『体験的朝鮮戦争』(徳間文庫)再読

体験的朝鮮戦争 (徳間書店): 1992|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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 一九五〇年六月に勃発した朝鮮戦争は、北緯三八度線線を挟んで、同じ民族が憎悪をむき出しに殺戮を繰り広げ、今もなお終結していない。「わが民族は南も北もあれだけ膨大な犠牲を払いながら、戦争の教訓がまったく活かされていない。書き進むにつれ、新たな怒りを押さえることができなかった」(あとがき)  血で刻む民族の悲劇を「生涯の宿題」としてきた著者の入魂の書下し問題作。

カギカッコとじるをつければ、そこで文章が終わることは自明なので、カギかっこをつけるその前にわざわざ句点を打つ必要はない、重複過剰である、という文法が生きていた時代のカバー後ろの概説文章。文選工の工数を減らすための方便だったと思います。今はデジタル化が進んだので、「~押さえることができなかった。」と書く人のが多いと思います。

カバーデザイン=池田雄一 まえがきあとがき関連年表参考文献はあるのですが、解説はナシ。インターネット後はあっという間に韓国視座の朝鮮戦争論があふれましたが、その前の時代なので、解説の引き受け手がいなかったのか、どうか。文庫書き下ろしですが、2002年だかに晩声社という出版社から再版されているそうです。ただ、そっちは、売らんかなの副題「戦禍に飛び込んだ在日作家の従軍記」がついてるので、目が曇りそう。作家になったのは70年代になってからの話だし、従軍というか、英語ペラペラの通訳だったわけだし、その前に既に府中の米軍関連クラブでマネージャーとして働いていて、まー石原都知事が呼ぶ三国人。。。という感じなわけだし。

そういうわけでブッコフで¥350で買いました。歴史考証としてなら、今はもっと新史料や新解釈もあるだろうので、本書は作者の自伝箇所を拾い読みするほうがよいと思います。ソ連崩壊後韓国とロシアが交流開始したので、さっそく作者も1990年にモスクワに行ってレーニン廟見て、金日成も冷凍保存されるだろうと思ったとか(外れました)(いや、記憶ちがいで、当たりました。しかも二代目も)

本書の金日成の写真は若いです。その写真見ると、正雲はおじいさんに似てると思いますし、あの髪形もオマージュなんだと再確認。作者的には、縮地将軍金日成は1930年代に抗日ゲリラ戦に活躍していた人物なので、金聖柱はそれからするといかにも若すぎて、まーやっぱ当て馬というか、ソ連的に誰を金日成にするかで、候補から選ばれた人物だが、それだけで終わらない巨魁だったことはその後の政権掌握と粛清の歴史を見ればよく分かるということです。戦争前に、国共内戦が終わった中国から、東北野戦連軍の精鋭朝鮮人部隊、方虎山麾下の第166師団と金昌徳指揮下の164師団をゴッソリ朝鮮に編入させたが(ソ連麾下でスターリングラード攻防戦などにも参加したカレイツイ部隊も入れると三万五千人)、戦争でぜんぶ使い切って、しかも中国人民解放軍まで援朝抗美義勇軍としてバンバン使って毛沢東の息子も戦死させ、それでも八路から合流した別の人物などに寝首をかかれたり政権奪取されなかったわけなので。

作者がどこまで自分に正直に本書を書いたか分かりませんが、正直に書いたと仮定して読まないとツライところもあります。右顧左眄。戦前内地に来て徴兵されて皇国民として忠誠を誓った自分を光復後どう咀嚼するかで韓国では「南労党」の地下党員として働くわけですが、日本帰りなのに北帰りと偽っていたそうで、それが自分でやったことなのか上からの指示なのか読み忘れましたが、党からもそういうことでうわべだけで真の指示系統からは外されていて、地元の官憲に捕まって「スターリン病治療」と称する拷問を受けながら、自分がオルグした農民ひとりひとりが拷問を受けながら自分を指さし「あいつのせいだ、あいつが今よりいいくらしが出来るというから入ったんだ」と告発するのを聞くのに心が折れ、日本に密航。周囲のコリアンコミューンが全員総連なのに、頼った係累だけが彼同様民団で、孤立。府中で働いたり朝鮮に稼ぎに行ったりする傍ら、オルグに来たかつての友人と論争し、

頁207

(略)こんな形の理論闘争は互いの間に理解をもたらすよりも、敵意を助長させることのほうが多いことだ」

「…………」

「生命の安全が保証されている日本で革命ごっこをしていて、そんな自分を愛国者だと思って自己満足しているのは精神的なマスターベーションに過ぎない」

同じことは邱永漢も日本の左翼学生に言ってますが、作者の場合、その後の帰還船運動の末路を聞いて、この時の発言をどう思い返したか。この時の論争相手はこれで引き下がらず、地域の構成員老若男女で作者が身を寄せている親族の家を取り囲んで「反動分子を打倒せよ」とシュプレヒコールしたんだそうです。「焼肉ドラゴン」にもそういう内部のイザコザ場面があれば観たんですが、あったんだかどうなんだか。それで、じゃあ韓国よりの青年はどうしてたんだ、という話で、頁328、のべ六百名くらいの在日青年が米軍と韓国軍に入って北傀と戦って、彼ら同士だと日本語で話していて、それを針小棒大に、南朝鮮軍の背後には日本軍人がいる、と中共は吹き込まれたので、豊臣秀吉じゃないけれど、半島抜かれてまた北京に迫られたらかなん、と中国の協力を引き出す材料のひとつになったとかならないとか。作者は、日本の協力作業は、(そんな台湾のパイタンみたいなたいそうなものではなく)掃海などの非軍事に限定されてたと同じページで書いていて、これは、宮崎吾朗第二回監督作品「コクリコ坂から」にも、そういう出崎流止め絵の場面がありました。

正直、在日コリアンのオーラルヒストリーとして、心に残るのは、本書より、コサミョンの『生きることの意味』その息子さんの『ぼくは12歳』奥さんの『白い道を行く旅』三部作です。上述の議論なんか、じゃあどうやって生きたらいいの? というところで、コサミョンみたいにひたすら歎異抄という分かりやすい生き方をしないと世間に分かってもらえないのか、という気もします。今検索したら、コサミョン、同姓同名の若い人がいるのか。驚きました。以上