『まとわりつくタイの音楽』読了

 前川健一を読もうシリーズ 『バンコクの匂い』は図書館にないかったので、その次がこれ。装幀ー菊地信義 

まとわりつくタイの音楽

まとわりつくタイの音楽

 

http://www.mekong-publishing.com/books/ISBN4-8396-0084-8.htm

版元は品切れ。タイポップスの本なら、現在はもっとアップデートされたものがありそうにも思いますが、これは幻の名盤解放同盟K-POPでなくポンチャックを紹介したようなものなので唯一無二で取り替え不可能、と云うと著者は烈火の如く怒るかもしれませんが、「ルークトゥン」という流行歌のジャンルと、「モーラム」という、琵琶歌なのか浪曲なのか、というジャンルを追い求めた本と言ってよいと思います。泰のドメスティックなロックは「ストリング」というそうで、フォークソングみたいな学生ギターもあるそうですが、著者の関心はそこになく、誰を形容したのか忘れましたが、「あがた森魚」のようだと云う個所があり、ほめてるのの反対の使い方でした。その逆に、バイリンなどのクメール語圏からバンコクを攻略しにかかった「カントゥルム」というジャンルの音楽は実に熱く語られています。

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何をこじらせたのか知りませんが、突然タイ語表記になってしまった謝辞一覧。一人だけいる邦人が、本書の情報収集や翻訳を支えた夫妻の、妻でないほうの人です。

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プムプワンのブロマイド

図書館本なのでカバー折が切れていて、それで最初は気づかなかったのですが、表紙は体調不良で夭折したプムプワンという歌手の人。なんか男運の悪さとか、育ちのシビアさとか、やっぱしタイで夭折したテレサ・テンを連想してしまいました。女狂いのヒドい二度目の夫は彼女の弟に撃ち殺されてるんだそうで。それとは全然関係ないですが、ブロマイドを表紙にしてるということは、タイの歌手も明星みたいなブロマイド出してるのかと思いましたが、それに触れた箇所は本書にありません。抜けた。

著者のもうひとりのオキニはスナーリー・ラーチャシーマーという、ナコン・ラーチャシーマー出身だからそういう名前という、出身地を強調した歌手です。頁241からのフルカラーコンサート写真はとてもよくて、素晴らしいのですが、それにしても、ぜんぜん分からない。本書に出てくる歌手で、かろうじて分かったのはクリスティーナですが、それも著者の手にかかると、こう書いたほうが現地の発音に近いとして、クリスティナーになってしまいます。

プムプワン・ドゥワンチャン - Wikipedia

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スナリー・ラチャシマ - Wikipedia

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早逝した歌手と、彼女より若かったが、21世紀も現世でバンバンやってる歌手を並べるとこうなるという。代表曲の動画を見つける気もなかったので(どの曲が自分は好きか分かるまで聞き続ける根気がなかった)てきとうに、再生回数の多い動画でなく、音楽会社のうpしたとおぼしき動画を載せます。あとなんだろ。タイ音楽。

baike.baidu.com

上のアンソロジーに一曲だけタイの曲が入ってた気がするのですが、探し出せない。

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少林足球の酒吧歌の後半のムーディーなアレンジはその曲使ってるはずなんですが、思い出せない。ヘイ、シリ、の後、メロディーくちづさむと、iPhoneはその曲を出してくれると聞いたことがあるのですが、本当に出来るのでしょうか。

頁265、スリン県のモーラム体験記で、著者が酒を飲まない人間であることが分かります。村の有力者へのつきあいで口をつけることは出来るので、飲めないわけではなさそう。その次のページで、タイ仏教をよく思っていないとも書いてるのですが、理由は未記。イサーンといっても糯米文化でなく粳米を食べる村で、ラーオ色よりクメール色が強く、国歌斉唱にあんま起立しない。そこを作者は、「いいなあ」と言って、中央集権がどうのと硬い文章並べるのですが、私の図書館本は前に借りた人がそこ鉛筆でアンダーライン引いていて、こんな箇所大事かと思いました。

モーラム - Wikipedia

アンダーラインの箇所で、ここなら分かると思ったのが、頁244。英語生活が長くなったタイ女性が電話でひさびさにタイ語をしゃべると、英語にひきずられて低いトーンのタイ語になって、オカマと間違えられるという話。総じて、タイの男性も声は高いと思います。その高い声で日本語を喋る人もいる。一時期、厚木の満喫を利用していた頃、そこに寝泊まりしていたタイ人のオッサンが、しょっちゅうカン高い声で電話していた。

その高い声で、こんなこと言ってたなと、意味は分からねど耳だけ覚えてることばが、二、三個出ます。

頁022「ヌー・マイ・ルー」(知らないわ)

頁084「インディー・マイ・ミー・パンハー」(なんともなくって、よかったね)

頁304「アライコダイ」(何でもあり)(何だっていい)

特に三つめは、京都のタイ料理店で、よく聞いた。親が駐在だったのでタイで10代から働いていたという、キレやすい中年にこれらのことばを使ってみたかったですが、キレて辞めたなあ、その直後コロナ。彼は確か、ウボンだかウドンすら「危ないですよ、凶悪事件がいっぱい起きてるってタイの週刊誌とかに書いてありますよ、行ったことないですよ」だったなと。駐在子弟の世間知らずと一笑するか、21世紀はエトランゼにとって安全がそれだけ保障されなくなったと考えるべきなのか。タイの週刊誌っても、邦人向けのカラー刷の立派な日本語ミニコミかもしれないし。競馬記事とかアイドル紹介とか載ってるやつ。

頁142、日本と韓国の歌謡曲を集めたアルバム(すべてタイ語でタイ人が歌う)のタイトルが、「トーキョー・アリダン」で、「アリダン」はおそらくアリランとのこと。これはかっこいいと思いました。アリダン。

どっかで聞いたことのある歌の元ネタを追って、香港ドラマの挿入歌の広東語曲と突き止めるくだりで、ぱぱっと、香港芸能ネタなら任せてよみたいな邦人ライターに渡りをつけるくだりがあります。分業というか、旅行者ネットワーク、ライター業界のつながりを著者もうまく生かしてると分かる場面。それとは関係ありませんが、タイと中國の関わりというと、北部の国民党残党は外せないと思うのですが、これまでの著者の本に、それは出ません。飛び地研究会に任せたとでもいうのかしら。中共が出ない如く、國府も出ない。香港だけ(ということは、マカオも出ない)ただ、本書で、ドンリージュィンは、別格。日本での扱いは、伝記とか出たにせよ、まだカルいと書いてます。" Don Quijote"ふうに歌うと、ドンドンドン、リージュィン♪ 简体儿写下兒〈邓丽君〉儿的了~♪  

タイの、夕方くらいから屋外でわらわら始まる、歌謡ショーというかコンサートには、タロックというお笑い芸人兼トラブル火消し人が混ざるのですが、彼らのコントの中に、ハリセンを使うものがあり、「タイ人は頭を大事なところだと考えてるので、こどもの頭をなでるのもタブーなんですよ」というのが俗説とよく分かる、ハリセンで頭をおもくそどつく場面が頻繁にみられるそうです。頁224。著者は、子どもの頭スパーンとはたくタイの親も見てるので、そんな杓子定規にアタマ大切にしてへんで、と思ってるそうで、私としてはここにアンダーライン引いてほしかったです。前に借りた人。

前に、横浜で、タイ人と結婚した男だけの早朝野球チームの話を聞いたことがあり、ちょんの間はもうないけれど、黄金町のタイ人向けの地下ディスコはすごいと聞いていて、それと、タイのディスコというと、中島みゆきの曲でみんな踊ってるという、かつての情報が私の脳内でダブるのですが、そういうディスコティックの話はありません。

そういう意味で、韓国のポンチャックの本なんかといっしょにされては困ると思ってるんじゃないかとは思います。ラリって悪女で踊るタイ人の話なんかは書きまへんと。以上

【後報】

バンコクの好奇心』でも触れられてますが、カセットテープ時代の出版です。CDへの移行期と思うのですが、本書ではまだ、CDは高いとされています。海賊版CDなら激安で、カセットテープ時代よりむしろ海賊版が氾濫するのが中国だったと思いますが、タイがどうなったのかは分かりません。作者の海賊版の今後予想も外れた気がします。(2020/7/29)