『ミニー神父とアルコール依存症者たち やさしいアメリカ人』読了

ミニー神父とアルコール依存症者たち : やさしいアメリカ人 (東峰書房): 1996|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

著者の別の本『思川―山谷に生きる女たち』を読んだ時、もう一冊何か読もうと思って借りた本。なかなかどこも蔵書がないかったようで、専門教育機関の図書館からいらっしゃいました。最初、どこかにデザインが誰か書いてあった気がしたのですが、探すとなるとありませんでした。

『思川』は、現在インチョン在住の戸田郁子さんが留学生だったころ、帰国時に読んだ本ということで、読みました。

アメリカのジャーナリストのアル中の本の解説書いた家族研究所の人も噂をちょこちょこ聞いていたので、何人かの方にもう少し伺ったのですが、このミニー神父と言う方はその比ではなく、名前を聞いただけではっとしてくれる方が多くて、それだけでうれしくなりました。詳しくいろいろ聞きに行こうと思う人にはまだ逢えてませんので、そこの知識はないですが、まーここにそれを書くこともないだろうし、もう上げます。

この本は、1991年バブル真っ只中で外国人労働者が今ほどでない頃、帰国したミニー神父に逢うのとあと幾つか視察も兼ねて、彼に恩を受けた数名の当事者と筆者らが、訪米する記録と、同時進行で彼や当事者たちとの日本での思い出を回想する記述で構成されています。頁10、京成上野でたくさんのイラン人を見るのですが、作者の認識はまだ「アラブ系の男たち」です。イラン(ペルシャ、アーリア)はアラブではないとの認識が、日本で広まるのはまだだいぶ先かと。というかまだ広まってないかも。表紙は、この時のメンバーの記念写真です。割愛します。アマゾンに行けば見れます。本書にはカラーイラストも入ってます。ハワイの、斯界で有名な人との写真など。

それと、神父自身が、1985年3月15日、荒川福祉事務所主催「アルコール問題研究会」第九回で行った講演、星和書店の専門誌「アルコール医療研究」Feb.1986 Vol.3 No.1「特集 / ミニー神父とMACの活動」に掲載されたものの転載で、本書は構成されています。本人の講演はさすがというか、ひさしぶりに共鳴する気持ちを長時間感じました。あわせて、「うまくいかなかった」ことをこれでもかとバンバン話してるのがすごいと思いました。否認の時期、うまくいかないと言われると、それだけで絶望的な気持ちになって猛反発すると思うのですが、冷静だった。

今、神父が立ち上げたメリノール・アルコールセンターの、偲ぶ会のページなど見ていたら、マックという名前だけで信用されてしまう状況があり、マックという名前だけで騙されないでと書いてある個所がありました。時代は変わります。

私がこれまで論争してきたひとつの点に、アメリカには生活保護はない、セーフティネットがないから刑務所で自助グループにつながる、というアメリカ人の話は本当なのか、があります。本書は頁16、まずニューヨーク、ハーレムの黒人の生活保護が、さらっと語られます。頁87、ニューヨーク州ニューバーグでは、人口の半分が生活保護受給世帯で、母子家族が多く、さらに、以下略

頁87

黒人たちもアフリカ系とカリブ系にはっきり二つに分かれて生活していて、お互いに助け合って生活しようとはしないのよ。共同で何かをやろうとは決してしないのね。

アフリカン・アメリカンとカリビアンは、ともにルーツを同じくするし、ラスタファイみたいな、アフリカ回帰運動もあると思っていたので、これは私にとって衝撃でした。でも考えてみれば、母語が違えばなかなか難しいでしょうね。ナイジェリア系とはっきり分かるブラジル人がナイジェリアに行ってもうまくいかずまたブラジルに帰って、自分たちだけでコミュニティ作って暮らす例とか。

話を戻しますが、ミニー神父も、頁197、講演の中で、山谷に生保は必要ないと書いてますが、その心は、彼らは仕事したいんだ、ということで、実例として、彼の勤務先で預かってる人で、受給者はひとりもいないと言ってます。ここを取り違えて話すと反撥されるだろうなと。

頁34、「ヤンカラさん」という路上生活者を指すことばが出て、恐縮ですが、初めて知りました。

頁46、1983年に、米国カソリック宣教会本部が、日本のMACへの年間三万ドルの援助をその年限りで打ち切る決定をし、その理由が、本来創世期の二年間だけの支援の筈が長引いたこと、アメリカ本土が不況であること、経済大国日本が自立出来ないわけがない、と書かれているのが、わりと胸を打ちました。日本の対中ODAなんかには、私も同じロジックを使います。が、献金はともかく、振込での広義での寄附とかはなかなかしないので。日本のメリノールアルコールセンターは、この時期多くが閉鎖されたり縮小を余儀なくされたとか。

頁50、神父に連れられて一行が入ったロングアイランドの観光者向けレストランで、料理の注文を断られる場面。私にもこういう経験がなかったらよかったのですが。

その前後で、彼が動物好きで、いつもたくさんの動物を飼って、世話していた記憶に触れます。ちゃんと世話していたと。

頁56、日本で彼がもっともてこずった人の一人の現況を彼が一行に訊き、彼は今も…とメンバーが答える場面。ここでまず、失敗しても失敗してもあきらめず対応し、そして、うまくいかないストーリーが語られます。

頁64、所謂「底つき」の話を、キリスト教の文化基盤がある環境の人だからプログラムを理解しやすいんであって、日本では…いや、彼は路線を作っていたわけでなく、そのとき出会ったものに対応していただけ、 というところから始めています。重症者ほど回復率は高い。

頁101、東京都ニューヨーク事務所。鈴木都知事。礎。当時(バブル期)N.Y.には六万五千人の邦人がいて、143種類の民族が住んでいると。今の東京も、それくらいの規模の日本人以外の民族のひとつやふたつありそうに思いますし、何種類かというとそれくらいいてそうに思います。ここは、他人には無関心だが、自分のことはどこまでも主張する気性を形成する環境、と言う意味で、メルティングポットだモザイクだ、という言葉を使わずに、「モザイク」をずばりと書いていて、現場には見抜く人材がいるものだ、と改めて思いました。

頁133、L.A. まずリトル・トーキョー。駐在は来るが新移民という意味では奔流が絶え、高齢化の移民街の風景。

頁133

 リトルトウキョウには、「リトルトウキョウ・タワーズ」と呼ばれる五五才を越えた人たちが入れる老人ホームがある。建物は高層ビルで住みやすい作りになっているという。入居希望者は、日系人に限らず条件を満たしていれば誰でも入れるのだという。人種差別はないと大田屋さんが熱っぽく語る。

 街中をしばらく歩くと、前方に赤い扇と桜の絵が描かれ、「リトルトウキョウ春のフェスティバル」の文字が白く染め抜かれた旗が、ポールに結びつけられ揺れていた。さらに行くと、今度は街角に少し肉付のいい二宮金次郎銅像が立っていた。私たちは戦時中どこででもよく見掛けた銅像である。私は、最近では日本国内でもめったに見ることのできなくなったこの銅像に、アメリカでお目に掛かったことが何とも不可解な思いだった。

次が、ロス最大のスラム、ホームレス密集地域、クレイハンド地区サンペドロ地域。訪問はロス暴動後。あまり私も書くことがないです。やまの住人の回復者や、山谷で福祉事務所にいた筆者が、行けども行けどもホームレス、分け入っても分け行ってもホームレス、山谷とは比較にならない(山谷より遥かに上)、と嘆息する箇所と、「このスラムには、やくざみたいな人は入っているのですか?」と、ヤマではホットな話題(当時)が、ところ変わればでどうなってるのか聞く場面(頁144)が印象的でした。

ロスの次がワイハー。日本とハワイの自助グループは交流が密接で、日本人のにいい影響を与えたそうです。

頁164

ハワイの(略)に参加した日本人は、視野を広げたというか一皮むけた感じなんですよ。外国でミーティングに参加して帰ってくると、どことなく変わる、不思議ですよね」

断酒かryはどうなのかとかくだらないことは考えません。自分の分からない言語で延々話されてもチンプンカンプンでさっぱりさっぱりなので、それで私は中国にはまだ行きません。でもその理由だと永遠に行けない。まだ当局公認でない地下教会みたいなものだったら、活動が微妙とか 、そういう話もあるのかな。知りませんが。

頁174から、一行が参加した七つのミーティングについての覚書があります。N.Y.で三回、ロスで二回、ワイハーで二回。場所とか、人数とか、その構成とか。フロストミーティングというのが分かりませんでした。何なら。参加者が多ければ一人頭のスピーチ時間は短いし、司会の指名だったとか、お酒が止まった期間がみんな短いなーと思ったらビギナーズだったとか。気づけてヨカッタデスネ。白人が多いミーティングは珍しいとあり、日本の英語ナントカはどうならと思いました。あと、終わると、アテンドの邦人が待っていてくれる場所があって、危ない地区の会場なのかなと思いました。話の内容は、ある程度書かれています。不安だと泣く人とか、深刻な話をしてもみんな笑ってしまうとか。ただ聞いていた人が、気がつくと消えているとか。歩きまわって止まらない人も参加できる会場とか、薬物依存症者もおkの会場とかが書かれていて、これは逆に言うと、NGの場所もあるということだなと思いました。海外から外国人が参加すると、メダルをくれる会場がありましたが、そういう目的に特化したものがあるのでしょうか。私が知らないだけですが、作者はどう名乗ったのか。

神父の講演は、本当にためになりました。けれど、講演対象が公務員のノンアルの人向けだった点は考慮する必要があると思います。「うまくいかない」も、学歴云々も、笑いの部分も、医療批判も、すべてそれ前提。で、講演は、米国でアルコール依存症の病院に入れられたが、向こうは精神科でなく内科だった、とか、通常二週間の入院だが、神父の場合軽かったので三週間だった、とか、摑みからしてうまい。学歴が高いから、自分より教育程度が低い人の話は、それだけで聞かなかった、とか。ここはあれこれ置き換え可能なんだろうなと思いました。止めた期間とか、人種とか。神父も、日本ではちんぴ…云々で聞かなかったが、アメリカでは大学の先生や医者が、手が震えるとかそういう話をしてるから、耳に入ってきたと言っていて、なんだこの率直さは、と思いました。頭がいいので、回復することはありえるということが世界のどこかにあるんじゃないかと考え、カナダまで行く話があります。また飲めるようになるという考え。で、体質が変わることはありえないと納得する。彼なりの底つき。この人は自分の体験があるから、境遇が同じでない同士だと、「うまくいかない」という事実を理解し、それで、それぞれにあった会場を…という展開になります。仲間ではあるけれど。でも違い探しはしちゃうのか。で、単身者中心と、一家の主で所帯持ちたちをくっつけても「うまくいかない」 最後に、当時のことですが、病院は何もしてくれないと言って、その筋の名だたる病院かたっぱしから実名出して、批判してる。これはスゲーと思いました。入院中は飲まない当たり前、プログラムがないから出たらすぐ飲む、は、現在はあてはまらないと思います。が、過剰投や…とか、ここで出て来た病院ではありえない話でしょうが、全体をみて、じゃあゼロかというと知りません。ないことを祈念します。

以上

【後報】

スリク漬けの対語は、野放しですが、この読書感想含め、私は立ち入りません。ゴールド・バンデッド・リリー。ロボトミーとかはエスエフの世界だけでいいと思うし、開放を信じ、その理念に対し、これ以上ないくらいの酷いやり方で報われてしまった医師の痛みにも思いを馳せます。ひかりあれ。

(2019/1/4)