『やっちゃれ、やっちゃれ! ―独立・土佐黒潮共和国』読了

 吉田類が『酒は人の上に人を造らず』で触れた坂東眞砂子を読もうシリーズ。

独立・土佐黒潮共和国 やっちゃれ、やっちゃれ!

独立・土佐黒潮共和国 やっちゃれ、やっちゃれ!

 

 装画 高野謙二 装丁 野中深雪 高知新聞2008年4月5日~11月8日毎週土曜日連載

単行本化にあたって、サブタイトルを「高知独立宣言」から現行に変更し、加筆修正したとの由。高知新聞社刊の下記と大川村特集記事にインスパイアされて執筆したとのこと。

時の方舟 : 高知あすの海図 (高知新聞社): 2004|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

時の方舟―高知あすの海図

時の方舟―高知あすの海図

 

www.nhk.or.jp

作者のウィキペディアの著作一覧に何故か入っていない本。なんでだろ。

坂東眞砂子 - Wikipedia

作中にも高知新聞社は登場し、初代社長は爆弾作りに失敗して片目片腕になったと書かれており(頁223)調べてみると岡本方俊さんという方が初代社長ですが、テロや身体についての記述は見つけられなかったです。板垣退助政治結社機関紙からスタートした地方新聞とのことですが、板垣退助が片目片腕だった気はしないです。大隈重信は片足でしたが。以下後報

【後報】

高知新聞社:企業・採用情報|高知新聞

高知新聞 - Wikipedia

歴史のイフのいちジャンルというのでしょうか、仮想独立ものがあるわけですが、ストーリーより、作者の思い入れの噴出が強すぎたり、架空政体の構築に熱中してしまったり、あるいは一部のアンチからの反発を考えすぎて筆が鈍ったり言い訳が多くなったりで、お話としてはどうなのと云う出来になることがあると考えています。東直己『沈黙の橋』を読んだ時や、沖縄で自費出版に近い地方出版の沖縄独立の本を読んだりして、そう思うようになりました。北海道に関しては、某古書店で以前高値がついていた『幻の北海道共和国』だか『蝦夷国まぼろし』は読んでません。

夏堀正元 - Wikipedia

吉里𠮷里人は読みましたが、まあまじめに政体を構築しようとすると、ここまで書くのかと。で、それに比べて、薩長土肥のさんばんめの高知県が、なんで独立するねや、独立を考えちゅうわけがないきに、とあやしげな土佐弁もどきで考えました。いろんな統計で沖縄と激しく首位争い鍔迫り合いを演じる高知県であっても、なんぼなんでも独立まで争うかや、と。

関係ありませんが、私は司馬遼太郎の竜馬が行くを読んだことがなく(二階堂正弘の『竜馬がイクーッ!』は読んだことあります)高知県に行ったこともなく(一瞬だけ青春18きっぷで降りて、はりまや橋を見た記憶があるのですが、模造記憶かも知れない)土佐弁みたいなものは、だいたい楠みちはる『シャコタン・ブギ』からの知識です。高校生がダンプで土砂を捨てに往復三百キロを何往復かする話(免許のない年下の友人がずっと助手席で眠気覚ましに同乗)とか、よくまあそういう話を入れ込むなと思います。遊び人のコマちゃんのヒモ生活の話が頻発するあたりでうまく見切りをつけて、フェードアウトしたわけですが、その辺も「高知県」という目で改めて見ると、なんともいえないです。なんでそんなことを書いたかというと、本書は「~じゃいか」という語尾を多く使っていて、私もブログでだけよく使うのですが、それが高知弁だと思ったことはいちどもないかったです。高知弁だったのか。

私はこれを、セルジオ越後の物真似で使ってました。そうすると似るじゃいか。セルジオ越後の父親は愛媛らしいので、彼の「~じゃいか」が土佐弁かどうかは分かりません。母親がどこの人かは検索では分かりませんでした。

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ので、土佐人女性の書いた本書で初めて、いきた土佐弁の会話に文章で触れた気持ちです。司馬遼太郎を読まないでよかった。こんなにいきいきしてるものなのか。

話を戻すと、高知と独立はあんまり結びつかないテーマですので、お話は静かに進行します。出だしで高知独立が住民投票で可決されるところから始まるので、その時点で読者はその是非を考慮する機会を失う。失業率や離婚率でしたか、理由になりそうないろんな数値は県民には自明の理なので、特に語られません。尊王攘夷で倒幕の勝ち組だった呑気さからだと思いますが、日本国に対する叛乱であると思ってない。いいじゃん別に、の世界。これが肩の力を抜いて、平静に読むことの出来る原動力になりました。井上ひさしが偏執的に『きりきりじん』で怯えた、文章のアタマ部分から、まず官憲や軍の弾圧鎮圧があるはずという皮膚感覚が欠落してるんですね。なにも起こらない。

山内容堂は国替えでやってきたよそもので、そのよそ者のうわものと、長曾我部残党の下位郷士の二重構造が土佐の幕末の原動力になった、と書いてある部分はあります)

お話でも、誰も何故高知なのかがザッパクでよく分からず、それで静観するという感じになります。微妙なんですけれど、本書執筆時期は、民主党政権期の福島原発前で、ただ、本書では、民主党自民党もともに倒れて、時の政権党は、その中で再編された顔ぶれの党ということになっています。架空の、実在しない党。その与党国会議員が、独立に舵を切った知事を斜めに見る役で登場しますが、この人の肉付けがうまかったと思います。

交付金やなんかがあっても苦しくて、平静の大合併に関しては、地方インフラの衰退など、恨み節もあるわけですが、それが独立でどうなるかというと、さらに貧乏になるわけで、ガソリン高騰、日本からの輸入品はなんもかんも割高で買えなくなる、ただし林業等、安く輸出することになるので、日本の他地方に勝てる一次産業製品生産は活気づく。ただし機械燃料など高騰してるので、節電、自転車移動、冷暖房オフ、都市の若者の農村への移動、と、ポルポトのクメールルージュか文革下放かと思うような施策とその実現描写が続き、それが半ばメルヘンチック、半ば農村部の高齢者の尊厳取り戻し、活性につながるみたいな、絵空事として語られます。医療とか大変なことになりそうなのですが、そこは完全無視でした。その辺の脳天気さも土佐、と言ってしまっていいのか。

頁231、共稼ぎ夫婦が、倒産やらなんやらの収入減で、ダンナの実家の農家に帰って、農業を手伝う場面。田植えや稲刈りでなく、炎天下の草取りで音を上げる描写がリアルでした。除草剤も高騰してるので、手作業の草取りの比重が高くなってるという。ここに出てくる手押しの草取り機というのは、私は知らないです。便利なものなのかな。夫も農業に熱中し、ダンナの実家のパラサイトとしか思ってなかった義姉と義弟が、ともにただのデブでなく、鋼の鎧をまとった肉体労働者であることが分かるくだりがありますが、それはどうかな。農家の行かず後家も引きこもりも、肉体労働のベテランかというと、現実にはゲーオタで体力ないが関の山かもしれません。

で、日本からの干渉があるのかないのかですが、そういう状況下ですので、人口流出はやっぱあるわけですね、それで貧困じり貧で、いずれ独立国は収束して、日本に戻るであろうと。手が打たれるのは、マスコミによる、知事のセクハラ疑惑告発。これで人心収攬のトドメをさすと。よく出来てるな~と思いました。

ところが、そう呑気にも構えてられないというか、日本の治外法権で、現地警察も国家警察としては人員が不足してるわけですので、海からバンバン闇物資密貿易品が流れてきて、中国が高知を国家承認しようかと流れになってくる。本書は中国が日本に気兼ねせず高知を国家承認する理由として、高知県安徽省が姉妹友好関係なので、地方からの北京、党中央への働きかけが功を奏したみたいに書いてますが、そんなまた呑気な。中南海がいち省からの提起で動くわけがないでしょうと。

で、第一部のおわりに大事件、テロ爆死が起こり、第二部の怒濤の展開にもつれ込みます。警察は県警に戻り、テロ首謀者として独立国首脳(元県庁要人)をタイーホして、国政とつながっていた独立国冷や飯組の県庁役人が復帰します。タイーホされたトップを奪還することで、組織中枢を復活させ、同時に無血で好印象ポイントを稼ごうという作戦が発動するのですが、ここで、だいたいこういう小説には元傭兵がつきものなのですが、この小説の元傭兵のかつての戦場がアッサムで、これはうまいと思いました。手垢がついてないので色眼鏡で見られないし、知ってる人にも好印象。

高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』で読んだのを思い出したところです。アッサムの先のナガランドなんかは。

西南シルクロードは密林に消える (講談社文庫)

西南シルクロードは密林に消える (講談社文庫)

 
西南シルクロードは密林に消える (講談社文庫)

西南シルクロードは密林に消える (講談社文庫)

 

 頁277、高知には日本有数の武器製造会社があるそうで、検索しましたが分かりませんでした。

j-town.net

ここで、猟友会なんかが、民兵化しつつあるので、束ねればみたいな描写があるのですが、高齢化をここでも甘く見過ぎてると思いました。と思ったら傭兵も同じことを思ったので、志願者のうち、五十代だけ連れて行って、後期の人は後方支援になります。ここでなくかなり前の記述ですが、禁猟期は日本の法律やきもう関係ないちやみたいな感じで、お年寄りのベテラン猟師が猟銃もってガサゴソ山に入る場面、食糧難で山菜とりなんかにもたくさん人が山に入っているので、危なくないかと、やはり過疎農村の老婆が危惧する場面があり、私は人と鹿を間違えて撃つ話など幼少期に聞いて育ったので、そうだそうだと思いました。

本書に間接的に登場する沖縄県知事が、元DJの設定でしたので、デニーってそんな前から知事だったっけと思いましたが、2018年からなので、本書はその点では未来予知しています。

人口減少とはいえ、若者がその貧乏ヒマなしせいかつに耐えられるわけもないので、サーファーがあれこれする部分もあります。頁263に、そのあれこれも閉塞するので、男たちが乱交パーティを提案して、ひとり女子が乗り気になる場面がありますが、これは女性作家でなければ書けないと思いました。男性が書いたらいかん気がする。乗り気になる女子も猛反発する女子も、県外のひとです。男性はみんな高知。別の箇所に、土佐がこの存亡の危機を精神力で乗り切ろうとするなら、「はちきん」と「いごっそう」しかないが、それじゃ無理だろうみたいな描写もあり、乱交肯定女子の描写と合わせて、作者はこういうことが書ける人なんだなと思いました。

和製ホラーを書く人だと思っていたのですが、こういうものもこれだけ書けるんだなと、感心しました。みだりに弾圧されたりしないし、奪還というアイデアが、ゴーンの後なので新鮮に読めました。以上

(2020/1/23)