『しらふで生きる』読了

 DTP 美創 装画 金子佳代 ブックデザイン 鈴木成一デザイン室 「小説幻冬」2017年1月号~2019年7月号連載「酒をやめると人間はどうなるか。或る作家の場合」を改題、加筆・修正。

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふで生きる 大酒飲みの決断

  • 作者:町田 康
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 単行本
 

 前にも書きましたが、「飯食うな」から「酒飲むな」への華麗なる転身。図書館リクエストで、何人待ちで到着したか忘れましたが、私の後ろにも十人以上待ってる人がいるようです。 

しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

 

<目次>酒こそ、人生の楽しみ、か?/酒やめますか?人間やめますか?/いずれ死ぬのに、節制など卑怯ではないか/今も続く正気と狂気のせめぎあい/人生は本来楽しいものなのか?苦しいものなのか?/飲酒とは人生の負債である/肉体の暴れを抑制する方法を考える/禁酒会の連帯感で酒はやめられるのか?/酒を飲みたい肉体の暴れは肉体で縛る/嫌酒薬は苦しみだけをもたらす/禁酒宣言で背水の陣だ!/改造された人間になるか?人間を改造するか?/人間改造ができないなら、人格改造、いや認識改造で/認識改造の第一歩は自惚れからの脱却/人間は「自分」のことをまともに判断ができない/私たちに幸福になる権利はない/「私は普通の人間だ」と認識しよう/自分の魂に釣り合う値段を自覚する/「普通、人生は楽しくない」と何度も言おう/「自分は普通以下のアホ」なのだから/「自分はアホ」と思うことの効用/酒をやめると人生の真のよろこびに気づく/とはいえ、自分を低くしすぎて虚無に落ちてはいけない/酒を断った私の精神的変化/断酒に「非常時」はない/禁酒宣言をすべきかどうかの慎重な判断/三か月間、酒を一滴も飲まなかった男の自信/酒なしでご馳走を食べる気にならない/ああ、素晴らしき禁酒の利得/脳髄もええ感じになった/酒を飲んでも飲まなくても人生は寂しい

 読んだんですけど、落ち着いて書かないと、うかつなことは書けないので、後報にします。

【後報】

町蔵は酒はイケる口で、斗酒なおナントカなのですが、「仕事中は飲まない」「仕事中に酒に手を出したらクビになることを承知する」「昼酒は飲まない」などを自分に課して、適正飲酒をこころがけて三十年間休肝日を置かず飲んできたんだそうです(頁9)

ところが何故か断酒を志し、以下、人はどうしたら酒がやめられるかを、一般論として、縷々、ハウツー風に綴っていきます。私は退屈でしたが、どうしたら酒が止められるか、ひとの意見だけ聞きたい人はいいかもしれない。でも、町蔵は、そういう人から、酒がやめられなかったのはおまえのせいだ、とお角ちがいの糾弾をされて、屁の河童の覚悟があるのか、少し不安です。頑張ってくださいね(音無響子:職業未亡人兼大家、談)

いや、どうしたらやめられるか、の前に、何故やめることにしたかを書いてますが、これ、韜晦だろうと思います。悪い結果が出るだろうから一度も健康診断受けてない、のくだりなど読むと、けっこう不安だったんだと分かります。あとは、私がいちばん納得した禁煙の本にあったのと同じで、禁煙禁酒は苦しくて、苦しくて脳がチーズでいっぱいになったようなこころもちがする。その感覚を味わう、ずっと味わい続けるために禁酒禁煙を続ける、というマゾな理由が近いのだろうと。

ほんとに脳がチーズになったようになりますよ。

あと、飲酒による高揚感酩酊は、それを得るための量がどんどん増えてゆき、そのわりに到達するポイントはどんどん低くなる(その後悪酔い二日酔い失見当に反転)そういうもの。だから飲んでもそのうち楽しくなくなって、飲めば飲むほど苦しくなる。だそうで。

で、どうしたらやめられるかで、①禁酒の教義を持つ宗教に入信する②禁酒サークルに入る③嫌酒薬(ママ)を飲む、と矢継ぎ早に作戦を立て、それを一個一個撃破してゆきます。人はそんなことでは酒をやめられない、ざまぁみそらーめん。みたいな。

イスラム教など禁酒教に入る。これは本末転倒で、その宗教に入りたかったから入ったら禁酒という副産物がついてきた、くらいにしとかないとアカンとのこと。禁酒目的で入信して、禁酒以外、そのほかの教理をおろそかにするとか、ありえないでしょと。なんども私は日記で出してますが、英領インド、現パキスタンを代表する作家、マントーなど、印パセパレートもありますが、回教徒であったがゆえに、隠れ飲酒の悦びと罪悪感に一生さいなまれ、それがもとで早くに一生を終えたと言っても過言ではないです。

(同日)

【後報】

mainichi.jp

これ、今知ったのですが、とても見たかったな。十月か十一月に、早稲田の奉仕園でもやったそうですが。

②この人のように酒害とか抜きにただやめたい場合、サークルは玉石混交で、何が正しいのか、酒をやめるのが目的なのに人間の集まりだから人間関係が不随してしまい、人間関係だから人間の負の側面も味わうので、酒やめたいだけなのに人間の深奥になんで直面せなならんの、ということでしょうか。私はその意見に賛同しませんが、ほんとに辟易させられる  があるのも事実です。うわっつらではお題目唱えていても、実は目的がちがうんじゃないかな。

③抗酒剤という言い方は聞きますが、嫌酒薬という言い方は初めて聞きました。これ、本書に書かれる、酒と服用すると心臓バクバクで苦しくなるシアナマイドやノックピン、所謂抗酒剤と、飲酒欲求を減退させる(と言われるが、論文で発表された臨床の数値を聞くと以下略)レグテクト(学術名称はべつ)をまぜこぜにしてないだろうかとも思います。たぶん、さした理由もなしに酒止めたい人に、前者が処方されるわけもないので。なので、中島らもはあまり飲んでなかったらしいと書いてますが、らもはやめる気なかったろうから、そら前者のまない罠。そして彼の生きていた時代にまだ後者はなかった。前者は、私の知ってる関西人は、入院経験なしの通院だけですけど処方されていて、関東の某処では、入院して客観的に断酒が記録される状態を作り出してのち、退院後も処方するというポリシーを聞いたこともあります。よく分からない。

たぶん、町蔵は、カウンセリングや三分診察を受けても、②の紹介だけで終わって、③はなかったんじゃないかな(カウンセリングは処方ないでしょうが)自分の意思と、仲間の助けでやめなはれ、みたいな。町蔵が、④ともなるべき、家族について書いてないのは、②に、家族会とか、マノン・レスコーからレスコー引いて一文字足すみたいのがあるのを踏まえて読んで、象徴的でした。人はつねにひとりと考えているのか。

で、断酒宣言するかしないかとか、自分の意思でやめると覚悟するのかについて、かなりだらだら韜晦で書きます。たぶんこれは、なんとなく分かりますが、ある本で、組織が膨張する過程で現れたとする、かつてほどではない底つき、ソフトな底つきが必要と言っているのではないかと思います。自分は人以上ではなく人並みである、あるいは人並みですらないかもしれない。人間には幸福を追求する権利があり、追い求めるのは自由だが、幸福である権利などというものは誰にも保証されていない。そもそも人生は楽しいものでなく苦しいものである。そこまで吹っ切らないと、やめないよ。と。

本書は二ヶ所中島らもを出していて、野坂昭如との対談と上の嫌酒薬の箇所で、それに対し、吾妻ひでおは一ヶ所も出ません。吾妻ひでおは、集まりというか組織もオルタナなところ(それってどういうところですかと有名どころで聞いたことがあるのですが、ネットで調べなはれと言われました。そりゃ答えない罠)で、しかしカッチリした組織に出ていた時のことはマンガにしていて、そこで、夜風が吹きすさぶ街頭でただ立っている1ページたちきりがあります。町蔵の文章を集約して絵にするとこうなると思う。

そこまで読んで、やっと個人の物語が、公開で語れる範囲で始まります。その前は、頁94、貧者の一は、貧者の一の間違いではないかと思い、検索したら前者しか出ず、久米田康治のまんがで後者讀んだんだけどな、と思いました。

kotobank.jp

個人の物語は、断酒を始めてから◯日でこんなことがあった、◯日でこんな目にあった、が乗り切った、という連続です。言いっ放し。日記に入る前に、組織のところのフォローも兼ねているのか、度を過ぎた謙遜謙虚は人間関係の基礎となる人間の特質を考えると、損であると書いています。だいたいこの連載は、一気呵成に書き上げた物を、適当な分量ずつにブツ切にした感じなのですが、ここは、ちょっと立ち止まって、つけ加えた気がします。どこの集まりにも控え目な人を利用しようとする愚かな人がいるからでしょう。

 頁177、なんで飲んでいた時の習慣が、コンビニ走ってパック酒カップ酒ポケット瓶だったのか分からない。家に酒を置くと、マイルールを守れず、飲み切るとこまで飲むの止めれない、飲まないと決めた時間を守り切れなくなっていたのではないかと勘ぐってしまう。家に酒を置かなければ、買いに行かねば飲めないから。

頁186、断酒三ヶ月達成時に、頭をよぎったのが、聖書の下記の人のウィキペディアの記述だったそうです。町蔵自身はウィキペディア執筆者ではなかったでしょうけれど。

ナジル人 - Wikipedia

נזיר (יהדות) – ויקיפדיה

三ヶ月というのはこの程度のことなので、まあまあクライシスでもあり、それを乗り切って半年を迎えたそうです。で、半年たつと、お腹ぽっこりがシュッとひっこんだそうで、頁192、ネットで禁酒体験記を読むとだいたいそうだと書いています。いやー俺は違ったな、デブった、お酒は高カロリー栄養ゼロなんだから、アテもいらんで酒ばっかやと体重減るのがセオリーやんか、それものぞを嚥下でけへん状態から酒やめて回復すんねやから、体重もとにもどるやろ、太るやろ、という体験記もあるはずなのですが、これは、そこまで行かないでやめる人のほんだと考えました。

頁196、旅先の宴会で山海の珍味に囲まれ、ここで飲まなかったら男じゃない、という危機に陥りますが、運よく?同行者が全員下戸で、「どのように考えても、酒を飲んでよいことなどひとつもない」「私は以前からそう考えている」など連呼、某ナントカのスポンサーも真っ青の先ゆくナントカぶりを見せつけて、彼(町蔵)を危機から救います。運命って、ありますね。ないか。

飲んでる時は自家用車運転してなかったがしらふなので運転出来て、交通費宿泊費(帰れず足腰立たず泊まる)節約出来て翌日もすぐ仕事にかかれてラッキー、でもむなしい、それが人生というくだりで本書は終わります。

町蔵はまんようのヨッパライ大友旅人が好きみたいで、巻頭と巻末に彼の飲酒の歌を書いて、自作の断酒版パロディーまで添えて終えてます。漢詩井伏鱒二の「サヨナラだけが人生だ」を思い出しましたが、あれは、それなら吞め、という歌で、飲んでもサヨナラならのまんでええわ、ワシ、というのが本書のテーマとなる人生だと思います。

本書、じゅうらいの町蔵ファンに加え、やめたい人や家族にそこそこ売れると思います。そこから何が広がるか。以上

(2020/2/24)