『巨大なラジオ/泳ぐ人』読了

巨大なラジオ / 泳ぐ人

巨大なラジオ / 泳ぐ人

 

装画*CSA Images / Getty Images 装幀*新潮社装幀室 

森岡裕一という人の『飲酒/禁酒の物語学 アメリカ文学とアルコール』(阪大新世紀レクチャー)に出てきた作家さんを村上春樹が訳していたので読みました。

 森岡裕一 - Wikipedia

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ぜんぶで18の短編と、創作動機とかを書いたエッセー2本、村上春樹のまえがき、まえがきで翻訳に際し助力を得たと謝辞を述べられている柴田元幸との解説対談とで構成されています。対談は「MONKEY」という雑誌に掲載されたものだそうで、検索したら柴田元幸責任編集雑誌でした。

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表題作の原題の単語を知らないので検索したら、「巨大」より「莫大」「膨大」がまず出て、「莫大なラジオ」なんてないから邦題には出来ないと思いました。ラジオの機械でなく、放送やラジオウェーブの意味なら、「莫大」「膨大」もありかもしれませんが、英語を日本語にする際、そんなものまで込めろと言われても困るだろうと。

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村上春樹がまえがきで触れている川本三郎の先行訳『橋の上の天使』とは、どちらもモトは"The Stories of John Cheever"全61編からの抽出なのですが、"Goodbye, My Brother"以外かぶってないとのことでしたが、"Reunion"もかぶってるじゃんと思い、まえがき見返すと、そこまで断言していないあいまいな日本の村上春樹節でした。

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読んでて 「チーヴァー・もらとりあむたまこ」ということばを思いつきましたが、対談によると、ハルキ自身は、大和民族によるオリエンタル文学かつ魔術的リアリズム、ポスモという色眼鏡でカテゴライズされているのでチーヴァーよりマシとのことです。あと、チーヴァーの長編は基本的に短編を膨らませただけとのことですので、『ワップショット家の人々』も図書館蔵書にあるの分かってるんですが、借りません。川本三郎本は、各短編の初出がナニで、なんねんなんがつなんにちなんじなんぷんなんびょう地球がなんかい回ったときか書いてないのですが、春樹本は、どの雑誌の何年何月号かまでは書いてあって、コピーライトも年次ごとに細かく契約してありました。あと、対談で、「コミュートする」という単語がひんぱんに使われていて、ライザップ用語「コミットする」の文化人訛りかなと思ったら違いました。

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ぜんぶの短編に村上春樹自身による巻頭言がついていて、この人こんなにサービス精神旺盛だったっけ、と思いました。躁時期だったのかな。講釈師が扇子片手に煽ってる的要素もあり、その後の本文読んでの感想をカタにハメてくる怖さもあり、です。私は「再会」の父親は、単なる酒乱の妄想癖全開のダメなおっさんと思うのですが、ハルキ節にかかると「傍目にはなかなか愉快そうなお父さんだけど」となります。

The Stories of John Cheever (Vintage International) (English Edition)

The Stories of John Cheever (Vintage International) (English Edition)

 

 「ああ、夢破れし街よ」"O City of Broken Dreams"頁43で、歌の歌詞で「わたしは身を横たえ、死んでいこう」という個所にさしかかると、同時にばったり倒れる芸が出てきます。昔隠し芸かなんかで白虎隊やった時、八重の桜みたいな侍の腐女子が喉首ついて自害の場面でほんとにばったり倒れる芸を披露した人がいたのを思い出しました。

頁62「サットン・プレイス物語」"The Sutton Place Story"

彼女はおおよそ三十五歳、羽目をはずすのが好きで、物腰は柔らかだった。彼女は今自分が送っている人生は何かもっと素晴らしいもの、最終的なもの、あるいはむしろ型どおりのものへの序曲みたいなものだと考えることを好んだ。それは来シーズンだか、その次のシーズンだかに始まるはずのものだった。とはいえ、そういう希望を維持し続けるのが次第に困難になりつつあることは、彼女にもわかっていた。酒を飲んでいないときにはいつも自分が疲れているように感じることに、彼女は気づいた。どうしても元気が湧いてこないのだ。酒を飲んでいないときには気持ちが落ち込み、気持ちが落ち込むとヘッド・ウェイターや美容師と口論をし、自分のことをじろじろと見たとレストランで人々を糾弾し、自分の借金の肩代わりをしてくれた男たちの何人かと言い争いをした。彼女は自分の気性が不安定であることを承知していたし、それを巧みに隠せる程度には頭が働いた。とりわけテニソン夫妻のような気楽な友人たちの目からは。

 その後、頁64では、八年か十年くらい前につきあった男で、飲みすぎなので、彼の母親から禁酒と教会通いを頼まれて失敗した男が死んだと母親から電話があります。で、アパートのエレベーターマンは飲みながら勤務してて、幼児が勝手にしたに降りて外に出るのを止めなかったので糾弾されます(頁69)こどもの捜索中、ろばたの階段に座っていた酔った老女が、そこにはいないよと叫んでうるさいだまれと住人から怒鳴られ、捜索中の警官は老女を無視します(頁71)

訳者によると、チーヴァーは上流になりきれず落伍する人々を書くのがウマいそうで、その下?のブルーカラーを主人公にした作品はそれほど多くないとしながら、この短編集にはそうした作品をちょこちょこのっけていて、で、そういう作品は救いがあったりします。世の中そういうものなのかな?美徳の不幸なんてナイヨーという。「引っ越し日」"The Superinendent"はそういう話で、頁137、「チェイピンと上がって/スペンスと下って」「ミス・ヒューイットを/裏庭の塀に引っかける」という歌の歌詞が分かりませんでした。検索したら、グーグルブックでこの箇所の原文が出た。“Up with Chapin, / Down with Spence,” she sang. “Hang Miss Hewitt / To a back-yard fence.” ショパンはChopin.

頁308「パーシー」"Percy"

私はカップにお茶を注ぎ、レモンかクリームはほしいかと尋ねました。わかりません、と彼女は言いました。それで私は丁寧に尋ねました。ふだんお茶を飲むとき、あなたはレモンを入れるのかしら、それともクリームを入れるのかしら、と。これまでお茶を飲んだことは一度もありませんと彼女は言いました。じゃあ普段は何を飲んでるのかしらと私は尋ねました。たいていはトニック、時にはビールを飲みますということでした。

 彼女はドイツ人です。パーシーは拝火教徒の意味ではないかったです。ほぼ実話なんだとか。この話にはエベニーザーという大叔父が出て来るので、ジョン・バース「酔いどれ草の仲買人」かと思いましたが、違いました。表題作の「泳ぐ人」"The Swimmer"はそれで行くと「リップ・ヴァン・ウィンクルじゃん」のひとことで片づけられるかもしれません。この短編集の多くの話は、シェイディー・ヒルという、作者が創作したゲーテッドシティみたいな街が舞台です。失敗して収入が激減すると去らねばならない街。それとは関係ないですが、最後の創作秘話エッセーは、川本三郎版に収められた「ひとりだけのハードル・レース」"O youth and Beauty!"(すっごく面白い話です)についても語っているのですが、村上春樹はそこには髪の毛一本触れてません。やはり妖怪で、柴田は猫の首に鈴をつけられない人であったと。以上