ふと見ると平凡社の東洋文庫に青木正児先生の本があったので、まずこれを借りてみました。だいぶ読むのに時間がかかりました。蘇州杭州揚州などに遊んだ記録と、支那文藝等に関する短文、北京風物詩など五つの部分から構成されています。日本で漢文を学んだ人が現地に行って、手鼻"鼻涕"ばっかりで吃驚する箇所など、いかにも江南と思いました。また、今後のびゆく中国人学者自身の手になる研鑽研究を想定内とすると、日本人学者のよって立つところはどこか、ニッチは…といった考察も既に入っています。あとでまた書き加えます。では
【後報】
頁9「江南春」「杭州花信」
田舎のお上りさんが古風な藍衣を着け、肩から黄色や紅色の袋を掛け、同じ色の帯を締め、袋には「朝山進香」とか、何処の何氏とか書いて、打ち群れつゝ霊隠寺や天竺寺へ参詣する有様は、ぞっとする程 詩趣をそゝられる。
西湖から旅愁を云々の箇所。
私が最初で最後?に、天秤棒の両端に荷物の入った袋をくくりつけた物見遊山の人たちを見たのは、虎跑寺という名前の古刹でしたか。例の、アルミ貨幣が表面張力で浮く水の井戸で、それでお茶飲むとおいしーというところ。江南の農家の人たちの農閑期の旅游に出っくわした。
作者はここで、柳をぶった切って陸上のトラックを作るような無茶はしなければ、必要に応じて西湖に何をしてもいいだ、としています。中国人が中国で中国人の娯楽のためにすることだから、と。電飾キラキラの洋館、日比谷公園のレストランみたいなのが西湖のほとりに作られて、興ざめじゃーみたいな邦人旅行者の意見に反論してのことです。
同様の感慨が随所にあり、それまで書香の家で素読で得てきた情景の現実が、どう著者にのしかかり、どう著者が対応していったかの思索記として読めて、いいです。
頁11「江南春」「湖畔夜興」
下駄ざわりの悪いコンクリートの四条大橋の欄に憑りながら、文化文政頃の四条河原の賑いに思い耽ることを好む私は、電光燦たる西湖湖畔の街頭に彳んでも亦、南宋の都臨安の瓦子の賑いを想像することを好むのである。「都城紀勝」や「夢梁録」は私のこの癖を満足させてくれるに十分である。瓦子は宋代両都の遊戯場である。我が昔の四条河原の類である、「河原」と「瓦」と国音相通ずるも亦一興である。
単身旅行ですので、やることと言えば買い食いと散歩、土産物を買うことくらい。世の東西今昔を問わず、だいたい一人しかいない冷やかし客は、売り子に押されるです。
頁28「江南春」「姑蘇城外」
とは云え到る所香屋の店先に、白檀などの木片が焚付けか何かのように笊に入れて山盛りにされているを見、更に寺院の大香爐中でそれがぼん〱燃え上っているを見る時は、流石物資の豊富さを思わしめた。それが日本などでは一両目幾らだなど細かい算用で買い求められ、勿体らしく少しばかり薫らされ、その傍で雀の涙ほどの茶が啜られる所の白檀と同一物とは迚も思われぬ。流石支那は大国だ、何でも大ざっぱだ。しかし小国民中の最も小さい私は、山盛りの白檀よりもなお少しばかりの沈香を求めて止まぬのである。
沈香を買いに行って白檀を売りつけられる箇所。頁42では南京の雨花台に行って、これは人民共和国の改革開放以降もまったく同じですが、石を売る子らに取り囲まれて、最初ふっかけられて、次にはひとやま幾らでいいから幾らでもいいから手ぶらで帰らないでとなるくだりを書いてます。
頁42「江南春」「南京情調」
上古北から南へ発展して来た漢族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着は現実的実行的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼等の慾ぼけたかけ引き、ゆすり、それらはすべて「儒」禍である。諦めの良い恬淡さは「道」福である。
雨花台の少年少女たちよ、お前達は善良である。(中略)私はこの意味において全支那国民の無邪気なるかけ引きを承認する。
若い書生の無邪気な文章に、読んでるほうが顔が赤くなる思い、これこそが『江南春』を読む醍醐味ではないかと。若気の至りのこっぱずかしい青い文章が、大家になったので、平凡社の東洋文庫に収められてしまう。素晴らしいです。
頁44、南京の路地裏を物売り(貨郎児)が歩く場面。とくに流しのことばは詠唱しないそうで(往古はしていた)振り鼓をとん〱と鳴らして行くそうで、その鼓を、法華宗の団扇太鼓の一方に小毬を紐で吊るしたような格好、と形容しています。等身大の中国を伝えようとすると、どうしてもいちいち扶桑のなにがしかと比較して形容してしまいます。読んでいて、自然に顔がほころびます。
頁44「江南春」「南京情調」
小間物屋と振り鼓とは宋元以来切っても切れぬ腐れ縁なのがうれしい。(略)その柄を一寸ひねると小毬が皮を鼓いてとんと鳴る。ねむたげにとんと鳴る。その音にお前も古南京の春を伝えるつもりなのか。
(2019/5/29)
【後報】
頁47、揚州。塩業盛んな頃の文化の隆盛をしのぶ。厲樊榭という詩人が「詩魔」のあだ名で出て来ますが、検索してもよく分かりません。
(2019/6/29)
頁135から、「支那戯曲小説中の豊臣秀吉」という小文があり、野曳曝言の116, 129, 130の三回に秀吉がむちゃくちゃな役で登場するとのこと。
また、斬蛟記という本にも出てくるそうですが、はかばかしくヒットしません。
う~ん。
(2019/10/22)