「妻の愛、娘の時」(原題:"木目愛目木亲")(英語タイトル:"LOVE EDUCATION")劇場鑑賞

公式 http://www.magichour.co.jp/souai/
私はマギー・チャンシルヴィア・チャンの区別もつかないくらいなのですが、とりあえず見ました。

同じお墓に入りたいって お祖母ちゃん 本当に言った?
それぞれが信じる家族への想い――。三世代にわたり紡がれる真の“愛”の物語。

予備情報なしで、中文映画だから、くらいのノリで観に行きました。ので、コピーの「お祖母ちゃん」がポスターの真ん中の老女だと思っていたのですが、この老女は、なくなった祖父の、田舎のムラのいいなづけで、「お祖母ちゃん」のライバルでした。祖父は、いいなづけへの送金も忘れなかったが、都市に出て1953年お祖母ちゃんと結婚し、そんで死んで故郷の村に葬られました。お祖母ちゃんの死後、お祖母ちゃんの骨壺を祖父と同じお墓に葬ってほしー、出来れば都会に移設して、とシルヴィアは固く誓うのですが、村のいいなづけの婆さんがそんなこと承諾するはずもなし。
そんでもって、農村暴動みたいな事態を引き起こしたりしながら、都市の嫁と農村の嫁、もうひとつの一国二妻問題/お墓問題の解決を目指す映画です。宇多丸という人が日経新聞に書いた記事に、この映画はほとんど鄭州ロケと書いてあり、そのとおり車のナンバーも河南省の豫ナンバーばかりでした。ときどき河北省の冀ナンバーも写ります。
で、この農村のバーサンは普通話しゃべります。方言は喋らない。数年前、方言映画はチビしく追及されてお蔵入りになると何かで読んでましたので、この映画も上に政策あれば下に対策ありで、ぶじ封切り上映を勝ち取るため、農村の人役にも全員普通話喋らせてるのかなと思いました。唐辛子や玉蜀黍の農村。生前からグワンツァイ、棺桶を用意する農村。このポスターにしてやられたと思いました。まさか家族三代の写真でないとは。

原題は、"相愛相親"と繁体字(この場合は日本の当用漢字と同じ字です)で書くか、簡体字で"相爱相亲"と書くべきなのでしょうが、ポスター等の原題部分を目をこらして見ると、どうも、ラブは「愛」とふつうに書いていて、簡体字の"爱"はココロ(心)がなくて、お友だちでいましょうってだけの字だからなーと考えさせ、そして"親"は簡体字の"亲"で、さらに二つ目の"相"は、偏と旁を逆転させて[目木]と書いていて、[木目][目木]と並べて書くと、ヨロコビを双つ重ねて"囍"と書くようなもんになるのかな、と勝手に思い、そのまま映画感想のタイトル部分に使いました。

シルヴィア・チャン Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3
眷村出身で幼少時空軍の父を失っているとは知りませんでした。存在自体よく知らなかった女優さんなので、知ってたら逆にオカシいですが。山河ノスタルジアにも出てたんですね。山河ノスタルジアは、厚木で、迷って迷って見なかった映画。監督作も多数あって、日本で例えるなら加賀まりこがメガホンとった映画が複数あるみたいなもんでしょうか。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/zh/f/fc/Love_Education.jpgこういうポスターなら誤解することもないかと。

她相信一辈子,我相信一句话,你只相信一刹那

目が悪くなりましたので、この一文を解読するまで時間がかかりました。Wikipediaの画像では解読できないので、百度をじっと目をこらして見て、最初の二行は分かったのですが、最後の「せつな」に自信が持てなかったので、石橋を叩いて検索しました。
私は中国はまだ土葬だと勝手に考えてたのですが、火葬で、焼き場にも"一路走好"なんて大陸っぽいスローガンが書かれていて、フーン("´_ゝ`)フーンと思いました。
ダンナさんが自動車教習所の教官で、教官はサッカーの監督同様"教练"と呼ばれると知りました。ジャオリエン。劇中新車を買い替えるという荒業を見せていて、確かに今の中国の中流以上は私より全然お金持ちだと思いました。最初、赤のリーフで、次の白も日本車のSUVかと思いましたが、私はクルマのことは何も分からないので、たぶん違うです。
で、白い車の中でかかる歌が、ツイジエンのホアファングーニャンで、こんな歌いまかけんでもええやんと思いつつ、アホみたいに反応してまうんですね。もうイントロで分かってしまうかなしさ。どうせなら文革紅衛兵天安門広場で、配られた紅焼肉と麵包食べながら、マオジューシーシ、タイヤンデ♪毛主席是☀太陽的と歌ったとか、ドンファンホン、タイヤンション东方红太阳升とか、そういうのにすればよかったのに、とは思いませんでした。
そう、農民暴動っぽいシーンでも、方言でもそうなのですが、この映画は「政治」を一切排していて、個人のライフストーリーは政治以外にも勝手に翻弄されるんよ、というシルヴィアのメッセージを送りつけてる気がしてならなかったです。1953年の重婚というと、抗日戦争でも国共内戦でも大躍進右派闘争でもプロレタリア文化大革命の農村下放でもないじゃないですか。あくまで個人的理由で重婚。政治は関係ない。

この、キョンキョンみたいな女性がシルヴィアの娘役の人の恋のライバル。娘さんは明らかに年の離れてる外地人の年上ミュージシャンとつき合っていて、このキョンキョンみたいな女性は、彼氏の同郷同年輩で、息子に彼氏をパパと呼ばせている。片腕に彫り物がびっしりで、彼氏も墨はけっこう入っています。娘さんはミサンガくらいしかしてなくて、絵人間ではないし、楽器も弾けない。彼氏やキョンキョン似の女性、その息子がみんなリビングインザミュージック、いつでも音楽とともにいて、突然体が躍動し出してしまうのとは、明らかに人種が違っていて、これはのめりこむほど不幸になるであろうと思いました。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/Sylvia_Chang_20150318_2.jpg/375px-Sylvia_Chang_20150318_2.jpg左はウィキペディアのシルヴィア画像ですが、娘さん役の人は、ふだんはストレートのロングみたいですが、この映画では、こんな感じの、百恵ちゃんカットとでもいうか、の髪形で、やはりぽってりくちびるが厚いメイクをしていて、あざといなー娘役と思いました。で、途中、電車で移動するくだりなど、どんどん上戸彩に似てきて、そしてさらに、お墓問題が泥沼の終盤になると、キムタクの娘にも似てきます。崔健がかかるのと同じセンスで、この映画に出てるバンドは、纹身のみ21世紀で、あとは、唐朝というか黒豹というか憂歌団というか、という感じで、監督の若い燕がこんなんだったのかしらと思いました。
見たのは新百合のメンズデーでしたが、郊外の千円デーの入りはこんなものかなと。明らかに新宿とは違う。けっきょく、流されて見たので、寝てはいないのですが、どこがどういう結末でこうなってるのか、よく理解しないまま終わりました。

中華人民共和国のナンバープレート識別記号一覧 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E8%AD%98%E5%88%A5%E8%A8%98%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7
相爱相亲 Wikipedia
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%88%B1%E7%9B%B8%E4%BA%B2

私にとってのアイダダイジァは、こっちのジジ・リョン版です。別れた嫁さんがよく聴いてたから。以上