『タウンボーイ』読了

 内山書店の二階で買った本。まさか邦訳が出てるとは思いませんでした。私の目は四年も節穴だった。装幀者未記載。

タウンボーイ

タウンボーイ

 

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ラットはマレーシアの漫画家で、私は相当好きです。ユネスコの識字教育かなんかのアニメのキャラデザも担当していて、薬のビンの字が読めないお嫁さんが家族を危機に、とかいう話でしたか。"Lots more Lat"という漫画集では日本滞在記も披露していて、日本人の友人たちから、"Mr.Rat!!!"と呼ばれています。

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すべての友へ

このタウン・ボーイは、作者の自伝的まんが、カンポン・ボーイの続編で、前作がカンポン(マレー農村集落)の幼少時の話なのに対して、マレーシア北部の都市、イポでの中高等教育、華人少年との友情交流と別れが描かれているということで、ずっと読もう読もうと思いつつ、原書セコハンをネット注文するのも癪だと考えて買わないでいました。わりかし平易な英文なので、原書で読みたかったですが、邦訳が先に来てしまったのも運なので仕方ない。原書はマレー語の文章が英訳なしでバンバン混ざってるそうですが、邦訳はそれも訳していて、マレー語はマレー語と分かるようになってます。以下後報

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内山書店は、 おかげさまで100周年。 UCHIYAMA BOOKS 内山書店100th  ANNIVERSARY 1917-2017 上海-東京 SHANGHAI-TOKYO

 【後報】

内山書店の上階に以前あったアジア関係の書店には何度か行っていました。いつなくなったのか知りません。東外大版『タウンボーイ』は、ウェブで検索すると、電子版がちゃんとあって、で、紙版は品切れのようでしたので、内山書店二階で買えて本当に助かりました。買い切りだったのかな。

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上は、以前古書でない新刊原書がアマゾンに出ていたので頼んだら版元入手不可でキャンセルになった時の日記。中古なら今でも北米の中古屋さんから手に入るような感じですが、現在、安いのでも¥3kついてるので、高い気がします。マレーシアの出版事情って、どうなってるんでしょうかね。本書もITBM、Malaysian Instituteof Translation and Books(マレーシア翻訳・書籍センター)と東外大出版会(初めて聞きました)の共同出版とのことで、ITBMが権利もってるなら、原書も再版してよと思います。前書も、以前の晶文社版『カンポンのガキ大将』で私は持ってるので、東外大+ITBM版出されても、う~んという感じで。英文併記版なら読みたいですが。上記アジア書店で原書見つけたことありますが、マレー語版で、チンプンカンプンだった。本書解説部分によると、タウンボーイにも先行邦訳があって、1996年に、ザイド・ハジ・モハマド・ズィンという方と柳沢玲一郎という人の共訳で、Kuala Lunpur. Berita Publishingという現地出版社から出ていたそうですが、検索結果:さっぱりでした。

主人公が通う学校は、解説によると、公立の英語学校で、本書が描かれた1960年代が終わって1970年代になると、主要教授言語をマレー語解説に転換し、現在でも存続しており、コロニアル様式の美しい校舎も健在で、映画「タレンタイム」の舞台にもなったそうです。

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本書で主人公が華人系の友人と知り合うきっかけになったのも校内歌謡ショーでの主人公の美声で、タレンタイムじたいがラットの故事を踏まえて、リスペクトが入っているのかと思いました。

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すべての友へ

イポーという街は、私も忘れてましたが、特に華人系が多い街のようで、解説に1957年の国の人口構成の数字が出てるのですが、それによると、国全体では、マレー系39.7%、華人系44.2%、インド人系14.6%なのに対し、錫鉱山の街イポーは華人67.1%、マレー系15.3%、インド人系12.8%だったそうです。今グーグルマップを開いても、ティンズ(亭子)が街を見下ろす山の上の公園に建ってる、中華中華な写真がババンと出ます。近くの町はタイピンだし、近くのリゾートキャメロンハイランドは中国名金馬侖高原だし。

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KLでも、マラッカでもペナンでもランカウィでもなくイポー。

主人公は、進学後一年くらいで、父親(役所の事務職)が、イポの"Sungai Rokam"という、最初の政府開発低価格住宅のひとつに引っ越したので、それでアンダーソンスクールの寄宿舎を出て、建売住宅に移ります。これらは、華人系寡占状態のイポーにおけるマレー系のくさび、橋頭保のような感じで、マレー系が集中して住み、形式もカンポン風高床木造住宅だったそうです。従来のアーケードの華人住居は職住隣接の、ショップハウス形式という奴だそうで、上の裏表紙の絵もそれです。

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本書に描かれた時代は1968年までで、翌年1969年、マレーシア首都KLで華人系とマレー系が衝突する5月13日事件が起こり、マレーシアはプミプトラ政策の充実のため、経済政策社会政策の実施へと大きく舵を切ってゆく…というふうに私は解説を読みました。

5月13日事件 - Wikipedia

ブミプトラ政策 - Wikipedia

当時文革期だった中国からの「革命の輸出」がどれくらいあったか知りませんが(1950年代大躍進期のほうがゴイスーだったと思う。チベットや回教地区でどしどし既得権力潰しやったのもその時代だったし。文革期はどっちかというと、建築物や家族の絆を壊した)フランキー(友人の名前)とマット(主人公の名前)の関係が珍しかったことは、ラット自身が語っています。

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 上記"Lots more Lat"には、いつも髪ボサボサのラットが、珍しくオサレ系の美容室に行ってみる話が収録されていて、華人系のチャンネー美容師たちがラットの蓬髪を見るなり、ラットに見えないかげで、"Lai-Lai-li-li-pon!"とかいう、手のひらをいっせーのせで出して、オモテ出したのとウラ出したのの多数決?で勝ち負け決めるゲームでラット担当を決める場面があります。もちろん彼女たちのことばは漢語なわけですが、アルファベットの音で表記されているので、北京語だとロウグーチャァの肉骨茶がパクテーになるマレー華語の世界ですから、どうせ閩南語や広東語、潮州語でしゃべってるんだろうし、音で表記するのがスジだよなと思いました。が、本書はそこに、果敢に漢字表記で挑戦していて、すっごく目を引きました。頁40。

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媽媽就是他想听音楽* 亜宏咖啡店 新張誌塵

マーマジウシだとおかしいので、マーマ、ジウシターシャンティンインユエ、だと思います。官話で読むと。「楽」が、𦾔字及び繁体字の「樂」でなく、日本の新字の「楽」なのは、ハテナマーク。"新張誌塵"は意味不明。「塵」じゃないのかもしれません。コーヒーショップの店名は、最初、「農」の簡体字"农"nongに見えましたが、まあ「宏」"hong"だろうなと推測しまして、その前のページにちゃんと答えがありました。

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KEDAI KOPI AH HONG.

このページ、「香煙」(タバコのこと)と書こうとして、「煙」が[火亜]になってしまっています。ラットの目に漢字がどう映っているかというと、だいたいのおおまかなワクは分かっていても、細かいところが、専門教育を受けてるわけでないので、ぼやけている感じなのではないかと思います。上の絵には、アラビア文字も書いてありますが、これも、だいたいで書いてるくさい。ストーリーに絡まない看板だし。

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頁149、タミル文字。精度は如何に。

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KEDAI MAKAN

頁65。下のマレー語「マカン」で、あー食堂なのかと分かるのですが、上の漢字は、「居食」なのか「餐廳」なのかもよく分からない。ようするに雰囲気ふいんきという。上の英語もRESTAN。

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FREEDOM CAFE KEDAI MAKANAN & MINUMAN 由自

頁158、学校イチの美女とデートにこぎつける店。フリーダムとあるので、右の漢字は、右から左に流れる自由だな、と分かるのですが、その次の字が、もう「茶」なのか「套」なのか分からない。右から左に一文字一行の縦書きで書くのは、「自由」だけに、国府や香港と関係ある人たちだからと推測します。横書きは中共ぽくてイヤン、みたいな。

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哦!就算要听音楽,也得吃飯先

頁42。ページ40の問いかけに対する答え。"听"のつくりの部分が、「斤」でなく「斥」だとかもありますが、「算」の竹冠がよく認識出来てなくて、「翼」だか「比」だかみたいになってるのは突っ込まれたろうなと。そして、「先」が後に置いてあるのが、私はヘンだと思いましたが、方言なのか、あるいは、少し中国語を習って、"得"を助動詞で使うのだから、後ろはすぐ動詞でなければいけないと(英語の影響で)思い込んで"吃"を"得”のすぐ後ろにくっつけたので"先"が余って、しかたなく末尾にくっつけたのか、どっちだろうと思いました。今度ネイティヴに、"也得先吃饭"でぜんぜんいいっすよね、と聞いてみます。一発変換出来たし。

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亜成…去買一個包

頁43。弟"亜成"に、ハラルでないと食べれないマレー人の友人のために、バオズ(ココナッツクリーム餡)を買いに行かせるフランキーのせりふ。"亜"じゃなくて"阿"だろうとかはどうでもよくて、私は、なんか、「買」という字が"罢"に見えてしかたなかったです。あと、バオズを包子と書かず、包だけで終わってしまうと、バッグの意味にならないだろうかと、これも気になりました。ペキン人ならアル化して"包兒"となるんでしょうが、包だけだと、どうか。しんいち、せいじ。勹の中が已か己か巳か、とかはどうでもいいと思いました。

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她的头发像掃把一样

頁50で、主人公のホウキ頭をフランキーの弟のリッキー(亜成)が笑うところ。俺のことおちょくってんのかコイツ、と色めくマットを、フランキーはごまかします。ここ、「頭」と「様」が簡体字"头""样"なのですが、「門」を"门"と書くような略字なんだなと思いました。ホントに簡体字なら「髪」も"发"、「掃」も"扫"にしないといけないので。

で、ここ、フランキーが、円卓で大皿料理の家族から離れて、自分の分だけ皿によそってもらって、歩きながら立って食べてるのですが、これはほんと商家でも農村でも、あちらの子どもによく見る光景だなと思いました。だいたいは親がまだ忙しくて食事が出来ない時でも、子どもには喰わせないといけないので、ぱっぱっとどんぶりにぶっかけめしとか麺とか盛ってもたせると、家の中はくらいので、子どもは長い箸と器持って戸口に出て、柱に背を持たせかけて、通りを眺めながら、あー日本人が歩いてるーみたいな感じでもそもそ食べるあの場面。日本だと、歩きながら食べるとお金持ちになれない、乞食になるとかよく言うのですが、そこはカルチャーギャップ。家族全員じゅうたんやござに座って手づかみで食事するマット少年が、華人のその食事癖見てなんと思ったか、それは書かれていません。別にヘンとも思わなかったかな。

帯の「すべての友へ」は本書巻頭のことばです。"To all my friends"なのかなんなのか。東外大で、ウェブだけでもいいので、原文併記版出してくれないかと思いますが、どうでしょうか。いつか。以上

(2019/4/20)

【後報】

無断転載禁止なので、この感想が引用の範囲で収まるか腕組みしてます。絵でなく、セリフや看板の文字を抜いたのですが、どうだろうか。

(2019/4/20)