読んだのは下記の単行本。装画 山口由紀子 装丁 セキユリヲ 編集 樺山美夏 WEBダ・ヴィンチ2001年10月~2002年9月連載を大幅加筆修正。各章章題があるのですが、目次がないです。全何章かも、じぶんで数えんければならん。
だいぶ映画と違いました。映画よりちんまりしてるかと思いきや、映画ではビジュアルでしめさんならんので、これ見せると観客引くっしょ、というようなカットになる描写が小説にはうじゃうじゃ出て来ます。映画の主人公は、依存という程ではない、気にしすぎと思ったですが、原作の主人公には、多少気をつけよう、否認せずに、と声かけしたかったです。
・冒頭熱を出した男からの呼び出し電話に出る場所が異なる。
・映画は「カビキラー」、原作は「かびキラー」
・映画は山中湖、原作は伊豆の海。これは、水着カットを避けたと思われる。
・映画は退職の日に昼ビール、原作は在職中も毎日昼ビール。しかもビール買う時店員にありがとうございましたと声をかけられ、涙ぐんだりする。
頁22
(略)内線や外線電話には出ないくせに、携帯電話には飛びついて出る、ときに長電話をする。(マモちゃんに会うのに時間をつぶすため)仕事がなくても会社に残っている、デートの約束が入れば忙しくても勝手に退社する、ときどき定時前に姿をくらます。遅刻も数限りなく、化粧もしないし、何日も(最高四日間)同じ服を着ていたりする。コンピュータの前で眠りこけて椅子からずり落ちそうになる。かと思えば、四時からトイレにこもって入念に化粧をしていたりする。嫌われないわけがない。今では、私としゃべってくれる女の子なんかいやしない。
・ナカハラくん以外にアッシーがいる。
・ナカハラくんは別荘に来ない。
・個展も開かない。
・暴力温泉芸者(関係ない)
・三十五くらいでなく三十前の二十九くらいである。
・予備校事務でなく塾の事務である。
・こじゃれた飲み屋は中目黒でなく恵比寿で、中目黒は彼女の家だった。
頁20
マモちゃんも今ごろお昼だろうか。冗談かと思うくらい仕事が忙しいとマモちゃんは言っていたから、昼ごはんはもっと遅いのかもしれない。何を食べるんだろう。何を、どこで、だれと。缶ビールは心地よくのどをすべりおちる。
たとえば私は昨日と同じ服を着ている。会社でマモちゃんからの電話を受け、そのまま彼のアパートに向かい、彼の部屋には泊まれずに葉子の家に泊まったわけだが、そのまま出てきたから、服もバッグも昨日と同じだし、化粧もしていない。こういうところが同じフロアの女の子たちから浮いてしまうのだ。
それだけじゃない。たとえば私は就業中でも会議中でも携帯電話の電源を切らない。鳴れば携帯電話に飛びついて、内線が鳴っていようが無視して話しこんだりする。用もないのに残業していたりするし、いそがしくてみんなが残業している時に平気で定時にひきあげたりする。
いちおう、正社員になったら派遣より待遇が悪くなって、残業手当はすべてサビ残になるとか、そういう愚痴のくだりもあります。また、映画で語られない過去として、今の男の前が妻子持ちとの不倫で、その前の大学時代は、転がり込んできた浮気常習且かいしょなしの男と自分の生活費を稼ぐため、二留までしてバイト生活にあけくれるが、何故か男のほうから別れてくれと頭をさげてきて、ふられる。
これ読むと、私がつねづね個人的に感じてることですが、親の影響で子が、というパターン以外に、むちゃくちゃな異性とつきあってふりまわされて壊されるパターンもあるな、という。だいたい壊す人は、ブルドーザーみたいに次から次へとモテというか強引というか、壊して毀してまた新しい相手も壊す、みたいな連鎖な気がします。あくまで個人的な感慨なんですが、よくそう思う。出合い頭に壊されるがわは、たまったもんじゃない。
頁103、初めて手料理をふるまう時、失敗をおそれて、直前まで同じ料理を延々作り、それが後でバレるというエピソードが披露されますが、強迫ナントカではないかと勝手に思いました。同じページで、しらふで二ヶ月ぶりに男に会えないので、ジンを二杯飲んだ状態で会います。
主人公の描写があまりないので、よく分からないのですが、映画が、もっと美人をキャスティングしなくてよかったと思いました。監督は冴えていた。美人をキャスティングして無難にトンチンカンなストーカーに仕立ててもよかったのに、そうしなかった。しかし、原作は、もっと野獣な女性なんじゃないかとも思いました。筋力とウェイトはあるんじゃないかな。作者は前に、建築現場で酔ったヒロインがガテン系の男に助けられて恋に落ちる小説書いてて、それを読んだ気がしてましたが、模造記憶だったのか、検索で出ません。だから、この小説で、ひよわな男に言い寄るのが、なんかすごく分かる気がして。ひよわな男が根拠なき自信家である点は、そういう新社会人を何人も見ているので、分かります。それをかわいいと思う女性がいるのも、理解しやすい。
ただ、男の会社のある神楽坂を、男に会わないよう注意しながら、これはストーキングじゃナイデスよ、と自分に言い聞かせながら徘徊するのは、よくないかなと。でも痛い目に遭うまで止まらないのかも。
スーパー銭湯の仕事も、心を入れ替えたわけではないので、上記の延長なところがあり、「これだからゆとりは」と思いました。同僚の女性についても、原作のほうがディティール書き込まれています。
見事に私は酒エッセーばっか読んでいたカクタミツヨ。でもこの人も、カリブーマーレー追悼書いてるみたいなので、次はそれ読むと思います。なんの接点があったんだろう御両人に。以上
【後報】
頁116、失業給付手当がもらえなかった、と独白してるのですが、自己都合退社だから即給付でないというだけの話と解釈しました。懲戒解雇な気もするのですが、それでも待期期間の後もらえると思います。
頁123、主人公の親友が主人公の男を評する箇所。「ガリで地味な顔立ちの、チンコちっちゃそうな男」「前戯ねちっこくてエッチ下手でチンコちっちゃいのね、そんな男にふりまわされてんのね」映画のイントロでも「猫背でひょろひょろ」で、この年で酔って立たなかったりするのですが、でも本人が自覚してて、それですぐ挿入して自分だけいってしまう男だったらもっとひどいので、せめて努力しようと、自己満足な努力なのでしょうが、頑張っても「前戯ねちっこい」という評価にしかならないとは、シビアな世界であると思いました。恋愛道。角田光代的には、貧弱な男のひとりよがりなテクなど、胸板の厚さとか、太い二の腕の包容力の前では、無に等しいのかもしれません。
(2019/8/25)