『私たちのオモニ』【어머니】독료(読了)

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私たちのオモニ (新潮社): 1992|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

読んだのは新潮社版 装画・趙如珠 読んだ本のカバーは綺麗なので、上の画像の点とかは、スキャナの汚れです。拭こう。

私たちのオモニ 本田靖春全作品集

私たちのオモニ 本田靖春全作品集

 

 先日図書館でこの人の吉展ちゃん事件の本、平塚八兵衛のルポが目に止まり、そういえばこの人の本は数冊読んでいて、これがまだだったなと思い出し、借りました。

小説新潮1988年11月号から1989年4月号まで連載された記事に大幅加筆修正。

とある在日一家のオーラル・ヒストリー。いや、オーラル・ヒストリーの意味も知らずに、いま、「オーラル・ヒストリー」と書いたのですが、オーラル・ヒストリーは、「口述歴史」の意味だそうで、この家族は、自分たちの家族史を、参加する朝鮮女性史(在日女性史)研究の会の会報でそこそこ文章化しているので、それを踏まえた取りまとめです。

オーラル・ヒストリー - Wikipedia

その一家は、父親が、總聯でも民団でもない在日コリアンの交流の場として、ハングルで広場を意味するという「まだん」という季刊誌を立ち上げて六号で終わったキム・チュテ(金宙泰)という人で、娘さんが、上記の女性史通信の人で、会報連載をまとめた『海を渡った朝鮮海女』なる本を出した金栄(キム・ヨンと、リエゾンせずカナ書きされています。名前は、訓読みがそのまま通名。苗字は本名、名前は通名で「きん・さかえ」とやりとりすることもあるとか)という人。その本は、19世紀末から、朝鮮では済州島だけにいた海女たちの、半島部と日本への進出が始まり、その人生は他の人生同様、シンセタリョン(身世打鈴)だった、という聞き書き

海を渡った朝鮮人海女 : 房総のチャムスを訪ねて (新宿書房): 1988|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

父娘ともに、特にウィキペディアとかには出ない人。アマゾンや紀伊國屋書店や版元の、本書電子版の内容紹介が検索上位に並びます。

父母と祖父母それぞれ、とにかく苦労で、赤貧芋を洗うが如しで、この苦労はしたことのないものには分からないと言われると、断絶とか、暗くて冷たい川が彼我の間に流れてると、読んで感じる人もいるかもしれません。作者的には、自分も苦労してるが、まだ甘い、だそうです。じゃあそれなら北朝鮮の中高年にみられる、慢性的な栄養失調状態で、発育不良のまま壮年期に至ってしまった世代、階級が理解出来るかというと、それはまた別問題かもしれません。あと、漢文を素読するような系譜もあったとか。

頁148、「まだん」の創刊号が出た後、帰化在日で日本名の戸籍名の大学生が高田馬場の編集部を尋ねてくるくだりまで、わりと漫然と読んでて、ここではっと起きました。のちの芥川賞作家、イヤンジ(李良枝)の描写だったので。イヤンジ、読んだはずで記憶に残ってないのですが、リービ英雄のエッセーに繰り返し登場したので、それで覚えてます。今はなき学部に一期だけ通って中退するその間に、こういう出会いをしてたんだなと。著者と、この季刊誌の、帰化在日へのまなざし。

キムタルスと金石範が芥川直木獲れなかった経緯がどうのと云う声を漏らす人がいることを筆者は冒頭で書いていて、後半イヤンジが出てくるので、ぱっと光がさす感じです。実際にはイファソンが彼女以前に獲ってるし、彼女の後は柳美里玄月あと岡田准一堤真一が戦う映画の原作者。

そしてその後の鍼灸院開設へ至る経緯を、激しく眉をひそめて読みました。まず出だしが、日中国交回復に伴って流入した「驚異的な中国のはり治療」情報と、その前の文革期の、中国では唾棄すべき黒歴史である「はだしの医者」をミックスした講習会を、日本で新左翼諏訪で開いて、実際に施術もしたというくだり。

確かに中国の鍼灸に対する白髪三千丈的な礼賛は、ブラックジャックなんかにも出てくるので、現在からも確認可能なのですが、それと赤脚医生を混ぜるなんて、どうかしてる。映画で描かれた「はだしの医者」のいちばんバカな場面は、張藝謀「生きる」の娘の出産シーンです。出血が止まらず、まともな知識も経験もない現場は無策で、冤罪かなんかの本物の医者を監獄から出して来るのですが、飢えてるので目を盗んだ隙にマントウを貪り食ってのどに詰まらせてこれも役立たずとなる。喜劇と悲劇は同じカードの裏表。

金宙泰さんは、かねてから人民中国を愛読していて、漢薬で「まだん」編集時に陥った体調絶不良を直そうとしながら限界があり、上田と小諸のあいだかな、当時そこでモーテルを共同経営してたので、諏訪なら近いので参加して、これなら自分の健康は自分で管理で、イケる、と思って、自分で自分に鍼を打ち始めたとか。ここから、雑誌編集に向けた執念と同レベルの執念が、すべて自分のからだに鍼を打つという方向性に振り向けられる記述につき合わされ、あれが治ったこれが全快したの自己報告が続きます。なんだこれ。耳のあたりキラキラと数十本の打ち込んだ針を光らせて運転する場面など、この人もやりすぎ病なのねとしか思いませんでした。それが在日社会に向いて体を壊し、東洋医学がそれを救ったと。

勿論これを商売にして他人に施術するには国家資格が必要なので、学校に通い、自分の子供たちも手伝わせる目的で、学校に通わせます。現在では確か日本と中国と韓国の鍼灸はそれぞれ違っていて、鍼の長さも違うし、ツボの位置など、あっちだこっちだと、国際的に侃侃諤諤やりあってるそうですが、金さんが開業したころはそうでもなかったのでしょう。自分に打つのと他人に打つのでは、効果が出るまでだいぶ違い、自分だと一ヶ月三ヶ月で効果が出るのに、他人だと一年三年だったりして、読んでて「そりゃ時が治したのかもね」と思ったりしましたが、まあいいや。忍耐強くびよきとつきあった。悲惨な苦労がこう飛ぶとは思わなかったので、流石バブル期の出版物と思いました。

頁186

 在日二、三世のあいだで共通語のようになっているのは、日本語訛りの慶尚道弁とでもいったものである。これは、在日の多数を慶尚道出身者が占め、民族学校の教師も慶尚道の人が多いという事情からきている。

 さらにいうなら、民族学校で習得した朝鮮語の能力では、教科書や簡単な論文のたぐいは読めても、文学書となると苦しい。会話でも、微妙なニュアンスを相手に伝えるには不十分で、愛を告白するなどはとても無理、と栄さんはいう。(後略)

私は、全羅道出身者や済州道出身者の合計のほうが多いと思ってましたが、そうなんですね。金大中が大統領になった時、複雑だったかな、どうかな。前に知ってる韓国人がお金がないので羽生のセメント工場に出稼ぎに行ったら、自分たち以外ぜんぶ済州島だったと言ってました。いろんなところがある。よく在日ヒストリーの本を読んでると、オモニでなくオンマ、ハルモニでなくハンメと書いてありますが、それが共通語になってるという理解でよいのかな。ちがうかな。

頁186

 金両基さんの奥さんはソウルの出身で、通ってくる栄さんにソウル・マルで話し掛けてくる。かねてから、きちんとした母国語を話せるようになりたいと思っていた栄さんは、自分の発音やイントネーションのおかしいところを指摘して矯正してくれるよう頼んだ。一年間の勉強の甲斐があって、のちに朝鮮民主主義人民共和国を訪問した際、先方の人にこういわれた。

「あなたの言葉はそのまま聞ける」

そんなものでしょうか。よく分かりません。十三億も人がいる大陸の中国語は、多少ヘンでもまーいろいろあるだろうからいいさ、だと思いますが、人口二千万の台湾だと、台湾ふうでない発音にはシビアです。北京の語言で中国語を学んで台湾で翻訳の仕事してる人と台湾人のコーディネーターとのやり取り見て、なんとなくそう思いました。

<これまでに書いたこの人の本の読書感想>

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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『私のなかの朝鮮人』(文春文庫)読了 - Stantsiya_Iriya

以上

【後報】

あと、鶴見のくだり。在日と日本だけに限定して書かれると、おや、鶴見は沖縄のひとも多いので、日本といっても一様ではないよ、この頃はもう既に南米の人もそのツテで来はじめてたんじゃないかな。そうして、多対多の関係として、多角的に描いてもいいのにな、と思います。何もえんえん日本と韓半島の閉じた関係に執着しなくてもと。たとえば、生きるためにマッコリを作って売ったのなら、泡盛売りと競争にならなかったかとか、具体的にあると思うんですよね、描くことが。語り手が語らなかったのか、本田靖春が聞かなかったのか、さて、どちら。

(2019/10/31)