『漱石詩注』(岩波新書E37)再読

これまた苦し紛れ。吉川幸次郎の著書の中で、最も読み易いと私が太鼓判を押します。

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002223643-00

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何処で買ったか覚えませんが、1993年の第12刷を古書で買ったみたいです。

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'94. 4. 15. ・無病会にて知る ・大志麻氏が捨ててくださった ・シルバーにて受け取る

カバー折を開くと、こんなメモ書きがありました。それがどういう経緯でか、私のところに来たんですね。

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孤客入石門図

最初にツルツル紙で図版が印刷してあります。本書は最初岩波新書、今世紀に入ってから岩波文庫になったみたいで、岩波公式には両方載ってます。

1967年の新書の版元公式

https://www.iwanami.co.jp/book/b267333.html

内容紹介(句読点のスタイル以外はカバー折と同じ)

漢詩は,先生にとって余業であった.しかし小説とおなじく,先生の思想の表現であった――と著者は語っている.本書は明治二十二年の学生時代の詩から,十数日後の死を予感する大正五年十一月二十日夜の,七言律詩にいたる漱石全詩のうち,数篇を除く二百篇に注釈を加え,その思想遍歴の跡をみごとに描き出す.

2002年に文庫化した際の版元公式

https://www.iwanami.co.jp/book/b246146.html

内容紹介(句読点のスタイル以外は表紙の文章と同じ)

漢詩が,殊に簡潔で締まった句が好きだ,といっていた漱石は,みずからも折々に漢詩を書き,『明暗』執筆のなかばからの100日間は,それを日課とした.漢詩は小説と同じく漱石の思想の表現である,と評した中国文学者が,学生時代から死の直前までに作られたうち160首に丹念な注釈を加え,その思想遍歴の跡を描き出す.

 句読点のスタイルというのは、紙版の「。」「、」が、ウェブでは「.」「,」に変わっています、ということ。新書では二百首弱収められていたのに、文庫では百六十と、四十首も減っていて、たぶん文庫を開けば解説かなんかのところに、さらっと理由が書いてあると思いますが、べつだん、マズい詩があるようには思いませんでした。文庫は解説を一海知義せんせぇが書いてることを、粗い画像を目を凝らして見て確認しました。四十首をとるか、解説をとるか。「両方買えばいいじゃない」

一海知義 - Wikipedia

ウィキペディアの一海せんせぇの項目は、わりと最初に「九条の会賛同者」とあり、それで検索結果上位に藤原書店公式が来るのもまたおかしです。

www.fujiwara-shoten.co.jp

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無題ばっかし。ドトウのように無題。旅館の廊下をマッパで毛沢東主義者と徒競走したことで知られる斯界の権威、吉川幸次郎せんせぇの日本漢詩に関する持論と、漱石漢詩に関する解説は「序」にぜんぶ書いてあって、要するに日本人の漢詩は、古今和歌集とかの時代に既にしてその影響を受けてか、「思索」でなく「感情」を書いてしまっているので、おもしぐない。「懐風藻」のような奈良時代のもおもしぐないし、最も日本で漢詩が盛んだった江戸時代のもおもしぐない。漢学者や儒者が書いていて、彼らの漢文は面白いのだが、漢詩になった途端ツマラナイ。唯一、足利時代に京の銭貸し僧侶が書いた五山文学の漢詩は面白い。で、漱石夏目金次郎クンの漢詩も、同じくらいおもしろい。例外的に面白い。「思索」を書いているので面白い。ということらしいです。

頁179 無題 十月六日 無題

非耶非佛又非儒 耶に非あらず仏ぶつに非あらず又た儒じゅに非あら

窮巷賣文聊自娯 窮巷きゅうこうに文ぶんを売りて聊いささか自ずから娯たのしむ

採擷何香過藝苑 何なんの香を採擷さいけつして芸苑げいえんを過ぎし

徘徊幾碧在詩蕪 幾碧いくへきに徘徊はいかいして詩蕪しぶに在

焚書灰裏書知活 焚書ふんしょの灰裏かいり 書しょは活くるを知

無法界中法解蘇 無法界中むほうかいちゅう 法ほうは蘇よみがえるを解かい

打殺神人亡影處 神人しんじんを打殺ださつして影かげき処ところ

虚空歴歴現賢愚 虚空こくう歴歴れきれきとして賢愚けんぐを現げん

連作七言律詩の第四十九首。◯耶―ヤソ教徒。◯仏―仏教徒。◯儒―儒者。◯窮巷―袋小路。うら路地。◯採擷の句―おれはどういうにおい草をつみとって文芸の畑をとおりすぎたか。◯徘徊の句―また詩の草むらではどれだけの碧なるもののあたりをさまよったか。上の句ととも、文学者としての経歴の回顧であり、何香、幾碧、いずれもややむりな字面であるが、西欧的な文学の方法を比喩するごとく感ぜられる。詩蕪の蕪は、平蕪の蕪。平野。◯焚書―周知のように、秦の始皇がかつてした行為。◯灰裏―灰の中。書物は焚書の灰の中でこそ復活する。◯解蘇―解は詩語としては能と同義。蘇はよみがえる。法の無い世界とは、宗教のない世界をいおうが、そこでこそ宗教の蘇生は可能である。だから次の最期の聯がある。◯神人―二字つづけて読むならば、「荘子」の「藐姑射はこやの山に神人有り」は、超自然の人物。それとも神と人との意か。◯亡―無と同字。◯歴歴ーありありと。

 こんな感じ。これが胃カタルだかなんかで呻吟してた人の文章かと。でも私は漱石吾輩は猫であると坊ちゃんしか読んだことないので(あと夢十夜)暗夜行路とか草枕とか彼岸過ぎまでとか三四郎とかぜんぶ読んだ人なら、ウンウンとうなづくのかもしれません。漢詩というツールは、とりあえず稀有壮大に書けばよいのかな、という。上の文章は、本に載ってる、「採」とか「灰」の𦾔字がIMEで出ないので、今の字にしてます。しかし打ち殺すをダサツを読ませるとか、だいぶ乱暴な読み下しとも思いました。サイケツとかイクヘキとかシブとかなんだよ、と、冷静に読み返すと思う。漢字に酔わされて惑っている自分。

漱石せんせぇの漢詩の平仄は、おおむね合っているそうで、それもスゲエと思いますが、それも日本漢詩ではわりと例外的というか、この後のWWⅡの軍人漢詩は特にヒドいそうで、それで吉川幸次郎は、わざわざ、金次郎ちゃんが広瀬武夫漢詩をDisってたことを書き留めています。頁5。

上の句にも、佩文韻府とかに載ってないような、自作の単語が混ざってそうとのことでしたが、そういうので、吉川幸次郎せんせぇは、分からないものは分からないと率直に書いています。

頁197 無題 十月二十一日 無題

吾失天時併失愚 吾れ天てんを失うしなう時とき 併あわせて愚を失うしな

吾今會道道離吾 吾れ今いま 道みちと会うて 道みちれを離はな

人間忽盡聰明死 人間にんげん 忽たちまち尽くす 聡明そうめいの死

魔界猶存正義臞 魔界まかいお存そんす 正義せいぎの臞

(以下略)

連作七言律詩の第六十一首。◯首二句―よくつかめぬ。会道の二字の訳は、ことに不たしかである。◯忽尽聡明死―聡明なる人物が、聡明なるがゆえに招いた死が、普遍な現象として生起する意であろうか。◯正義臞―正義を守るがゆえに痩せた人。隠者を「山沢の臞」というのを転用しての造語か。(以下略)

 「会道」もデカい話ですが、「人間」をじんかんと読んでないのも賭けだと思います。なんというか、日本語の用法での漢字の使用が多いと、漢語のようで漢語でない、「和習」のもとになると幸次郎せんせぇは書いています。この「和習」は、ウィキペディアコトバンクなど、いろんなところで「和臭」「倭臭」など同音の言い換えが併記されてるのですが、いずれも、日本の音読みでしかそのように(同音では)言い換え出来ませんので、どうもこれは、中国人が言ったのではなく、中国人気取りの日本漢学者が言ってるんじゃないのかなあ、と思います。

和習 - Wikipedia

言い出しっぺにしてからが日本人の荻生徂徠だし。中国では鎖国期の日本漢詩、日本漢文の存在は、ロクに知られてなかったかも。ピンインだと〈習〉は"xi"、シー。〈臭〉は"chou"、チョウ、ツォウ。〈和〉が"he"、ヘーとかフーとかハーとかどれにも当てはまらない音で、〈倭〉は"wo"、ウォー。

頁4、若き日の箱根登山の時の句に、箱根の山を「函嶺」と書いたり、小田原の市街を「田城」と書いたり、相模の国に入って「入相」それを書き直して「來相」にしたりしえるところで、幸次郎せんせぇは、こういうのも以後きっちり注記つけマス、と書いてます。大事だから。そんな感じでどんどん「漱石」の漢詩を詠んでいくわけで、とっつきにくい漢詩も、坊ちゃんの漢詩だと思うと、なんとなく読めるような気になる、そんな本です。吉川幸次郎という人にとっても余技だったでしょうが、面白いです。以上