『trái cây チャイ・コイ』読了

 読んだのは単行本。ハードカバー。装幀 松田行正 本文組版 平面惑星 ホーチミン市シティにて書き下ろしたんだとか。

チャイ・コイ

チャイ・コイ

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20200109/20200109185136.jpg 吉田類が『酒は人の上に人を造らず』で取り上げた坂東眞砂子の本を読んでいるうち、なんとなく同じハチキンのサイバラの、熟女キャッツアイのかたわれ、しまんここと岩井志麻子の小説も読んだ方が、いいのかなあと思って読んだ本。この人は、大都会岡山出身で、『おめこ電球』という小説を書いたとか書かないとかで知っているだけで、あとはユーチューブで、西村賢太と絡んでいるワイドショーの権利ウヤムヤ動画を見たことがあるくらいです。おめこ電球は知りませんが、岡山や広島では、ラブホの同じ部屋を利用したことがあると、穴兄弟ならぬ「部屋兄弟」と呼ばれると聞いたことがあるのですが、ポピュラーなジャーゴンかどうか知りません。

 私がこの人の作品を読むとなると、『偽偽満洲』(ウェイウェイマンジョウ)になるのではないかと人に思われるのがいやで、それは読みませんでした。自意識過剰もいいところ。『死後結婚』(サーフキョロン)は、ハングル読みらしいのですが、どうも広東語読みと混乱してしまい、それがいやで、それも読みませんでした。蝸牛考的に、朝鮮半島と広東は似たような音が残っている…わけでもないけれど。

チャイ・コイ (中公文庫)

チャイ・コイ (中公文庫)

 

 川島なお美主演で映画化されてるそうで、映画ではタイが舞台だとか。タイトルがベトナム語なのに、タイが舞台とか、その時点でありえないです。おかしいでしょ。日本が舞台のドキュメンタリー映画で「あんにょんキムチ」はありましたが。"trái cây"はベトナム語で、くだものの意味だそうです。ベトナム語の"tr"は、人名だとトラン・ゴクランのトランですけど、トランは陳さんですし、ニャチャンとかこのチャイコイとか、"tr"と書いてチと読むのかな。"Tribeco"という清涼飲料水はチベッコと読んだ気がする。

manueloka.com

アマゾンの本書の数年前のレビューで、その時点まだ作者はこのベトナム人男性に仕送りしてるとあり、それも本書を読もうと思った理由です。ジョン・ローンがバリダンサーを演じた映画の昔から、白人女性の東南アジア青年買いはよくあったことで、バリでもタイでもオージーの巨漢おばはんがまつげぱっちりのマット化という言葉は当時なかったけどみたいな男の子をはべらせたり貢いだりしてるのはよく見かけられ、ことによると、ギロッポンなんかでも、フィリピンから連れてきた男性に身の回りの世話をさせる白人ホステスがいたものです。作者がそういうのを知らないわけがないと思ったので、ベトナムという選択とか、その後の展開とかが知りたいと思ったので、読みました。

ベトナムは東南アジアリゾートとしては後発で、しかもいまだ社会主義国ですが、かつてのベトナム戦争当時のドルまみれ体験の記憶がまだなまなましいですし、そのへんのノウハウがあっという間に対外観光では復活したと思っています。でも本書執筆当時は、ベトナムから大量の技能実習生や看護介護の人材が日本に来る事態なんて想像出来なかったでしょうし、だからベトナムを選んだのに(白人マダムの言いなりにならない青年の国という点でも)、かつての仕送りが今は、息子が日本に行くから相談相手になってあげて、的に深化してたらおもろいと思います。どうかなあ、ないかなあ。

岩井志麻子 - Wikipedia

富岡多恵子も一冊読んだし、付け焼き刃で、女の性欲グラフィティ戦後編とか語れないかなと思いますが、語れません。中村うさぎもそこに入れたい。岩井志麻子は韓国で中村うさぎは香港。

本書に登場するベトナム関連のボキャブラリーはたいがい分かるのですが、バッチャン焼きだけ分からず、金田一少年が、バッチャンの名にかけて何か解決するんだろうかとか思いました。

バッチャン - Wikipedia

ウィキペディアの作者の項目には、さまざまな韓国に関する発言が刻み付けてありますが、本書では、頁76、ニョクマムの味と匂いがしたと書くべきか自問自答し、小説ならウソ書いてもいいが、欲情に関してはウソを書くべきではないとのポリシーから、ニョクマムの味ではないと書いています。そういう作者が韓国人男性の精液について言うのだから、これは信じてもいいのではないか(棒 開高健がもし、輝ける闇とかで、ニョクマムの匂いを、そのような場面で使っていたら、そこへのあてこすりとしても面白いと思ったのですが、覚えてません。

偏見というのは、相手を知らない段階より、接触が濃密になるほうが飛躍的に増大するものらしく、私はそれを、ドイツ人の黒人に関する言説が、ナミビア以前と以後でどう変わったかを例にした本の書評で読んだ気がします。作者もそういうことかもしれません。

作者はベトナム人青年を一貫して「愛人」と書いており、これはやっぱりデュラスへ敬意を表してのことだろうかと思います。作者自身がこの小説では、某編集者の年上の愛人として登場しており、ラマンちゃんです。で、巻頭で献辞が寄せられているこのベトナム人男性、グエンは、ラマンちゃんのオトコ。松本幸四郎

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私の借りた図書館本は、このように鉛筆で幼児の落書きがあり、母親が胸熱で官能小説借りたら、目を離した隙にガキにガーとやられた場面がありありと目に見えるようでした。

以上