世田谷文学館 小松左京展「D計画」SAKYO KOMATSU 鑑賞

開催中企画展 - 世田谷文学館

"D" means <disaster>. In his novel "Japan Sinks", D-project goes for soft-landing  of Japanese exodus.   

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今月廿二日まででしたので、下高井戸と組み合わせて行ってきました。銭湯も組み合わせれればもっとよかったのですが、夜は中国語があり、その後がいまいましいことに、帰宅してブログを書くという作業があるので、銭湯は行けませんでした。ブログに支配される生活。

Japan Sinks (Dover Doomsday Classics) (English Edition)

Japan Sinks (Dover Doomsday Classics) (English Edition)

 

Japan Sinks - Wikipedia

 で、私は、『日本沈没』読んだことないです。『こちらニッポン…』と『首都消失』はたぶん読んでます。東寺の横をセスナが着陸したり、関東人は圭角があるので、関西のようにまるくおさまらないとか、そんなのを覚えてます。ネットフリックスが来年日本沈没をアニメ化するそうで、今回の展覧会はその支援もあるのかなと思ったり。

小松左京ライブラリ

私にとって小松左京は、処女作『地には平和を』からの人で、この作品は実はここ十年くらいに読んだのですが、村上龍五分後の世界』をその少し前に読んでいたこともあり、大人(たいじん)がもうこんな傑作かいてんねやから、リューズバー気ままにいやな夜大丈夫マイフレンドの人はこんな尻切れトンボの作品書かなくてもよかったのに、と思ったのを覚えています。日夜部屋に閉じこもってシコシコ歴史を改変する作業をする人の描写もよかったですし、浦賀にまず現れた米機動部隊が、岬の突端を艦砲射撃で完全沈黙させ、それが戦斗の狼煙となる場面は、『気分はもう戦争』で、イキナリ張鼓峰に着弾、機械化部隊が抜いてくる場面を連想しました。小説中の米軍の本土上陸作戦は、実際のオリンピック作戦とコロネット作戦に忠実に展開されていたと記憶しています。焦土のうえに焦土。ただこういうのもね、ネトウヨの人が読むと、父親が左前の町工場を放り投げて来ようとするその重圧と、にもかかわらず将来が決められないモラトリアム、貧乏の抑圧が責任転嫁、逃避としてこれを書かせたのかもしれないというふうに分析されるかもしれないです。サイバラのツレの水木しげる評を見て思った。

ja.wikipedia.org

kotobank.jp

 S38年オール讀物7月号掲載の『紙か髪か』を麻生太郎のオジサンであるケニチ先生が讀賣新聞の大衆文學時評前後編でともに褒めていて、あいかわらずヨッパラった文章でしたが、大人はこれがうれしかったらしく、スクラップにきちんと切り抜いてまとめていて(しかし日付がない)私はこの小説読んだ記憶がなく、ハルキ文庫の『日本売ります』に入っているそうで、これから読みますが、またネトウヨの人がおもしろくないタイトルであると思います。

日本売ります (ハルキ文庫)

日本売ります (ハルキ文庫)

 

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41e7Zx0dY7L.jpg 1966年に『果てしなき時の流れの果てに』、否、『果しなき流れの果に』が出てて、これはほんとオールタイムベストワンだと思いますが、年譜にわざわざ、2007年に上海科学普及出版社から中文訳が出たことが明記してあり、これは、たぶん、私も北京の古書市ゾッキ本ワゴンセールでよく、日本沈没の版権ウヤムヤ版を、田宮虎彦短編集なんかと一緒に見た記憶がありますので、それでだと思います。ちゃんと訳したよ、権利関係もごにょごにょしないで、ということで。

无尽长河的尽头_百度百科

1970年の国際SFシンポ日本開催の際は、箕面の自宅を担保に銀行から五百万借りて資金の足しにして、ヨメさんには絶対秘密だったが、後年、バレバレで黙って観察されてたことが分かったと、『小松左京 自伝』引用の表示がありました。

小松左京自伝―実存を求めて

小松左京自伝―実存を求めて

 

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というわけで箕面が自宅なので、窓から富士山は絶対に見えないと思います。サル害からねこを守るのにきゅうきゅうとしてたかもしれない。'90年代にドムドムバーガーがあった街、箕面

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さいきん逝去したしんせきもこんな人だったなーと。猫部屋は撮影可。

ラジオ大阪「題名のない番組」1968.3.oct 米朝+菊地美智子+大人の録音音波が聴けます。でだしでいきなり「しぶとい」という関西弁が飛び出して痛快です。塩分過剰の「どんがらい」「だだからい」は大阪の味。丁稚に食わせるうっすい冷めた粥めしの反動。ただこの番組録音、昭和電工の水銀がどうのと進み、ブツッと切れます。「みずまた」とか、米朝センセイ地名ちゃんと話して卓袱台よ、と思ってるとそうなる。出だしの広瀬中佐の「まだ沈まずや定遠は」の替え歌(大分県からの読者投稿)なんか、この当時の人はみんなそらで全文知ってんだなあ、と思いながら聞きました。

『日本アパッチ族』と『日本三文オペラ』は同じ題材の話なので、開高健とふたり並んだ写真がありました。ともに関西人だし、似たような風貌だし、そりゃね。万博絡みで、梅棹忠夫とのツーショットもあるかしれませんでしたが、ツーショット並べだしたらキリがないでしょうし、それは見ませんでした。ヤン・ソギルも大阪の屑鉄の話書いてたと思いますが、同上。

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書斎机と愛用品  ◯📷 setagayaliterarymuseum

ここも撮影可。

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この、座右の銘みたいなものが、よく読めませんでした。マスコットは、最終日に花をぜんぶ来場者が勝手に強奪しまくった花博の花ずきんちゃんでしょうか。

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反転してみたのですが、二行目のさいしょの字がよく読めず。

80は年輪の数詞 
居未来使命に生きる 
控え目の誇示 砕花

「居」で合ってる気がまるでしません。この雅号は小松左京のか分からず検索したのですが、芦屋の歌人に砕花という人がいるので、その人から何か金言をもらったのかもしれません。

富田砕花 - Wikipedia

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生頼範義が2008年に書いた小松左京宅魔の話は一切ナシ。当たり前か。以 

e-words.jp

以上です。

【後報】

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二行目のことばは「尽未来」だそうです。京都のお寺でこの写真を見せたら、そく分かった。

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80は年輪の数詞 
尽未来使命に生きる 
控え目の誇示 砕花

そういうことだったのか。 

(2020/1/1)