『ジャマイカの烈風』(晶文社文学のおくりもの⓱)読了

読んだのは文学のおくりもの版の1980年の二刷。小松崎茂の挿画入り。訳者あとがきあり。

ジャマイカの烈風 (晶文社): 1977|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 もともとは1970年に筑摩書房からロマン文庫の一冊として刊行されたとの由。現在は晶文社の下記本で出ているそうです。

ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)

ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)

 

 …この記事は書きかけです。(寝落ちしました)

【後報】

リチャード・ヒューズ - Wikipedia

この人のほかの著書を検索してたら、御大中島嶺雄じきじきに文革ど真ん中1968年に邦訳した本が出てきてしまい、えーと思いましたが、同姓同名の別人でした。

香港 : 主人なき都市 (タイムライフインターナショナル): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

Richard Hughes (journalist) - Wikipedia

この本は、映画「マイ・ブックショップ」に出て来る本です。親も子も皆が労働してそれでやっと生きていける家の二女か三女で、自分には恋愛はまだ早い、本は好きじゃないけど歴史と地理は好き、という、とんがってるけど接客が上手な少女をアルバイトに雇ってる書店の女主人が、少女に、是非読みなさい、読んでみてと勧める本です。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

最初はなんのことやらなんですが、訳者もあとがきで、類をみない、どこからみても、まさに「古典的」で「独特」な秀作であることは間違いないというその通りの読後感を得ること間違いなしです。訳者も、最低二度は読み直してもらいたい、この一見荒唐無稽な物語(傍点付)をあなどらないで、絶対最後まで読んでいただきたいと言ってる、その通りだと感服するわけです。

私は十五少年漂流記はダイジェストで読んだかなあ、ゴールディングのハエの王は未読、というくらいの人間なんですが、若い頃から無銭有銭で極貧放浪してたおっさんが少女を主人公に物語ろうとする時、なぜホモソーシャルではダメなのか、少女である理由はなんだ、と考え、だいたい世の中の男性作者が少女を主人公にするのは、憧れと、マッチョや家長義務からの自由を彼女に仮託するからだと思うのですが、これは違った。これは、少女が大人になる時の危険に真っ向から向かい合って書き切った小説です。びっくりした。それを強調するためにエミリーより年少の子供たちの性質を微に入り細に入り書きこんだのか。そしてエミリーよりほんの少し年長であるがゆえに、登場時すでに「おとな」だった?マーガレット・フェルナンデス。

 私はこの年になってマンガにものごとを教わったり「マンガも勉強になる」経験があるとはおもわなかったですが、沙村広明のマンガ『波よ聴いてくれ』でストックホルム症候群ということばを知り、これとこどもたちといういきものの属性とかけあわせてしまうと、確かにこれはしっかりとしたおとなが、がっしりと書かねばいけなかったワンアンドオンリーの物語だなと思いました。

kotobank.jp

stantsiya-iriya.hatenablog.com

ほかの子どもよりほんの少しおとなだったマーガレット・フェルナンデスだけ、作者が直接彼女の性格気質を解説せず、ほかの人物のよそよそしさや、風評(冒頭でもう、クレオールはだらしないとかしっかりしてないとかしつけがアレとか出て来る)とか、シラミやダニ対策でジャマイカではみな短髪にしてるのにロングヘアーという外見の描写とか、ほんとに読み返しましたが、実弟ハリーがいるのに、英国の汽車駅で孤立して、みよりがひとりもいないひとりぼっちみたいに書かれてしまう場面、水夫から海に投げ落とされる場面。どうでも読者はエミリーと対比して、エミリーがいかに切り抜けるか、エミリーは陥穽に落ちたらどうなるのか、いろんな思いを込めて読んでくことになります。純粋に読む人もいれば、よこしまな思いをもって読む人もいるでしょう。すごい話だ。

いちばん頼りになりそうで頼りにならない風に描かれそうだったジョン(二番目の年長で男の子)のあっけない退場が、また薬味が効いているなと。最後まで忘れられなくなります、逆に。

ジョンセンと書かれるデンマークヨンセンの描写、最初読んだ時はろくろく読んでなかったので、飛ばし読みの先入観で、金髪の大男で、いい男なんじゃいかと勝手に空想して読んだのですが、念のため再読時必死こいて容姿の記述を探したら、ブーデーでゲーハー未遂で、見れたものではなかったです。まさに「スホ症」ドイツ人なのに北欧人と適当に書かれるオットーの容姿は分かりません。なんとなく小男かなという描写はあったかも。この人は最初職名でしか登場しませんので、そこで書かれていて見落としたかもしれません。そういう小説です。ジョゼと書かれるホセは、まあ、分かります。でも、子どもはこういうキャラが人懐っこいと子どもも好きになるかもな、子守りキャラと思っただけです。

最後まで読むと、自分が途中の凡庸と勝手に思い込みそうになった経験を、誰かにも追体験させたくなりますし、自分だけがこんな思いして読み終わるのは癪なので、それで、皆に勧めて回るし、その時の煽り文句は、やっぱ、傑作とか古典とか、そういうことばになります。やった、感想書き終わった!以上

(2019/5/21)