読んだのは下記、菊地重三郎訳。昭和三十一年七月三十日初版、昭和六十二年四月十五日七十刷改版、平成四年五月三十日八十四刷。カバー装幀 平野甲賀 デザイン 新潮社装幀室 巻末の訳者による解説が実に簡潔で小気味いいです。ヒルトンはいろいろ作品を発表しているが、いまいちで、これは追い詰められて短期間に一気呵成に書いたものだが、そういうほうがいいとのこと。33歳時の作品。云々。
庄野潤三のアメリカ滞在記を読んでいたら、現地に、同名のチップス先生がいて、小説と同じような人だったのだろうと書いていて、それで、未読だと思ったので、読んでみた本です。 新潮文庫は現在、下記の、白石朗訳になってるとか。
ようするに(何が要するになのか分かりませんが)ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』を、DV井上ひさしが、「むずかしいことをやさしく、(略)おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに(略)」リライトしてみた、てな感じでしょうか。イギリスの空はいつも陰鬱なのですが、生き方次第では幾らでも人は明るくなれる。
井上ひさしの言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろい... | レファレンス協同データベース
これを読むまで、マスターキートンのロンドン大空襲のエピソードは、完全に葛飾北☆の創作だと思ってました。へこたれないイギリス人精神の吐露だけだと。こうした小説も踏まえてるんですね。ここでチップス先生(本名チッピング)が、人は何故学ぶのかなんてゴタクを開陳するわけではないのですが、教師として、縷々教え子の戦死に直面してきただけに、態度がおのずと物語ると。着古したガウンのせなか。
ちょっとこの本だったか、正確には覚えてないのですが、明治以降昭和二十年まで、日本も継続して幾多の紛争に身を置いてきたわけですが、世代差はやっぱりあって、平和なのでそれほど徴兵にもとられず、損耗も概して少ない世代はやっぱりあったと。そしてその世代に作家が多いので、後世に明治大正の太平楽なイメージが伝わっていると。世代ごとに輪切りにするとそうなのでしょうが、教職だと、損耗率の夥しい世代の教え子にも接してきたわけで、本書は、お気楽なイギリスの午後の紅茶のふしぶしに、普仏戦争から始まって、ボーア戦争、バルカン紛争、ワールドウォー(第一次世界大戦)という呼称と、激戦地の地名と、教え子の戦死が挿入されます。本書に登場する学校は、兵站を担ったり、一兵卒をサプライするコックニー話者の下町学校でなく、下士官を供給する(二流の)パブリック・スクールだそうなので、下士官はやっぱり消耗率が高いんだな~と。
頁80、「戦時僥倖者まぐれあたり」ということばで先生は自分を表現しています。原文は、"war-time fluke", chapter-14.
頁79
彼は新しい洒落をいくつも作った。---士官養成隊について、食糧配給制度について、また家の窓には残らず取り付けなければならない防空用ブラインドについて。そしてまた、毎週月曜日の学校の食卓に、何とも言えぬ味がする肉入饅頭リソウルみたいなものが現われ始めると、チップスは、我慢出来ないアブホーという意味から、「アブホレンダム」と名をつけた。その話は学校中に広まった---チップスの最新作を知ってるかい? とね。
アブホレンダム(abhorrendum - "meat to be abhorred")という言葉の響きがなんともいいので、引き写しました。チップスはラテン語のせんせいということです。だからそれも彼の浮世離れに輪をかけている(その彼に、男女平等やらの啓蒙思想をもたらした、18歳くらい?年下の妻は出産時こどもといっしょに以下略。18歳という歳の差は、よゐこ濱口とアッキーナの年の差婚とごっちゃにしてるかもしれない。チップス夫妻の年の差は18年じゃないかもしれません)話を戻すと、アブホレンダムということばから、まったく関係ないのですが、大室幹雄『アジアンタム頌 津田左右吉の生と情調』を思い出した。とても良い本です。白鳥庫吉も出ます。
にもかかわらずというか、私は一度だけ現国で偏差値75を叩き出したことがあり、読解力は自信があるほうですが(模造記憶除く)頁60からのラテン語の発音のニュースタイルとじゅうらいの方式のくだりで、キケロとシセーロ、どっちが従来でどっちが新方式かまったく読んで理解出来ませんでした。八十四刷もした本の文章が理解出来ないとは、私は相当バカなんだなと暗澹たる気持ちになりました。
頁60
「ええと、わたしはですな、……あーム……わたしが新しい発音法に賛成しない、それは認めます。絶対に不賛成ですな。あーム……馬鹿々々しくって問題になりませんわ。学校で『キケロ』と言わせておいても、あーム…… 卒業後は仮に口にするとしても、『シセーロ』と言い、『ヴィスィスィム』(順次に)とは言わないで……とんでもない……『ウィー、キスイム』(われわれは彼にキスする)と発音させようとは! あーム……あーム!」
原文は下記から。
http://gutenberg.net.au/ebooks05/0500111h.html
"Well, I—umph—I admit that I don't agree with the new pronunciation. I never did. Umph—a lot of nonsense, in my opinion. Making boys say 'Kickero' at school when— umph—for the rest of their lives they'll say 'Cicero'—if they ever—umph—say it at all. And instead of 'vicissim'— God bless my soul—you'd make them say, 'We kiss 'im'! Umph— umph!"
死せるたましい。
頁62
「そのことなら、……あーム……あなたの前任者であるメルドラム校長が当校ここに赴任されて来た時もなんら変わったことがないのでしてな、あれは、……あーム……三十八年前、一緒に始めたのは、あーム……一八七〇年のことでした。そして、そのメルドラム校長の前任者ウェザビー先生、このひとがわたしの教授要旨を承認してくださった最初のひとで、『四年級にシセーロをやってもらいましょう』とおっしゃいましてな、発音はシセーロで、キケロではありませんでしたわい!」
スマロ。原文は下記。
"For that matter—umph —they are the same as when your predecessor—Mr. Meldrum —came here, and that—umph—was thirty-eight years ago. We began here, Mr. Meldrum and I—in—umph—in 1870. And it was—um—Mr. Meldrum's predecessor, Mr. Wetherby—who first approved my syllabus. 'You'll take the Cicero for the fourth,' he said to me. Cicero, too—not Kickero!"
1870年からシセーロと言われたのにキケロに固執したようにも読める~、わかんない~と思い、最終的にこの問題は、ウィキペディアの映画版の記事で了解しました。
チップス先生さようなら (1939年の映画) - Wikipedia
1909年に着任した校長(ラルストン)はスクールの「近代化」を目指し、古い考えの老教師チップスに退職するよう勧告している。チップスは「シセロ」の発音を「キケロ」に変更する必要性を疑問視し、古い伝統が失われて生徒が機械化されていく現状を危惧していた。
しんせい。わかば。ちなみに、中文では、シセーロの音訳「西塞羅」と書くそうです。
私は、キケロと読むほうがいいじゃいかと思うのですが、孔子を、西洋伝統の、ギリシャの哲学者列伝に取り込んだスペル「コンフュシャス」と書いたり読んだりせず、北京語そのままの「コンズ」と書いたり読んだりしてしまうと、やっぱり古い伝統が失われるようで、いやだと考えます。ダブスタ。
百ページくらいの本なのでさくさく読めました。最近の休憩時間は、くたっとしてることが多いので、もうこれくらいのほんでないと読み切れない。劣化疲労。とほほ。以上