『線香の火』(研文選書33)読了

積ん読シリーズ これも最後まで読書感想を書き終えられますように。

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 人の生涯には、数知れぬ人に出会うものだ.お互いに出会いの機会を大事にしようと心がけても,なかなかうまく嚙み合わないものである.いや,嚙み合わないと思っていたものがなが年経ってみれば、ちゃんと嚙み合っていたこともあり,よく嚙み合っていると思っていたものが,はずれてしまうこともあるようである.人間とは不思議な変化をするものだ。  忘れ得ぬ人々という言葉がある.が,実はそのお一人お一人について綾模様が細かくて,一概には言えない.どうしてこうなってしまったのか,わからないまま見送る他はない.スリランカコロンボの宿に泊まったとき,窓の下を何分かおきに列車が通って行く.向って行く方角はすぐ海岸である.どこでどう曲がって行くのか,定かにわからない.いくら目をこらして見ても海の中へ入って行くようにみえた.その詮索をせずに,ぼんやり見ているのは楽しかった.人との出会いはそんなものかもしれない. (本書「あとがき」より)

増井経夫 - Wikipedia

研文選書【30】~【59】 - 中国図書専門 研文出版(神保町 山本書店出版部)

シンプルなマーブリングがイカす表紙ですが、装幀・デザイン者は未記載。あとがきはあります。夫夫の随筆は、学内雑誌や出版社の販促誌、同業者の記念論文集への寄稿など、様々な媒体が初出であろうと思われ、それだと一覧つけるとすっごい煩瑣だろうなと思うわけで、だからか、初出一覧もなし。全28編。

前にこのシリーズの上原淳道『夜郎自大について』感想をはてなダイアリーに書いた気がしてたのですが、検索しても出ませんでした。記憶ちがいか。東洋学の学者さんが書いたエッセーや讀み物を読むのはおもしろいです。それに気づいたのは、『線香の火』にも、お弟子筋として?登場する小倉芳彦論創社版著作選を偶然読んだときです。小倉芳彦著の研文選書3『逆流と順流』も、論創社著作選Ⅲ『吾レ龍門ニ在リ矣』に収められてたような、そうでないような… 

研文選書 - 中国図書専門 研文出版(神保町 山本書店出版部)

吾レ龍門ニ在り矣 | 論創社

顧頡剛の、甘粛省中部の、秦の長城跡(ではないかも)を歩くくだりの、秦嶺山脈のみずみずしい空気など、読んで一発でイカレた記憶があります。高行健『霊山』の秦嶺山脈だと、さすらいの男がジモティーの女といいふいんきになってヤるだけの杣村なので、中国人ってやっぱムッツリスケベだな~としか思わず、こっちを読んで、初めて中和された気分になれるです。

kotobank.jp

もともと湯川秀樹なんかでも言われるように、優れた学者はエッセーの名手でもありますので、もっとこういう本をあいまあいまの手すきの時に読んで人生を送りたいのですが、なかなかです。だいたい学者を知らない。

東洋学の系譜 - 株式会社大修館書店

東洋学の系譜 第2集 - 株式会社大修館書店

東洋学の系譜 欧米篇 - 株式会社大修館書店

さいわい東洋学は、大修館が今はなき雑誌しにかに連載してたのかな?こういう学者サンがいたんだよというアンチョコ(今はチートというのか)みたいな本を出してますので、それを見さらせという感じですが、増井経夫せんせいはそこにはいません。『線香の火』に登場する学者でいうと、塩谷温とか仁井田陞は出ます。

頁197「八十自述」

 仁井田陞にいだのぼる氏がある日、突然「増井君の所へ一度訪ねなければならないと思ってるんだ」といった。「どうしてだい」ときくと、「僕たちは友人の家を訪ねることをしない。初めて訪ねるのはきっと告別式の日なんだ」という。なるほどその通りで、仁井田氏は何度か経験して、ふとそんなことをいったのだろう。

あと、服部宇之吉が出るのですが、これがやっかいで、ウノキチ先生の末の娘さんが、退職後朝日カルチャーセンターで週一回講義する経夫センセイに、服部繁子夫人が和紙に毛筆で記したという『密使』なる冊子をさしいれ、それがまるまる登場します。『張徳成』という一篇。義和団と書いてボクサー・リベリオンと書く、柴中佐のあの風雲の55日間の秘史零れ話で、経夫センセイは、これなら後世に残してもいいよとウノキチ先生が考えて残した野史なのだろうとしているのですが、それは買い被りで、いかにも講談調の文章なので、面白い講談を、昔の人だから肉筆コピーしただけなんじゃいのと私は思います。というか、私は、セイタイゴウ(一発変換で何故か出ない)の分かりやすく手軽で面白い伝記の決定版は加藤徹西太后』(中公新書)だと思ってるのですが、そっちだと、西太后はバーグオリエンジュィン、八国連軍の進撃の際は西安に逃げていて、西安から帰ってくる際は、当時西洋からもたらされたばっかの最新技術、デンキを使った電飾ピカピカのお召し列車で戻ったことになっており、その絵が目を閉じると瞼にすぐ浮かぶくらいビジュアル的にイイ感じなのですが、『線香の火』当該部分では西太后北京籠城説をとっていて、64歳なのに乱入した米軍兵士に凌辱され(陸羯南の詩にそういうのがあるとか)、清國は米軍に抗議し、米軍は非を認め、義和団事件の賠償請求を放棄したんだそうで、その通訳にあたったのがウノキチ先生だという(爾後三十年外交機密を保持することを誓約)

カンゴ・ロンゴ著書の電飾火車のイメージを大切にしたかったので、それで、一時、読むのが止まってしまいました。実は今でも西安逃亡説をとりたいです。ツネオ先生やウノキチ先生には悪いけど。

 この『張徳成』の講談調の漢字が、ルビが振ってあるものはさして考えずそのまま読むのですが、(例:燥いらだち、席むしろ、莞爾にっこり、為得したり、斗ばかり、意外おもいのほか、不意はからず、驕陽ひのひかり、清国しなの北京みやこ清人しなじん、清語しなご、乃公おれ)頻出語で最初だけルビが振ってあるのがあとあと読めず、「恠し気」など、「いぶかしげ」と読んでしまい、そうすると「恠し気なる清人」の意味が追えなくなってしまい、ページをぱらぱらめくってもどして、「恠あやしむ」を見つけ、やっと得心するなどしました。「扨も扨も」はルビが全然見つけられず、「匁もんめ」に似た字なので、「もっとももっとも」などと読んでましたが、いま、IMEパッドで字を出すと、「さて」という読みが出ましたので、「さてもさても」であったかと納得しました。

題名の『線香の火』は、ツネオサンに中国語会話を教えた高田集蔵という人(テキストは孟子!)が、クリスチャンなので、徴兵で大陸に行ってた時も消灯後寝袋の中で線香の火で聖書を読んでいた、というエピソードから来ています。

高田 集蔵(タカタ シュウゾウ)とは - コトバンク

クリスチャンはもう一人登場します。1900年に布教のため中国上陸して、以来ずっと中国に住んで現地に同化してしまったアメリカ人。"天国近了应来悔改"と書いた旗を持って北京を歩いてたそうです。実はこの手の、「中国に同化してしまった元宣教師の白人」のフォークロアはけっこう聞く話で、前世紀末でも、どこそこの田舎で人民服で煙管くわえた白人のじいさんがわざわざ見送りにきてくれたよ、おまけにテープをひろってね、女の子みたいにさ、といった話はよく聞きました。今でもあるにちがいない。

胡適はこてきと読むのが一般的だと思いますが、頁62「こせき」とルビを振っています。

広東のものにはときどき広東語でルビを振っていて、頁75、広東十三行サプサンホン、華塔ワタップ、光塔カンタップ、などがそれです。十三行広東語で読むの初めて見た。頁12、蛋民の若い娘が花艇に乗って「ハイガマイ」と呼びながら客引きする場面がありますが、係唔埋とでも書くのか。意味不明ですが。

ああダメだった。以下後報。