そのへんにあったマンガ。小学館ですが、初出は資生堂のウェブ花椿というサイト。
デザイン COSTA MESSA
2017年10月5日から2018年10月4日まで掲載ですが、どこまでが1巻収録で、どこからが2巻収録なのかは、奥付に分解能がないので分かりません。1巻も2巻も初出の月日が同じなんだもの。そこ見過ごすケアレスミスが発生するほど忙しいのか、あるいはIT時代の弊害というか、もうそこはそろそろ人力チェックでなくAIがやってくれないかとみな思い始めているのではないかという。
そういう時代が実現したら、一気に仕事がなくなってしまいそうな派遣事務職(こんな仕事じゃない気がするのですが。アデコやらテンプスタッフやらパソナやらリクルートスタッフィングやらの各社がてんでばらばらに派遣事務を送り込んで独占禁止的な群雄割拠の職場にいた時も、お茶は各社員自分で淹れるものだし、伝票整理は電子化されてましたし、事務職が手を煩わせる余地皆無でした。他社との会議や懇親会の日程調整とかアジャストとかやってた気がします。部課長のホテル予約とか新幹線予約とかはしてました。台風の時も)に働く主人公は、実はダルダル星からやってきたダルダル星人だった、という話で、ダルダル星人というのがどうゆう生き物かは、私は諸星大二郎から比定する方法でしか説明出来ませんので、『子供の遊び』に出てくるよ、とだけ言っておきます。
1巻の表紙はロールシャッハテストで、両手で顔を覆った女性のアップが見えry
ウェブサイトのチラ見や表紙だけだと、スリップ萌え、スリップの肩紐萌えや、襟フリル萌えには応えられないマンガに見えますが、前者のカットは、それほど多くないとも云えます。
『子供の遊び』だと勝手に大人になるのですが、やはり自我が生まれ出ずる関係上そういうものでもないらしく、傷つけ傷ついて大人になってゆきます(棒
最初のスギタさんという男性があまりにあっさり一身上の都合かなんかで退職するので、なんでと思いましたが、作者が本当に語りたいことにワープするため、創作者として、作品世界の神としての権限を行使したのだと分かりました。表現者が伴走者に与える苦悩、伴走者たる資格についての懊悩がまぁまぁなテーマです。車谷長吉とかアラーキーの奥さん(故人)とかそういうことで。
2巻の頁68、頁69とか、自分が好きな感じで推移してゆくカットの流れなせいか、いいと思いました。主人公の視線の雑踏から始まり、横顔で〆る。
雲の多い青空が、何かそういう素材を使ってる飛び道具以外は、基本白バックです。この人の代表作ズッカズカは時折モーニングで読んでいただけですので、カラー原稿あまり知りませんでしたが、生まれた時から(ではないか)デジタル作画の人は、かえって空間をぜんぶ多色で埋めようとなんかしないものだなと思いました。白の多用。
コウダさんという人が、なんとなく自己啓発っぽくすらすら理論武装出来ているのが、なんだなあと思いましたが、世の中そんなものかもしれません。ダルダル星人はひきこもりのゲーオタではありま千円という。帯文句も、「普通」とか「真の」とかあって息苦しいので、引用は控えます。同じベクトル。
最後の、職場がみんなダルダル星人というのは、肩の力が抜けてて素晴らしかったです。あっネタバレごめんなさい(棒 こんなのんびりした小出版社、空前の活字不況がミレニアム単位で続いてるこのご時世に存在するかはともかく、現実にはSNSに追われたスマホ依存の社員しかいない気がするのですが、現実は分かりません。
以上