「ダライ・ラマ14世」( ཏཱ་ལའི་བླ་མ་ )<ダライ・ラマ法王14世 2018年来日法話【横浜】開催記念>1週間限定ロードショー 劇場鑑賞

何も考えず新作映画かと思って見に行ったのですが、2014年制作の映画(パンフによると完成と関係者試写会は2013年10月)で2015年公開だそうで、だから一般\1,300で観れたのか。公開終了後も何かの折にちょいちょい上映会等があるということで、今年年明けには福岡でやったそうで、シネマリンは今週、来週はユーロスペースみたいです。

パシフィコ横浜公式 法王(猊下、と私がつけたらヘンかな)講演会
http://www.pacifico.co.jp/Default.aspx?TabId=231&pdid=71186
本映画公式
http://www.d14.jp/#top
Yahoo!映画
https://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E14%E4%B8%96/352248/
映画.com
https://eiga.com/movie/81940/
シネマリンの看板。

平和ってなんですか。

平日昼間にこんなに人が入るのかと吃驚しましたが、劇場側が用意したパイプ椅子まで人が溢れるというほどではありませんでした。午前中がパシフィコの講演会で、そこから流れる客が多数と考えると、妥当なのか寂しいのか、難しいところ。もう観てる人は観てるでしょうし。

チラシ
足かけ6年、ダライ・ラマという存在に迫るドキュメンタリー

完成直前に3.11があって、根底から揺さぶられたようです。最後の最期、原発関連をはじめとする日本の諸問題の新聞切り抜きがずらずら画面に出るのですが(3.11以前の切り抜きも混ざる)そこでドライに席を立つ人がいました。ダライ・ラマは支持してもそれ以外の信条は人により異なる。

中華街に近い映画館やホールで、こんなのやれるんですね、という気もしますが、中華圏も仏教は盛んですし、日本は信仰の自由がある国です。一度、休日に中華街に行った時、流石に中華街の中までは入って来なかったのですが、石川町の駅から、入口の県立高校のあたりまで、ズラッと法輪功の信者がプラカードやチラシ持って立ってたことがあって、ギョッとしつつも、日本はそれが出来る自由な國なんだと改めて思いました。
むかし、台北行った時吃驚したことのひとつに、台北駅前で新興宗教に勧誘されたってのがあって、キャッチはメインランドチャイナでもありふれてますし、新興宗教もたぶんマンションとかだとあるみたいですが、駅前の公安が、キャッチや詐欺は見て見ぬふりしても、宗教は見逃さないみたいな感じで、だから駅前勧誘はなかった気がします。少なくとも私は台北が初めてでした、中華圏での宗教の駅前勧誘。集会へのお誘いとかでアングラに進めるカタチでなく、駅前ってのは、香港でも体験してません。日本ではいまでもキリスト教系の人らがよく立ってるわけで、チャイニーズ台北は、こういう点でも日本に近い所がある。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Sun_Behind_the_Clouds
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/e/e9/TheSunBehindTheClouds2010Poster.jpgこの映画でも鼻をかんで本読む場面で、眼鏡外したギャワ・リンポチェが映ってますが、そこだけです。なので、眼鏡外した彼の顔を、ほかの映画から貼ります。私は、ダライ・ラマを見て第一印象うさんくささを感じる人の大部分が、この眼鏡から来ていると考えていて(あと彼の笑いを絶やさないところ)眼鏡外すとこんな真面目な顔なんですよと言いたい気持ちはあるのですが、それもまた失礼なものいいかと考えて口に出したりは、あまりしません。
こういうフレームの色付き眼鏡でなく、スタイリストがついてたら、つやつやリップでアラレちゃん眼鏡のイナダサン同様、もっと第一印象で好感を持つ人が増えてたかもしれないと思ったりもします。人は見た目が九割。うさんくささを感じる人と、ダラムサラに行けば割と気軽に会えるというか見れる期間が長いこと続いたので、それで見てきた人との摩擦もあり、なかなか虚心坦懐にダライ・ラマを、チベット仏教を見れない人が多いとしたら、なんとなくさびしい。

最初のほうで、北京五輪の年のチベット騒乱とそれに対する欧米や日本の抗議行動が映るのですが、要するに聖火リレー妨害で、見てれば分かるのですが、明確なキャプションはありません。フリチベ旗を振る日本人たちと五星紅旗を振る中国人たちの会話で、あんなとこ危ないでしょうと言ってたのは、長野駅駅前の築山で中国人と日本人(チベットだけでなく、東トルキスタンやら南ベトナムやら旗乱立。ウヨサヨ入り乱れてたとのこと)が陣取り合戦したことを指しているのかと。
駅前から移動しようかという時点での写真。映画でも、中国を知ってくださいと繰り返す中国人と、行ったことあるその上で抗議してるみたいな日本人のすれ違いが映されてましたが、当時私が読んだブログかなんかでも、北京留学経験のある日本人が、中国を知ってくださいと喚く中国人に北京語で言い返してると、相手が悪いやみたいな感じで、中国人がちゃんと論争せずに消えてしまうくだりがありました。西部開発等の知識に関しては、日本に来てる中国人と、そっちに関心がある日本人とでは、必ずしも中国人のほうが知識が豊富とは言えない時代でした。留学生の大多数は沿海部から来てるから、知らないと言えば知らない。
駅前の山を占拠して高らかに勝利の凱歌をあげる中国側。数年前長野駅に行った時、この築山がまるごとなくなっていたのには驚きました。アブナイから撤去したのかな。歴史とは作られるものなのか。
長野の聖火リレーは、福原愛チャンが走っていた時、彼女の前に、台湾在住のチベット人貿易商がフリーチベットを叫んで飛び出したとニュースになって、私はそれをシナ毎の号外で読んだのかな? ニュースはそこで報道オワリですが、ネットの情報だと、五星紅旗につつみ込まれてその状態で中国人集団にフルボッコにされたとかなんとか真偽不明の続報が相次いでたなあと。
そう、この映画で中国外務省スポークスマン、否、女性ですので、ポリティカルコレクトネスに則ってゆうとスポークスパーソンが、ギャワ・リンポチェを、チーシィターhuoオレン、ホワンイエンと言っていて、なんとなく字幕の雰囲気だと、ここで「アクマ」と言ってそうなもんですが、"其实他huo人,谎言。"と言ってるだけなので、「悪魔」とは言ってないなと。"huo4人"が"祸人"なのか"惑人"なのか、私程度の漢語能力では分かりま千円。
汉语词典> 祸人的解释
http://cd.hwxnet.com/view/iedcbmmmmljaadgb.html
惑人 百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E6%83%91%E4%BA%BA
聖火リレー後も散発的に抗議行動はあって、左は奈良を訪れた胡錦濤に対し抗議する人ら。背中に東トルキスタン、前に広げるはフリーチベット。京大生の人が見に行くというんで、今もこんな写真が残っています。フィルムを現像したものはすべて捨ててるんですが、電子データだったから残った。

またこの予告編でも、メインランドチャイナとタイオワンを同じ色で塗ってないしw チベットの話を中国人にすると、日本こそ北海道と沖縄で彼らの民族独立を踏みにじったじゃナイスか、中国は大きな家族なんデスよ、みたいなことを言うのかどうか。少なくともこの点で、少数民族の言語をもっと尊重すべきではあると思います、日本も。台湾が、タイヤル族とかプユウとかアミとか、台湾原住民の言語を、今はあっちゃこっちゃの看板でバンバン併記する時代に入ってるのを、見習ってもいいなと。
映画の亡命チベット人学校で、ガンガン中国から来たばっかりの女の子が、スースーミンズゥと言っていて、インドネシア語で牛乳のことをsusuと言いますが、それを言ってるわけでは無論なく、自分のアイデンティティを、少数民族と書いて北京語でシャオシュウミンズゥと読みますが、それの庶民の発音がチベット語の語彙に借用語で入っていて、そう言っているわけで、聞いててとても寂しかったです。もっとじゅうような単語や文章は分からないのに、この程度のことは分かる自分も悲しい。
あと、日本のどっかの講演会で、袈裟着た僧侶が、自殺について質問してて、お前も宗教者なら人に丸投げで聞くなと思いました。
それから、原宿と、東大赤門前と、早稲田の大隈講堂の前という、日本人街頭インタビュースポットの選定理由が、知りたい気もしました。福島原発のシーンがGEの1〜3号機でなく4号機だった理由も。

漢族のチベット仏教不信は、かなり歴史的なもので、清代のみならず、明も元も、時の王朝の皇帝は、わりとラマ教僧侶にするっと懐に入られて信仰していて、それが庶民の眼から見ると、邪教に朝廷が食い荒らされてるように見えるんだ、と。戯曲とかの庶民の白話文学だと、ラマ教僧侶というのは、妖しい妖術使いの悪者としか登場しないと誰かに聞きました。陳舜臣は、立派な人ですが、なまじ教養があるぶん、そうした漢語文学の伝統から逃れられなかったようで、彼の小説でも、ラマ教僧侶はあやしい邪教の妖術使いで君側の奸として描かれてばっかだったイメージがあります。
んでもって、ダライ・ラマという存在自体も、政教一致チベットで、ていのいい傀儡カイライで、幼少時に見つけられ、大人になるまではいいのですが、自我に目覚め、自分でいろいろ牛耳ろうとしだすと、毒殺としか思えないスピードで短命死し、また次の幼児が発見される繰り返しで、それが、先代13世の時、列強がチベットを窺う状況になった時、誰も責任をとりたくなかったので彼を活かして舵取りや責任をぜんぶおっつけて、さいわい13世が英明な人物だったので、ギリギリなんとかなって、そのバトンが受け継がれた14世の治下も、ほかの奴が責任取りたくないので、こういうふうになった、と、何かで読んだ気がして、自分でもそうだと思っています。
で、そういったものを背負うだけ背負った人物なのに、なんでそんなに笑えるの?なんでそんなかろやかに生きていられるの?というふうに彼を見ると、見方が変わってくるわけです。

仏教を勉強してる人のなかで、仏教にはそもそも輪廻転生という思想はない、ブッダはそんなこと言わなかった、後世に入ってインド文化から仏教に混入したものだ、と言う人がいて、お説ごもっともですが、信仰心というものは、言語同様、理屈じゃない部分もあるんじゃないでしょうか、と思います。あなたそれをチベット人に面と向かって言うつもりはありますまい。自分だけ優越感で気持ち良くなってオワリじゃないですか、そんなの仏教じゃない。
柄本明の息子も、青春ダイナマイトスキャンダル見た時は、なんだなあ、モデルの人物がしどいなあ、と思っただけですが、その前にこれのナレーションやってたんですね。青春ダイナマイトスキャンダルのあとこっちでなくて、本当によかった。

この映画のダライ・ラマ14世分析はすぐれていて、質問者が自分のことを質問した時は、アイドンノー、あなたの問題の答えはあなたにある、あなたにしか答えられない、と突き放すという解説はすごいと思いました。それだけに、最後、私たちは平和のために何が出来るんでしょうか、という質問に対し、即座に、まず英語を学びなさい、英語を学んで、日本以外の世界とコミュニケート出来るようになって、そして、世界に飛び出しなさい。世界にはまだまだ日本の技術を必要としている場所が数多くある、そこで自分の力を役立てなさい、と、ぺらぺら語ったので素晴らしいと思いました。英語だけ喋れても何の役にも立ちませんが、詰め込み教育で専門教育を受けた人間が、その技量を母国語以外でも発揮出来るようになればという文脈で言ったのだと思います。ここは、すぐに答えが出ていて、本当によかった。答えの内容もよかった。

ときどきチベットに触れないと苦しくなるです。よかった。以上