特別講演会「ふしぎな一神教」

今週のお題「アイドルをつづる」すごくひさしぶりに講演会的なものに行きました。この前に行ったのは何でしたか、川崎市民ミュージアムの漫画展の水野英子でしたか、帝京大学浅田次郎ほかでしたか。

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特別講演会ふしぎな一神教 ユダヤ教キリスト教イスラム教 それぞれの主張と互いの関係、 現代の国際社会とどうつながるか

金曜日にふと用事のときにポスターを見かけ、名前を登記して出かけました。こじんまりとした規模の講演会にこのネームバリューの人が来るとは。市内の同じ宗派のところの会員だそうですが、多忙な人なので、一年かけて企画を詰めてきたんだとか。そういう場所に立ち会えたのはさいわいです。大岡山には公的な場所に行ったことありますが、大岡山ではないのでそれは幸いではないのかな。この方の本は下記を読んでいて、この頃は「イルミナティのしわざでしょうか」という文章を好んで書いていたんだなと読書感想で確認出来ました。今、書きません。

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ネトウヨがまぎれこんでたと思われたかもしれませんが、ほかにもちゃんがらはんがらはいたかもしれません。この直前は駅の反対側の純ウィーガンなカフェに行こうとして暑いわ遠いわで挫折して、その時天主教の午前中のミサが終わって沢山の人が出て来るのを見ました。あまり分かっていませんでしたが、藤ヶ丘って、信仰に厚い地域なんだなと。

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とても暑い日で、会場内はもちろんクーラー効いてましたが、スーツの上着をきちんと着込んで講演されてました。「えっと」が口ぐせなのかと。関西の電話応対では先輩社員からチェックが入って直されるポイントです。ぴょんと立つ方だと思いました。

小さな集まりですので、内容を、はてなのような規模の非閉鎖系のインターネットにどこまで書くべきか、議論はあろうかと思います。その内容に関して正確性や責任のはなしもありますし。特にレジュメにない、ボーナストラック的な話は、どうしたものかと。冒頭の日本国内のシナゴーグの話で、見学は事前予約の礼儀必須というところを、例えば「一神教を知るための10の施設」みたいなハウツー記事に仕立てて具体的な場所を自分で検索して補足してアフィリエイト等の収益を狙うとかは、アフィリエイトしてませんし、しません。ならなに書いてもいいわけではむろんなく。手探りでじわじわ書きます。

以下後報【後報】

こういう本を書かれている(共著)なので、そこから演題が来たのかと。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 

 一神教、"monotheism"の、モノはいち、イズムは教え、あいだのセはかみさまのことですよということで、ティーエイチなんとかの英語の古語は、シェイクスピアの漫画で見たのか、ほかの何かを、原書で読もうの時に見たのか、あるいはそういう文章で見たのか、考えましたが、ぱっと出ないのでペンディングです。

世界史だと、ニケーアやカルケドンは公会議という名前で覚えていて、いちおうそこで決まった三位一体や、そこで異端とされた単性説なんかも覚えるのですが、決めごとのほうをニケーア信条、カルケドン信条と呼び、信条は"creed"です、という視座は持っていませんでした。ロッキーの続編、アポロの息子さんでしたか、と同じ綴り。その辺が、信仰のうちにいる側と、フラットな世俗との違いなのかもと思ったりして。冒頭のつかみは、フランス人の教会離れから始まっています。

(2019/5/27)

【後報】

説教はよく行ってるが、今日行うのは講演です、とのことでした。

イスラム教のキリスト教に対する主張を、キリスト教の立場からとらえ、到底容認出来る考えではないが、それを彼らが主張しているのが事実だ、と現状を正しく認識することをすすめていました。「啓典の民」なんてことばで思考停止して先に進まないような愚はおかさない。神はすべてのものを創造した、すべてのものは被造物で、被造物でないものはコーラン(神のことば)だとか、イーサー(イエス)はアラーの預言者で、十字架で死んだのは別人で、本人は昇天後やがて再臨してユダヤ教徒キリスト教徒を率いてイスラム教に改宗する、とコーランに書いてあるが、これは到底受け入れられない、しかし彼らがこう考えているという事実は知っておくべきだろうと。同時に、コーランではキリスト教批判がかまびすしく、特に三位一体という、キリスト者でもなかなか信仰が揺らぐと受け入れるのが難しい箇所はよく攻撃されてるんだとか。ありえへんとかそんな感じでしょうか。

一神教のポイントのうち、「創造(Creation)」「預言者(prophet)」「奇蹟(miracle)」が三者それぞれにあることを例証するのはたやすい。だが、「復活(resurrestion)」=創造は、ユダヤ教にあるのだろうか?エゼキエルの幻視がそれにあたるのではないか、というのが演者の考えです。枯れた骨の谷。

そもそも復活とか永遠の命とは何か。私が滅んでも契約によって神がremain、覚えていてくれるということ。それでいいじゃいか。

アルファベット26文字と0から9まで数字のどれかが七桁あるのが北米の車のナンバーだそうで、例えば今外に出て教室の前に止まっている車のナンバーが"XY777PW"である確率はどれくらいだろう、と教師が生徒に問うて、アルファベットと数字を足すと36とおりで、それ掛ける七桁なので、36x36x36x36x36x36x36=78,364,164,096分の1でふよムフーと生徒が答えると、いいや、私がさっきそのナンバーの車を止めたから、確率は100%だよ、ランダムか恣意的かで答えはかくも変わる、偶然を必然にする働きこそ神の創造、みわざではないかという話を紹介してたので、検索しましたが出ませんでした。

それで、みんなゴッツンするのが三位一体なら、それをとらないキリスト教って、ありますのん、ということで、クエーカー教会はとらないそうです。非暴力だから徴兵拒否するとか、「イエス」とも言わないとか、公務員になると死刑執行にサインしなければいけなくなるから公務員にもならないんだとか。ユニタリアンも三位一体は言わないと阿。あとアドベンチスト教会は非暴力だとか。ものみの塔は言わないが、彼らがキリスト教かというと以下略。

で、冒頭の、フランスのキリスト教の停滞に比べて、アメリカは活発は活発だが、だがそれは絶えず離合集散、新しい宗派新しい教会が作られては壊される、スクラップビルドの連続なんだそうです。そうきかされると、キリスト教ではない団体、例えば自助ナントカも、アメリカのは同様に離合集散が激しいかなという気がします。棄てることにジメジメしてない。さばさばしてる。

で、一神教社会の特徴として、①私は正しいと自己主張する②相手も自己主張する③衝突する④衝突しないよう法律で回避する。ユダヤは律法、イスラムイスラム法キリスト教は法がないので立法機関を別途作って契約して法を作る。政教一致でない世俗法で管理するのが、長い流血の歴史を経た上でのキリスト教の特徴である。

で、日本社会は、人に迷惑を掛けない、①②③で衝突ということがない空気社会で、空気が人、もしくは精霊、いや、精霊でなく「天」という思想だろうか、こういう社会は間違える時はみんなで間違って、誰も止められない、なので、そこにこそ、日本社会で生きる一神教信者の意義があるのです。主張する人がいなければ、みんながあっちに行ってしまう。地の塩。

こういう講演でした。やー書けてよかった。以上

(2019/6/15)