『あら皮 ―欲望の哲学』"La Peau de chagrin" (バルザック「人間喜劇」セレクション 第10巻)Balzac: Les Chefs-d'œuvre de La Comédie bumaine バルザック生誕200年記念出版 読了

髙村薫『地を這う虫』で、避難入院の与党大物代議士が、こんな時でもないと読めないからと病室に持ってこさせる本の一冊。古いタイプの派閥領袖のイメージ。金丸信とか、今だと先ごろ82歳の誕生パーテーをした和歌山の二階ラウヒンサンとか。野中広務は違いましょう。装幀 毛利一枝

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La piel de zapa - Wikipedia, la enciclopedia libre

岩波文庫コレットシェリ』の時も思いましたが、表紙以降ふんだんに使われているイラストが、どこのナニ版の原書から持ってきたのか書いてないので、なーんか、気になります。作中に登場する建物を書き込んだ1830年当時のパリ地図と、終盤死んじゃう予定の主人公が湯治に訪れる療養地が書かれたフランスとその周辺国地図についても、これは新規作成で載ってるのでしょうが、作成者の名前がない。後者は、現在の国境と1830年当時の国境の差分がムニャムニャのサボアが入ってますので、そこをこういうふうに処理すますた、という責任元の意味でも、作成者名要ると思います。藤原書店、ふしぎ。

Google マップ

サヴォワ - Wikipedia

 巻末に訳者解説と参考資料三点。(1)本文に登場する馬車の種類。四輪がクーペとカレーシュで、二輪がティルビュリー。(2)長さの単位。英語のフィートに相当するフランスの古い長さの単位「ピエ」革命とナポレオンでメートルになったと思ってましたが、それは模造記憶だったのか。あるいは明治以降も日本の職人が尺貫法を使い続けてきたみたく、へんくつフランス人ガンコだから変えなかったのか。(3)19世紀の換算レート。イラストレーターや地図作成者の情報に比べて、これ、必要なじょうほうかなあと思ってしまうのは私が無知なせいです。馬車の繪がありますが、これもどっから持ってきたのかナゾ。藤原書店しっかりしてくれ。ブルデューの翻訳してる出版社がこんなことでインカ帝国

巻末に下記ふたりの対談があり、そのうちの一人、植島啓司は相当いい加減だなあと思ったので、彼が責任編集だからイラストや地図作成者の名前がないんだろうと思ったのですが、彼は責任編集ではなかった。責任編集は鹿島茂山田登世子、大矢タカヤス。

山田登世子 - Wikipedia

植島啓司 - Wikipedia

すごくもてそうなオッサンというかおじいさんと思いました。土下座しなくても若い子がやらしてくれそう。ああ、またゲスなことを書いた。土下座したらやらしてくれる女性なんてファンタジーで、だいたい女の子のPTSDになると痛快布マスク新聞に書いてありました。同感です…

uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp

植島啓司 妻」で検索すると、上記の画像がバンバン出るので、この人が奥さんかと思ってしまいました。幼な妻。もちろんちがいます。

www.gentosha.jp

その次に画像が多く出るのが上記。なんかこれだと、赤塚不二夫の先妻と後妻が仲よしみたいな感じ。あら皮と関係ないことをたくさん書きましたが、このバルザック出世作は、いわば、19世紀ヨーロッパに於ける、話止まらない病の人が情報だだ漏れで書き続けた文のようなので、こんなんでいいんじゃいかと。

肉料理 荒川 - 京都河原町/焼肉 [食べログ]

あらかわというと、上記の、ぽんと町というか、ひさうちみちおのエッセーに出てくるくらい古い花嫁御寮だか花嫁学校だかという風俗店の近くの肉料理店を思い出しますが、それは別の話。はてなブログのレストラン紹介機能を使ってみようと思ったのですが、電話番号がバーンと出るのでやめました。電話番号は自分で調べるもの。広告でもないのに電話番号を載せる必要はなし。

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リナックス系OSのひとつ、フェドラは、絶対このツンデレヒロイン名から来てると思います。男を翻弄する。

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https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/34/Fedora_29_Desktop.jpg/450px-Fedora_29_Desktop.jpg

Fedora - Wikipedia

話止まらない病の作者の小説はこれが出世作で、それまではあんまし鳴かず飛ばずだったそうで、この話は、

①後年の猿の手と同じモチーフの怪奇ものとして面白いこと。(本編がだらだら長いので気付きませんでしたが、児童向けダイジェストとして読んだことのある人は多いと思う)

②賭博要素があること。

③ふたりの対照的魅力的女性を配したこと。

があったからだと思います。

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もうひとりのヒロイン、ポーリーヌ。この素直な彼女が、素直なまま持参金たんまりな金持ちになったらなあ、というアホな読者の願望をそのまま満たします。しかも主人公への恋心は以下略で。

邦訳に関しては、先行する1973年の全集版を大いに参考したと訳者あとがきにあり、頁87に「支那人」とか「支那の果物」とあるなど、全集の邦文をそのまま持ってきた部分もあるんじゃないの、あるいは、シノワというフランス語の原音感覚へのリスペクトなのか、等々思いました。頁191、「ブッフォン座」というかつてのイタリア代表、アズーリゴールキーパーみたいな名称が出て、後ろのほうには、「ビュッフォン座」というのが出るので、複数の下訳者で整合とれなかった例だったらおもろいなと思いました。

で、アラビア語を打ち込もうとして果たせず、読書感想をあげるのがのびのびになったのが下記です。あら皮に書いてある文字。「サンスクリット」と書いてあるのですが、どう見てもアラビア文字

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ウィキペディアでも話題になったのですが、アラビア語をそのまま打ち込んでくれる奇特な人がひとりもいない。さいごの単語は「アーメン」らしいので、アラビア語を解し、かつキリスト教徒でないとその気にならないのか。また、古文の用法が多いとか。

Wikipedia talk:WikiProject Writing systems/Archive 5 - Wikipedia

なんでバルザックアラビア語を「サンスクリット」と書いてるのかの考察は下記論文を読んで腑に落ちました。長年文通して、晩年結婚した女性の紹介でやってきた胡散臭い知識人が文字にしてくれたので、これサンスクリットじゃないじゃん、と直球で云うのがはばかられたと。

名大2016年度博士号取得論文「バルザックLa Peau de chagrin (『あら皮』) : 幻想に隠された広大な構想」吉野内美恵子

https://www.jstage.jst.go.jp/article/basllfc/40/0/40_25/_pdf/-char/ja

やっと感想あげられます。とりいそぎ、以上

【後報】

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バルザック「人間喜劇」セレクションに期待する  五木寛之   明治以来、私たちは長年外国の文物に親しんできたが、ある意味できわめて偏った理解のしかたを疑うことなく受入れてきたのではないか、と最近しきりに感ずるようになった。  文芸の世界においてもそうである。ドストエフスキーを読みながら思わず吹きだすような自由な読み方を、私たちは最近になってようやく知り始めたのである。バルザックもまた、そうであるにちがいない。今回の「人間喜劇」の選集は、そんな私たちの目から鱗をとっぱらってくれるだけでなく、固定したバルザック像を木っ端みじんに打ち砕いて、自由で若々しいバルザック世界をかいま見せてくれるだろう。さあ、お楽しみはこれからだ。   村上 龍   バルザックのすごいところは「徹底的に書き尽した」ということではないだろうか。   伝記の類を読むと、バルザックの貪欲で旺盛で精力的で超人的とも言える執筆時間とその原稿の量に驚かされる。驚くと同時に、愉快な気分になる。うだうだ言っていないで書けばいいじゃないか、どんどん書けばいいんだよ、バルザックはいつもそういった励ましのようなものを感じる。   まさに作家本人が芳醇な「人間喜劇」を生きた人だった。

(2020/6/14)