわけじゃないんだが。弁解しかけてあきらめた。校了前の編集者と薬物中毒者にさからうのは、この世でもっとも愚かなことである。
「あんた、帰りなさい。さっさと帰ってお洗濯して、それからプロ野球ニュースでも見て寝ちゃいなさい」
 わたしは、へらへら笑いながら応接室から暗い廊下に出た。その背中を、彼女の美しくも猛々しい声が追い討つのである。
「人生は愛と金だなんて、笑わせないでよねっ。あんたの人生にまず必要なのは、反省と誠実だからねっ」

人生なんてラララララという文章じたいが、プロのくせになんだ、吉田拓郎に失礼だろうコソクな、と思う人もいるのかどうか。分かりません。以上