『魔都上海オリエンタル・トパーズ』読了

 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51mXqklH4lL.jpg読んだのは単行本。

カバー写真提供 森田靖郎

装丁者 三村 淳

初出「小説すばる」1990年春季号~夏季号

これを読めば、作者の中国に対する思いが分かるかと思ったのですが、まだまだでした。1939年くらいかな、西安事件国共合作以後、パールハーバー以前。汪兆銘の南京維新政府樹立直前の上海を舞台にした小説です。この小説でも、当時の普遍的な地理呼称「支那」が当たり前に使われているのですが(侮蔑語である「チャンコロ」は1㍉も使われていません。為念)中文訳されてます…と書こうとして、されてなさそうなのに気づきました。花園の迷宮とか横浜幽霊ホテルとか香港迷宮行は訳されているのですが、これはダメだったか。

魔都上海オリエンタル・トパーズ (集英社文庫)
 

話のアイデアとしては相当に面白くて、日本は傀儡政権を樹立する際も正統性を主張するため、王族等を起用する場合が多いからして、満州国の愛新覚羅はさておき、蒋介石と張り合って正統中華民國を樹立するなら、汪兆銘だけでは弱い。そして、孫文は日本亡命時、日本人女性と結婚して子どもを作っていたではないですか… というのがひとつロジック。

孫文の女 (文春文庫)

孫文の女 (文春文庫)

 

 これはかなり鋭い目の付け所だと思うので、ほんとに日本軍や近衛政権がそこに目をつけなかったのが悔やまれるというか…インドのインディラ・ネルーとか、パキスタンのパナジル・ブットとか、フィリピンのコラソン・アキノとか、インドネシアのメガワティとか、韓国のパククネとか、とにかくアジアの多くは女性子孫による象徴制が好き。日本ぐらいでしょうか、ここまでかたくなな男根主義は。神功皇后北条政子で枯れてしまったかのように、後がない。(台湾の現総統も女性ですが、王育徳や邱永漢の子孫というわけでもないので、また別枠で)

そこに「アメジスト」の異名の、重慶から魂だけが上海に飛んできた宋慶齢の生霊やら、ラスト、コーション鄭蘋如が桃花流水山河在りでピングー否ピンルーで、さいごバブル地上げ直前の渋谷の片隅で終わる文字通り渋いオチまで、よく出来てるなーと感心しました。

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 続編執筆中だか構想中だかだそうですが、そこに、まだ作者が私には片鱗しか見せていない、中国に対する思いの一環というか、なにがしかのルーツが発見出来たらなあという。この本、日本の、アカと呼ばれる人たちは出て来るのですが、延安派、八路というかパーロがぜんぜん出てこないんですね。長征派に打倒されたドイツ寄りの上海都市左翼みたいなものに思い入れがあるのでしょうか。国府と日本人は錯綜して殺し合うのですが(そういう意味では、蒋介石麾下の最精鋭が日本とウーソンクリークで激突して上海市市街を焦土と化したケズオ・イシグロ『私たちが孤児だった頃』より少し後の時期を描いてます)八路を続編で描きたいのか、そうでない、犬養健的淪陥区文学を描きたいのか、もし世に出ることがあれば、読んでみたいです。

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二ヶ所ほど、???と思ったのが、まず頁15で、トルコで働くために上海に来たとおあねえさんが啖呵切る場面。特殊浴場は戦後の産物じゃいかと思います。赤線廃止以後、ベトナム戦争の頃にアウトラインが出来たのではないかと。もう一ヶ所が頁231、ヒロインは日本各地をまわる旅回りの芸人一座にいたので移動のトラックで運転を覚えていて、それでベンツで租界検問を突破する個所。そんなに戦前の日本人がモータライゼーションに親しんでいたら、パターン死の行進はなかったし、ガダルカナルの飛行場もさっさかできてたし(モッコで人力で土運んでならすとか非効率的なことはしなかった)ジブリ映画「風立ちぬ」で、戦闘機の試作機を牛車で運ぶ場面もいらなかった。

本書のサイドストーリーは、ユダヤ人を巡る仮想史観。満洲国だか沿海州ユダヤ人共和国を建設しようという話は、この手の国際謀略小説のツールとしてはかなりポピュラーですが、日本がそれをして得るメリットとして、悪化する対米関係の改善、米国ユダヤ資本から日本への資金援助という発想にはぶっとびました。で、上海の巨大ユダヤ財閥、サスーンは蒋介石と深くむすびついていてその構想の邪魔になる、それでは一部の富裕ユダヤ人以外の貧困亡命層は救われないとして、ひとりサスーン総帥に天誅を下そうとして返り討ちに遭うユダヤ人女性(日本語ぺらぺら、夫はこれも日本語ぺらぺらの中国人)が登場しますが、彼女の生き様と思いを活写する時の作者の筆は、ちょっと熱かったです。何かがのりうつった。

Victor Sassoon - Wikipedia

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私個人としては、もしサスーンが満州ユダヤ人国家構想に反対していたのなら、それは、バルフォア宣言とかフサイン=マクマホン協定とかのイギリスの二枚舌に対するあくまで原理主義からの反発で、シオンの地が約束の地でザイオンでFA、としか思ってなかったからだと思います。けっきょくそうなった。火種は別として。

次は『炎情』読んでみます。以上