https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001835480-00
1979年集英社より単行本刊行。カバーデザイン=秋山法子 解説:宗肖之介
ほんとは昨日、ユギオにあげてやろうと思ってた本ですが、25日がユギオであることを忘れていて、別の本をあげました。でも四方田犬彦の韓国本だったので、却ってよかったかも。あまり奇をてらうと、策士策に溺れる。
私は麗羅は、京都時代に知った作家で、某区の図書館に、『英霊の身代金』とか『桜子は帰ってきたか』とか『倒産回路』とか『死者の棺を揺り動かすな』なんかが並んでいて、それを暇な時に借りて読んで、変わったテーマで小説を書く人もいるものだと思ったです。桜子なんか、確かモン族の、アメリカが仕込んだベトナム反共部隊隊員が主人公で、桜子という邦人女性を命に代えても守ろうと愚直に戦うが悪の方が強いので守れないとか、そんな小説だったはず。それを在日韓国人作家が書くのかと。「ラ」行で始まる名前の邦人作家は少ないので、開架式の棚をあるってると目につくという構図です。
今ウィキペディアを読むまで、麗羅という筆名は、わりとスカした無国籍ネームだと思っていて、チャーとかムラサキフォーエバーとかジョニー大倉とか伊集院静の系譜だと思っていましたが(だいたい世代的に、クラプトンからとったかと思ってしまう)、高句麗と新羅からとった名前だそうで、著者の書いたものを探せば、「くだら(百済)ないという洒落じゃないデスヨ、狂言は野村萬斎、ペクチェはひゃくさい」とか、みまなとか、そういう記述が見つかるかもしれません。0.0001%くらいの確率で。刀伊の入寇(といのにゅーこー)は一発変換おk。
それでまあ、ヤン・ソギルとか玄月より前に在日コリアンとしてエンターテイメント小説を書いていたのが珍しくて、ジュンブンのイファソンとかキmソkポmとか読んでもツマラナイと当時思っていたのでこの人を読んだですが、ある時新古書店で買ったこの人の『ものがたり人物韓国史』(徳間文庫)下巻で許蘭雪軒という女流詩人の漢詩を知り、物凄く痺れまして、麗羅という人はこの詩人を韓国人として平易な日本語で日本の読者に紹介した、という事例だけで後世に残る仕事したと思いました。「きょらん」という日本語読みの響きが、チベット語のラサ語の会話集のいっとう最初にならう「キョランコランリビンネーイン」と似てる点や、許永中のホ氏なのに私はずっと「許蘭」ホナンという復姓(諸葛や司馬や皇甫のような漢字二文字の姓)と思い込んでいたことや、宮廷女官大長今も女医になってさいご、女性に学問が許されない韓国の旧弊に弾圧されかけて明に逃亡したことを連想させるように、〈许兰雪轩〉もまた、姑やら夫やらにいびられ続けて不遇の人生で、死後、明の人に遺作の漢詩を発見されて明でおおいに評価を得た人です、とか、この件は毎度脊髄反射で同じことを書いてしまう。
この本は日本の古本屋でも当時見つからず、たまたま深夜ほっつきあるってた、明治通りの、目白から池袋のところの古書店で買ったです。ちゃんとした古書店でパラフィン紙にくるまれた古書。でもこんな値段。店員さんに、酔ってたので「こんな値段でインカ帝国」と問いかけた思い出があります。いやまあ文庫なんでみたいな答えだったかな。今でもあるといいですけど、その古書店。鬼子母神とか、雑司が谷とか、そういうくだりももう歩かないので。つげ義春のゲンセンカン主人を石井照男が撮ったオムニバス映画の池袋百点会の話で、杉作J太郎が鬼子母神の墓地を歩く場面があった気がします。
そういうわけで、私の記憶がいちばんない時代に買った本なので、買っただけで満足してしまったのか、読んだはずなのに中身がさっぱり思い出せないです。あるいは、タイトルがあまりに飛び道具過ぎて、名前負けだと思ったのか。以上