『プロレス少女伝説 新しい格闘をめざす彼女たちの青春』(女性の世界シリーズ❼)読了

 『慟哭のリング』葉青(読売新聞社)1998年刊を読んだ後、直感的に、『小蓮の恋人』の井田真木子の本書を読まねばならぬと感じ、読みました。読んだのはかのう書房版。

プロレス少女伝説 (文春文庫)
 

 天田麗文 - Wikipedia

葉青の小説を読んだ時点では、中国残留孤児のレスラーなんているのかと思ってましたが、私が無知なだけでした。上記ウィキペディアのしと。本書では「文」ブンのリングネームだけではなく、"孫麗"という雨かんむりのついた名前でも記されています。で、彼女は、Wikipediaでもはてなキーワードでも中国残留孤児二世と記されているのですが、本書では、「中国未帰還者」の子女という、おそらくはそれが正しいであろう表記になっています。母が下放で飛ばされて記録上そのままになっている戸口のある街「塩城」にイエンティンとルビが振られているのですが、”城”は官話ではチョンとチェンのあいだのような、どちらでもない、カタカナに出来ないはっちょんもしくはそれが反り舌にならずツェンになるはっちょんなので、「ティン」だと「塩町」ではないかと推測して、そんな街が検索出来なかったり。

Google マップ

レイブンの母親の名前も、"佩琴"にテイチンとルビが振られているのですが、ペイチンではないかと。「佩文韻府」という有名な書籍に使われてる字なので、それに気づいた人は少なくないと思います。

デブラ・ミセリー - Wikipedia

この人も、ウィキペディアではイタリア系とのみ語られてますが、その父系は全員黒髪黒い目で、母親はパラワラミという、その一族以外聞いたことのないアメリカ先住民だそうで(検索しても本書の書き写ししか出ない)、本書執筆時点でパツキンの二十代のデブラは、ホントのパパは誰なの、そろそろ明かしてくれてもいい頃じゃないの、と母をからかってるとあります。勿論そんなほのぼの一家でなく、現在はアダルトチルドレンやネグレクトという言葉に抱合された感がありますが、本書ではバタードチャイルドという表現を使っていて、しかし、頁29のポートレート(撮影:森田一朗)は息を飲むほどきれいです。これが検索してわらわら出てこないのは、僥倖だと思います。本書をひも解かねば会えない顔。

神取忍 - Wikipedia

そしてこの人。この人の語りの凄みをそのまま写しとった筆者は、これだけで後世に残る仕事をしたと思います。といっても私は女子プロぜんぜん知らないので、本書にアジャ・コング北斗晶も出ないなーとか、知ってる人から見たらなんじゃお前的な感想を持ったりもしています。頁242で、いかにしてジャッキー佐藤の心を折ったか、を論理的にステップを踏んで語るその切り口に、痺れない人はいないと思う。

本書はキューティー鈴木までで終わっているのですが、私のように時系列でレスラーを纏められない人間は、それをポカーンと読むだけです。以下後報

【後報】

(2019/9/10)

 頁80

「わたしが育った家は、長江という河のそばにあります。長江という河は、大きな河です。向こう岸なんか見えないよ。とても、大きな河です。

 それから、船がたくさん来ます。黒い、石のような、燃やすものを、なんと言いますか? 石炭? そうです。その石炭を運んでくる船や、ほかのものを積んだ船が、たくさんやってきます。

 育った家を出ますね。右には大きな道路が走っている。それとは反対側に歩いていくと、山がありますよ。そんなにすごい山じゃない。ちょっとだけの山。それを越えると、粘土を作る工場がありまして、それを通り過ぎると、さあ、もう長江です。

 粘土工場の近くに、船着き場があります。船が、そこで石炭をおろしますね。そこから、石炭をあっちこっちに運ぶんです」

 船で遊ぶのは、すごく面白くって、麗雯は目を輝かせる。船に乗っている子供は、小学校にも保育園にも行かないですよ。船の中で生まれて、船の中でずっと育つの。なんて面白い人生でしょう。その子たちと遊ぶのが大好きだったわ!

 葉青の小説でも主人公は船上生活者の朝鮮族の少年と知り合います。麗雯の場合は、塩タマゴを教えてもらったりするのですが、それを彼女は北京語のシエンダンではなく、ハンタイン、と、教わったとおりの発音で発声します。南方方言です。犬食や蛇食も教わる。蛇の皮をはぐ描写は、忘れられた角川映画「カンフーくん」の主役の少年が、ふだん何をして遊んでるか聞かれた時の回答と同じでした。彼の余暇もまた、蛇殺しだった。

カンフーくん -キャスト- : 角川映画

 前にも書きましたが、私が中国人から教わった、蛇殺しの呪文を書きます。これを唱えながら殺せば、蛇に祟られないそうです。

"刀子杀了你,我不杀了你"

しかし、葉青の小説の主人公と、井田真木子のルポの麗雯は、だいぶ違った人生を歩んだと思います。小説の主人公が、ハマの公立多国籍実験小学校でじゅんじゅんに日本に慣れていったのに対し、麗雯は多くの残留孤児子女同様、段階的な定住訓練が不足したまま、なんくるないさで血縁関係の群馬の団地にほうりこまれ、日々、日本人だけの学校とテレビの前を往復する生活を送ることになります。何言ってるか分からないテレビを膝をくんで眺めるだけの日々。小説の主人公は小柄だがもともと中国でも拳法を習っていて、優秀な使い手でもあった。対してレイブンはテレビで繰り広げられるプロレスに魅了されただけの素人で、入門するために急激に体重を増やし70キロ台にしたため、体のあちこちに負担がかかりケガがちになり、脱臼癖もつき、苦難の道のりを歩むことになる。レイブンというプロレスラーを知っていた小説の作者が、せめてこうならという願いをこめて小説の主人公を造型した、私はそんな気がします。そうしたかったのではないか。救済を。

このルポの優れた点のひとつに、各人物ひとりひとりに、突き抜ける瞬間、カタルシスの瞬間があったことを、あまさず書いている点があると思います。長与千種の場合は、頁109の、ライオネス飛鳥とのガチ試合。メデューサは、頁270、帰国後のマットで、他のアメリカ人女性レスラーをよせつけない、卓抜した技量を発揮する場面。井田真木子が、複数の文化を知る人間の強み、それがゆえに両国ともども辛酸なめ子でありながら精神的な健康を保てているのではないかと彼女を考察する場面です。神取は、難しいけど、頁240、逃亡先のニューヨークでちゃっかり柔道関係者を発見してそのツテで生活して帰国費用を稼ぐ場面と、その後、野菜や海産物を人に送りつけて収入を得る期間を過ごすところ。干されてるのに、タフだなあと思いました。天田麗文の場合は、下記。テレビ番組の企画で、帰国する場面です。

頁256

 彼女は、日本から上海まで飛行機で行き、市内のデパートで、一七五八元の冷蔵庫とみやげものを買いこんだ。クラッシュ・ギャルズは、慣れない中国の町並に、少しとまどっているようだった。いつもより口数少ない長与千種ライオネス飛鳥にはさまれ、みやげものの包みを山のようにぶらさげて、麗雯は歩いた。

 上海から南京までは汽車、南京から長江のほとりの家までは小型バスが、麗雯たちの足になった。麗雯は、頬杖をつき、車窓から外を見ていた。

「テレビの人は、わたしの家の人に、何も知らせずに行こうと言いました。両親は、わたしが、こんなに近くにいることを知らないのでしょうか、と思いながら、わたしはバスに乗っていましたね。

 バスに乗りますでしょう。

 わたしは、外を見ていますね。

 ああ、この道だなあと思いました。その道を、わたしは覚えていたのですよ。ああ、この道だってこの道だったんだって思いました。七年前と、なにもかわっていない。道もかわらない。家もかわらないと思いました。

 こんなにかわらないなんて、と思いましたよ。

 家にバスが着きますよ。中庭にバスが とまりますよ。おとうさんが、そこにいますよ。

 おとうさんは、昔、わたしが知っていた人と変わりません。着ている洋服も変わらない。昔、着ていた服を、おとうさんは着ていましたよ。

 とうとう、とうとう、帰ってきたと思いました。とうとう、とうとう、わたしは帰ってきたのですよ」

 以上

(2019/9/16)