『笛ふき天女』(ちくま文庫)読了

 読んだのはちくま文庫。カバーデザイン 横須賀拓 カバーイラスト おぎわら朋弥

笛ふき天女 (ちくま文庫)

笛ふき天女 (ちくま文庫)

 
笛ふき天女

笛ふき天女

 

かなぶんの獅子文六展に行った時、ちくま文庫で発掘された獅子文六再発見の書でも何冊か読んでこましたろと最初思ったのですが、この作家が生涯三度結婚したと知り、しかも二人は死別と云うことだったので、これはリアル妻喰い男ではないかと考え、その最後の妻、ファイナルウィナーには自伝があるということなので、これは読まんならんと読みました。

笛ふき天女 (ちくま文庫)

笛ふき天女 (ちくま文庫)

 
  本を書けと未亡人に進めた阿川弘之の解説もどき「東西東西」(さいしょ、これをトザイトーザイと読めず、漢語のドンシードンシーと読んでしまい、まるで意味がとれませんでした)と、白洲正子が作者について書いたエッセーも併録。阿川弘之はけっこう上から目線で、もっと暴露してもいいのにとか、手製の和歌は出来の面でもアレなので収録されてもなア、とか、好き放題書いてます。
山本周五郎が、本人の書く人情ものとは似ても似つかない、へんくつ居士だったことは有名な話ですが、獅子文六も、ユーモア小説とは似ても似つかないめんどくさいしとだったらしく、そんな人間が自宅を仕事場にして、24時間ずっとにょうぼを監視してる(ようににょうぼは感じる)のですから、前妻と前々妻がとりころさ…否、心労絶えなかったろうなと読んで感じました。
本書はそこまで行く前に、まず、旧藩主のお姫様に生まれ育った本人の追憶から始まります。死別した前の亭主もその世界の人、華族(ただし勤め人)でした。親戚が、たっくさん出るので、最初から覚えるつもりなく読みました。財産を溶かしてしまったかいしょなしの親戚のことはそう書いてるのですが、逆は書いてたかなあ。
頁52から、高麗山の近く、平塚に近い別荘地での幼少期の生活が語られ、面白いです。養鰻池があったとか、地引網や海水浴(泳ぐのは別荘地の上流階級だけなので、地元のフンドシ姿の漁師が日銭目当てで浮き輪を持ってついてきてくれるんだとか)サザエのつぼ焼きを売る屋台は当時もうあったとか。東海道線の踏切にお団子屋があって、現在は湘南平と呼ばれる、千畳敷という場所の湧水のところに草団子の店があったとか。毎日老婆が通って店を開けていたそうで、そんな毎日物見遊山の客が来るでもないによく毎日開いていたものだと作者は回想しています。千畳敷は戦争中は本土決戦用の砲台になり、そのための砂利運びの徴用をした親戚は、60も越えていたのにその重労働をして、さらに近所の住人から、「(華族なので)餌がいいから(体力的に)続くのだ」と陰口を言われていたとか。
頁79に、最初の結婚の時のポートレートがありますが、綺麗です。
最初のだんなとの死別後、東京まで通って働くくだりを読むと、九時五時でぴたっと終われるなら、大磯から丸の内までなんとか通えたのかと思います。サマータイムの記述もあり。
頁171、再婚先の獅子文六邸は、伊藤博文の滄浪閣の向かいの建物を移築したものだったとか。作者は一貫して獅子文六を本名のみよじの「岩田」と呼びます。

頁239

 私達が子供の幼稚園のことがあって東京の赤坂へ越した頃、佐佐木夫人に電話で、

「今度の家はまるで岩田みたいなのですよ」

 と言ったところ、

「どこか曲がっておりますか」

 と聞かれ、唖然としてしまった。私は余りごつくて、壁に当っても痛いような家なので、そう言ったのに、あちらは、岩田の旋毛曲がりをさしておっしゃったのだった。

 阿川弘之の解説にも、獅子文六の方程式が載っていて、文六マイナス勝手イコールゼロ、なんだそうで。そういう男性と再婚して(十八歳の歳の差、作者は三十九歳)、子どもまで授かるのだから、マナット・チャンヨンの『妻喰い男』の男のさいごのセリフを借りるなら、「妻よ、お前の勝ちだ」でしょうか。以上